太上感応篇 / 総論・三台北斗と三尸の神
又有三台、北斗神君,在人頭上,錄人罪惡,奪其紀算。又有三尸神,在人身中,每到庚申日,輒上詣天曹,言人罪過。
新字:又有三台、北斗神君,在人頭上,録人罪悪,奪其紀算。又有三尸神,在人身中,毎到庚申日,輒上詣天曹,言人罪過。
書き下し
又た三台・北斗の神君有り、人の頭上に在りて、人の罪悪を録し、其の紀算を奪ふ。又た三尸の神有り、人の身中に在りて、毎に庚申の日に到れば、輒ち上りて天曹に詣り、人の罪過を言ふ。
現代語訳
また三台星と北斗星の神々がいて、人の頭の上にあって、その人の罪や悪事を書き留め、寿命を削ります。また三尸という神が人の体の中にいて、庚申の日が来るたびに天の役所へのぼっていき、その人の過ちを申し立てます。
解説
見張りが天上と体内の二重にある、という段です。三台と北斗は星の名で、頭上からこちらを見ています。三尸は体の中にいて、六十日に一度めぐってくる庚申の日に抜け出し、天に告げ口をするとされました。この三尸の説は葛洪の『抱朴子』にも見え、この書がそこから思想の材料を取っていることが分かります。日本で庚申の夜に眠らずに過ごす庚申待ちの行事が広まったのも、この考え方が渡ってきたからです。監視の神を信じるかどうかより、自分の中に自分を見ている目があるという発想のほうが今日に効きます。誰も見ていないと思う場面で、見ているのはいつも自分です。
この章句が説くこと
庚申三尸北斗監視罪
関連する章句
-
『太上感応篇』総論・司過の神、人の算を奪ふ是を以て天地に司過の神有り、人の犯す所の軽重に依りて、以て人の算を奪ふ。算減ずれば則ち貧耗し、多く憂患に逢ふ。人皆之を悪み、刑禍之に随ひ、吉慶之を避け、悪星之を災す。算尽くれば則ち死す。
-
『太上感応篇』総論・過ちの大小、数百事あり月晦の日には、竈神も亦た然り。凡そ人に過ち有れば、大なれば則ち紀を奪ひ、小なれば則ち算を奪ふ。其の過ちの大小、数百事有り。長生を求めんと欲する者は、先づ須らく之を避くべし。
-
『関聖帝君覚世真経』第一段・心は即ち神、神は即ち心是を偷生と謂ふ。凡そ人の心は即ち神、神は即ち心なり。心に愧づること無ければ、神に愧づること無し。若し是れ心を欺かば、便ち是れ神を欺くなり。故に君子は三畏四知して、以て其の独を慎む。
-
『太上感応篇』悪行・流星に唾し、虹霓を指す又た竈火を以て香を焼き、穢柴もて食を作る。夜起きて裸露し、八節に刑を行ふ。流星に唾し、虹霓を指す。輒ち三光を指し、久しく日月を視る。
-
『太上感応篇』悪行・算尽くれば則ち死し、殃ひ子孫に及ぶ春月に燎獵し、北に対して悪罵し、故無くして亀を殺し蛇を打つ。是くの如き等の罪は、司命其の軽重に随ひて、其の紀算を奪ふ。算尽くれば則ち死す。死して余責有れば、乃ち殃ひ子孫に及ぶ。
-
『太上感応篇』結論・胡ぞ勉めて之を行はざる凶人は悪を語り、悪を視、悪を行ふ。一日に三悪有れば、三年にして天必ず之に禍を降す。胡ぞ勉めて之を行はざる。