呻吟語 / 内篇・修身・清水の魚の如し
余日日有過,然自信過發吾心,如清水之魚,才發即見,小發即覺,所以卒不得遂其豪悍,至流浪不可收拾者。胸中是非,原先有以照之也。所以常發者何也?只是心不存,養不定。
新字:余日日有過,然自信過発吾心,如清水之魚,才発即見,小発即覚,所以卒不得遂其豪悍,至流浪不可収拾者。胸中是非,原先有以照之也。所以常発者何也?只是心不存,養不定。
書き下し
余は日日過ち有り。然れども自ら信ず、過ちの吾が心に發するは、清水の魚の如く、才かに發せば即ち見え、小しく發せば即ち覺ゆ。所以に卒に其の豪悍を遂げて流浪して收拾す可からざるに至るを得ざるなり。胸中の是非は、原と先に以て之を照らす有ればなり。所以に常に發するは何ぞや。只だ是れ心存せず、養ひ定まらざればなり。
現代語訳
私は日々過ちがあります。しかし自分で信じているのは、過ちが心に起こるとき、澄んだ水の中の魚のように、起こればすぐ見え、小さく起これば小さいうちに気づくということです。だから最後まで荒々しさを遂げて、手のつけられないところまで流れ落ちることはありません。胸の中の是非が、もとから先に照らしてくれているからです。それでもしばしば起こるのはなぜか。ただ心が留まらず、養いが定まっていないからです。
解説
自分に日々過ちがあると認めたうえで、それでも崩れない理由を述べます。澄んだ水の中の魚のように、起こった瞬間に見えるからだ、と。気づきの速さが歯止めになるという見方です。そして最後に、それでもなぜ起こるのかと自問し、心が留まらないからだと答える。自己弁護に流れず、もう一段掘って終わるところに誠実さがあります。
この章句が説くこと
過ち自覚澄明歯止め養い
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