呻吟語 / 内篇・修身・清水の魚の如し
余日日有過,然自信過發吾心,如清水之魚,才發即見,小發即覺,所以卒不得遂其豪悍,至流浪不可收拾者。胸中是非,原先有以照之也。所以常發者何也?只是心不存,養不定。
新字:余日日有過,然自信過発吾心,如清水之魚,才発即見,小発即覚,所以卒不得遂其豪悍,至流浪不可収拾者。胸中是非,原先有以照之也。所以常発者何也?只是心不存,養不定。
書き下し
余は日日過ち有り。然れども自ら信ず、過ちの吾が心に發するは、清水の魚の如く、才かに發せば即ち見え、小しく發せば即ち覺ゆ。所以に卒に其の豪悍を遂げて流浪して收拾す可からざるに至るを得ざるなり。胸中の是非は、原と先に以て之を照らす有ればなり。所以に常に發するは何ぞや。只だ是れ心存せず、養ひ定まらざればなり。
現代語訳
私は日々過ちがあります。しかし自分で信じているのは、過ちが心に起こるとき、澄んだ水の中の魚のように、起こればすぐ見え、小さく起これば小さいうちに気づくということです。だから最後まで荒々しさを遂げて、手のつけられないところまで流れ落ちることはありません。胸の中の是非が、もとから先に照らしてくれているからです。それでもしばしば起こるのはなぜか。ただ心が留まらず、養いが定まっていないからです。
解説
自分に日々過ちがあると認めたうえで、それでも崩れない理由を述べます。澄んだ水の中の魚のように、起こった瞬間に見えるからだ、と。気づきの速さが歯止めになるという見方です。そして最後に、それでもなぜ起こるのかと自問し、心が留まらないからだと答える。自己弁護に流れず、もう一段掘って終わるところに誠実さがあります。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
過ち自覚澄明歯止め養い
関連する章句
-
『大和俗訓』巻之六・躬行上一常に我が身をかへりみて、先我が過を知るべし。すでに過を知りなば、速かにあらたむべし。尚書に、過を改めて吝ならずといへり。吝とはをしむなり。あやまちを惜まずして、早く改むるを云ふ。孔子も、過つては則改むるに憚ることなかれとのたまへり。わが身の過を知らざるは愚なり。過を知りて改めざるは、即悪なり。知らずして過つより、猶その罪おもし。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上是皆気質の偏なり、心を害す。凡気質のあしき所を変化する事、きはめてかたし。平生心を用ひて、是に勝たずんばあるべからず。又過あらば速かに改むべし。過とは巧みて悪をするにはあらず、是非を知らずして、不意に道理にそむくをいふ。気質の偏により、私慾の妨によりて、過をなすこと多し。人聖人にあらず、誰も過多し。過と知らば、速かに改めて善にうつるべし。吝なるべからず。吝なりとは、過ををしみて改めかぬるを云ふ。凡私慾邪念と、気質の偏と、過と、此三の者ありては心術を害す。心を正しくし、道を行はんとすれども、是等の過悪ありて去らざれば、徳にすすむべきやうなし。たとへば田を作るに莠を去らざれば、水をそそぎ、こやししても、莠のみ茂りて、苗に益なし。まづ莠をさりて、水と肥を用ふるが如し。又身の病を去りて後、補養するが如し。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一明月の玉にも、瑕なきことあたはず。過なき人、なんぞ今の世にあらんや。今の人、人の小過あるを見て、其人を賤み、すこし短なる所あれば、長ずる所あれど、言ひおとし、すてて取用ひず。おろかなるかな。聖人は過なし。聖人を以て人を望まば、世に人なかるべし。人の過を責めて、我が過を知らざるは、愚なるかな。是我が身をかへりみざればなり。もし我をかへりみば、我が身にも過おほかるべし。我が身をかへりみて、我が過を責めば、人の過を咎むるには、いとまなかるべし。我が田の草のおほきをば、其ままおきて取らず、人の田をくさぎるに、古人もたとへたり。
-
『呻吟語』内篇・修身・一個の真小人を成就す過ちや、人皆な之を見る、乃ち君子を見る。今人過ちの見る可き無し、豈に能く君子より賢ならんや。緣は只だ文飾彌縫の上に在りて工夫を做し、無限の巧回護を費やし盡くして、一個の真小人を成就するに在り。
-
『大和俗訓』巻之五・言語一あやまちを恥ぢて、いつはり飾るべからず。是心をあざむき、人をあざむくなり。既にわが過あらんは、すべきやうなし。あやまらば直に言ひあらはすべし。隠していつはり飾るべからず。あやまりて又人をあざむくは、あやまりを重ぬるなり。いよいよ罪深くなる。
-
『呻吟語』外篇・治道・人をして心服せしむ上に在る者は過ち無く、下に在る者は過ち多し。上に在る者の過ち無きに非ず、過ち有りて人敢へて言ふ莫きなり。下に在る者は過ち多きに非ず、之を誣ひて人敢へて辯ずる莫きなり。夫れ惟だ人をして言ふに心無からしめて、然る後に上たる者は真に過ち無し。人をして心服せしめて、而る後に下たる者は真に過ち多きなり。