呻吟語 / 内篇・修身・怨む者の指摘を得、愛する者の掩護する能はず
平生所為,使怨我者得以指摘,愛我者不能掩護,此省身之大懼也。士君子慎之。故我無過,而謗語滔天不足諒也,可談笑而受之;我有過,而幸不及聞,當寢不貼席、食不下咽矣。
新字:平生所為,使怨我者得以指摘,愛我者不能掩護,此省身之大懼也。士君子慎之。故我無過,而謗語滔天不足諒也,可談笑而受之;我有過,而幸不及聞,当寝不貼席、食不下咽矣。
書き下し
平生の為す所、怨む我が者をして以て指摘するを得しめ、愛する我が者をして掩護する能はざらしむ。此れ身を省みるの大懼なり。士君子之を慎め。故に我に過ち無くして謗語滔天たるも諒とするに足らず、談笑して之を受く可し。我に過ち有りて幸ひに聞くに及ばずんば、當に寢ぬるに席に貼かず、食らふに咽を下らざるべし。
現代語訳
日ごろの行いが、自分を怨む者に指摘の材料を与え、自分を愛する者にもかばいようが無いものである。これが身を省みる上での大きな恐れです。士君子はこれを慎みなさい。だから自分に過ちが無いのに誹りが天に満ちても、気に病むには及ばず、談笑して受け流せばよいのです。自分に過ちがあって、たまたま誰の耳にも入っていないなら、寝ても床に落ち着かず、食べても喉を通らないはずです。
解説
恐れるべきものの向きを、逆転させます。誹られることではなく、誹る材料を与えてしまうことが恐ろしい。だから無実の誹りは談笑して受け、露見していない過ちにこそ夜も眠れなくなる。世間の反応と自分の実態を、完全に切り離した構えです。味方にもかばいようが無い、という言い方が具体的で、判定の基準として使えます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
過ち誹り露見自省恐れ
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