呻吟語 / 内篇・修身・一たび認むれば兩過都て無し
有過是一過,不肯認過又是一過。一認則兩過都無,一不認則兩過不免。彼強辯以飾非者,果何為也?
新字:有過是一過,不肯認過又是一過。一認則両過都無,一不認則両過不免。彼強弁以飾非者,果何為也?
書き下し
過ち有るは是れ一過なり、過ちを認むるを肯んぜざるは又た是れ一過なり。一たび認むれば則ち兩過都て無く、一たび認めざれば則ち兩過免れず。彼の強辯して以て非を飾る者は、果たして何為るぞや。
現代語訳
過ちがあるのが一つの過ちであり、その過ちを認めようとしないのがもう一つの過ちです。一度認めれば二つの過ちがどちらも消え、認めなければ二つとも免れません。あの強弁して非を取り繕う者は、いったい何をしているのでしょうか。
解説
過ちを二重に数えることで、認めることの得を計算で示します。認めれば二つとも消え、認めなければ二つとも残る。どちらが得かは明らかです。強弁して取り繕う人は、一つ減らそうとして二つ抱えている。損得の勘定として示されているので、謝れという道徳の話より動きやすい形になっています。認めるのは弱さではなく、勘定の上で最も得な手です。取り繕う人は、一つ減らそうとして二つ抱え込んでいます。
この章句が説くこと
過ち認める強弁損得二重
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・清水の魚の如し余は日日過ち有り。然れども自ら信ず、過ちの吾が心に發するは、清水の魚の如く、才かに發せば即ち見え、小しく發せば即ち覺ゆ。所以に卒に其の豪悍を遂げて流浪して收拾す可からざるに至るを得ざるなり。胸中の是非は、原と先に以て之を照らす有ればなり。所以に常に發するは何ぞや。只だ是れ心存せず、養ひ定まらざればなり。
-
論語・述而篇陳の司敗問う、「昭公は礼を知れるか。」孔子対えて曰く、「礼を知れり。」孔子退く。巫馬期に揖して之を進めて曰く、「吾聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。君、呉に取りて同姓と為す。之を呉孟子と謂う。君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。」巫馬期以て告ぐ。子曰く、「丘や幸いなり。苟くも過ち有れば、人必ず之を知る。」
-
論語・子張篇子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
-
『呻吟語』内篇・修身・怨む者の指摘を得、愛する者の掩護する能はず平生の為す所、怨む我が者をして以て指摘するを得しめ、愛する我が者をして掩護する能はざらしむ。此れ身を省みるの大懼なり。士君子之を慎め。故に我に過ち無くして謗語滔天たるも諒とするに足らず、談笑して之を受く可し。我に過ち有りて幸ひに聞くに及ばずんば、當に寢ぬるに席に貼かず、食らふに咽を下らざるべし。
-
尉繚子・兵教下太上は過ち無く、其の次は過ちを補う。
-
『呻吟語』内篇・修身・己の過ちを聞くを喜ぶ人の過ちを聞くを喜ぶは、己の過ちを聞くを喜ぶに若かず。己の善を道ふを樂しむは、人の善を道ふを樂しむに若かず。