論語 / 子張篇
子貢曰:「君子之過也,如日月之食焉。過也,人皆見之;更也,人皆仰之。」
書き下し
子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
現代語訳
子貢が言った。「君子の過ちは、日食や月食のようなものだ。過ちを犯せば、誰もがそれを見る。改めれば、誰もがそれを仰ぎ見る。」
解説
日食月食の比喩が優れている。隠せない、そして元に戻る。上に立つ人の過ちは、誰の目にも見える。隠そうとしても隠せない。だが、改めれば、その改めた姿もまた誰の目にも見える。しかも仰ぎ見られる。過ちが露見することを恐れるより、改める姿を見せるほうが得だという論理になっている。実務でこれが難しいのは、改める過程で一時的に権威が下がるように感じるからだ。間違いを認めれば、判断力を疑われる。だから多くの人は、間違いを抱えたまま押し通す。子貢の比喩は、その恐れを解いている。欠けた月が満ちるのを見て、人は月を軽んじない。むしろ仰ぎ見る。過ちそのものより、過ちを抱えたままでいることのほうが権威を損なう。
この章句が説くこと
過ち日月食訂正権威子貢
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