尉繚子 / 兵教下
太上無過、其次補過。
書き下し
太上は過ち無く、其の次は過ちを補う。
現代語訳
最も優れているのは過ちを犯さないことであり、その次に優れているのは過ちを正すことである。
解説
完璧であることは確かに理想だが、誰もがそこに到達できるわけではない。この句が救いなのは、過ちを犯さないことだけでなく、犯した過ちを正すことにもきちんと価値を認めている点である。失敗した自分を責め続けるより、そこからどう立て直すかに意識を向けたほうが、次の一歩につながる。完璧を目指しつつも、つまずいた後の修復力こそ、日々の仕事や生活を支える現実的な強さである。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
過ち修正力成長
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