太上感応篇 / 総論・禍福に門なし、惟だ人の自ら召くのみ
太上曰:「禍福無門,惟人自召;善惡之報,如影隨形。」
新字:太上曰:「禍福無門,惟人自召;善悪之報,如影随形。」
書き下し
太上曰く、「禍福門なし、惟だ人の自ら召くのみ。善悪の報いは、影の形に随ふが如し」と。
現代語訳
太上老君は言われました。「わざわいも幸いも、それが入ってくる決まった門があるわけではありません。ただ、その人自身が招き寄せるのです。善と悪の報いは、影が形に付き従うように、離れることなくついてきます」。
解説
千二百七十七字のこの書の全体を、冒頭の二句が言い切っています。門がないとは、幸不幸が外から勝手に入ってくる入口はない、ということです。ではどこから来るのか。自分が招くのだ、と答えます。この一句のために、以下の長い善行と悪行の目録が書かれました。この二句はもともと『春秋左氏伝』襄公二十三年の「禍福門なし、唯だ人の召く所なり」という言葉で、それを道教の勧善書の冒頭に据え直したものです。『易経』坤卦の文言伝が説く、善を積む家には余慶があるという考え方とも地続きです。影の比喩は、報いが遅れて来ることはあっても、離れることはないという意味でしょう。うまくいかない原因を景気や上司や運のせいに置くと、そこで打つ手が尽きます。自分が招いた部分はどこまでか、と問い直すところにだけ、次の一手が残ります。
この章句が説くこと
因果報い自責善悪運
関連する章句
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『十善法語』巻第十二・不邪見戒之下善悪報応ノ空シカラヌコトハ。古今聖賢ノ通義シヤ。易ニ積善ノ家ニハ必ス余慶アリ。積不善ノ家ニハ必ス余殃アリト。看ヨ。世間俗中スラカクアルシヤ。此言カ虚ナラスハ。業果アルモ信セラルル。正知見ニモ近カルヘキシヤ。仮令未タ三世アルコトヲ知ル地位ニ至ラスドモ。邪見トハ云レヌシヤ。又孔子ノ家語ニ。子貢問於孔子曰。死者有知乎。将無知乎。子曰。吾欲言死之有知。将恐孝子順孫妨生以送死。吾欲言死之無知。将恐不孝之子弃其親不葬。賜欲知死者有知与無知。非今之急。後自知之トアル。此等面白キコトシヤ。経中ニモ世尊ハ十八難ヲ答タマハストアル。死後去コトアリ去コトナキハ。自知セシムヘキ趣シヤ。
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『囲炉夜話』第百七十六則・塵世の間已に天堂地獄を分かつ善を作せば祥を降し、不善には殃を降す、見る可し塵世の間、已に天堂地獄を分かつを。 人此の心を同じくし、心此の理を同じくす、知る可し庸愚の輩も、聖域賢關を隔てざるを。
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『格言聯璧』悖凶類・一善を為して此の心快愜す一善を為して此の心快愜す、必ずしも自ら言はずして、鄉黨之を稱譽し、君子之を敬禮し、鬼神之に福祚し、身後之を傳誦す。 一惡を為して此の心愧怍す、掩護せんと欲すと雖も、鄉黨之を傳笑し、王法之を刑辱し、鬼神之に災禍し、身後之を指說す。
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『格言聯璧』悖凶類・鬼神も亦た陰かに之を相く善を為すの人は、獨り其の宗族親戚之を愛し、朋友鄉黨之を敬ふのみに非ず、鬼神と雖も亦た陰かに之を相く。 惡を為すの人は、獨り其の宗族親戚之に叛き、朋友鄉黨之を怨むのみに非ず、鬼神と雖も亦た陰かに之を殛す。
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『修証義』第一章 総序今の世に因果を知らず。業報を明らめず。三世を知らず、善悪を弁へざる邪見の党侶には群すべからず。大凡因果の道理、歴然として私なし。造悪の者は堕ち。修善の者は陞る、毫釐も貳はざるなり。若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上断見ニイロイロ有レドモ。マヅ善ヲ為シテ善ノ報ナク。悪ヲ作シテ悪ノ報ナク。神ト云モノ。仏ト云モノ。今現ニ見ルヘキナラネバ。コレモナキコトト思ヒ定ムルヲ。断見ト云。常見モ種種ナレドモ。且ク人ハ常ニ人トナル。畜ハ常ニ畜トナル。人ノ畜生トナルヘキ理ナク。畜生虫蟻ノ類カ人トナルヘキ理モナキト思ヒ定ムルヲ。常見ト云。正知見ト云ハ甚深ナレドモ。且クカウシヤ。仏菩薩モ世ニマシマス。賢人聖者モ有ルベク。神祇モ目ニコソ見エネ有ルヘク。善ヲ作セハ決定其報有リ。悪ヲ作セハ決定ソノ報有ルト信スレハ。此戒ハ全キシヤ。