関聖帝君覚世真経 / 第一段・心は即ち神、神は即ち心
是謂偷生,凡人心即神,神即心,無愧心,無愧神,若是欺心,便是欺神,故君子三畏四知,以慎其獨,
新字:是謂偸生,凡人心即神,神即心,無愧心,無愧神,若是欺心,便是欺神,故君子三畏四知,以慎其独,
書き下し
是を偷生と謂ふ。凡そ人の心は即ち神、神は即ち心なり。心に愧づること無ければ、神に愧づること無し。若し是れ心を欺かば、便ち是れ神を欺くなり。故に君子は三畏四知して、以て其の独を慎む。
現代語訳
これを、ぬすんで生きていると言います。およそ人の心こそが神であり、神こそが人の心です。心に恥じるところがなければ、神にも恥じるところがありません。もし自分の心を欺くならば、それはそのまま神を欺くことになります。ですから君子は三つを畏れ四つの知を思い、ひとりのときの振る舞いを慎むのです。
解説
この書でもっとも要になる段です。心即神、神即心という四字で、外にいる神と自分の心を重ねてしまいました。太上感応篇が司過の神や三尸を体の外と中に置いたのに対し、こちらは神を心そのものだと言い切ります。だから心を欺けばそれが神を欺くことになる。三畏は『論語』季氏篇の、天命と大人と聖人の言を畏れること。四知は後漢の楊震が、賄賂を差し出されて、天が知り神が知り我が知り子が知る、誰も知らぬことはないと退けた故事です。慎独は『中庸』の語。三つとも儒家から取っており、関帝の名を借りた書が儒の言葉で自分を組み立てているのが分かります。
この章句が説くこと
慎独四知三畏心神
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・心に城池有り、口に門戶有り心は城池有るを要し、口は門戶有るを要す。城池有れば則ち出でず、門戶有れば則ち縱にせず。
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは中々せくるゝなり、然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切るなり、只依り来る時に、事に触れ物に随て、心品を調ふること難きなり、学者身命を捨ると思ふて、且くおしゝづめて、云ふべきことをも、修すべきことをも、道理に順ずるか順せざるかと案じて、道理に順せば云ひ、若くは行じもすべきなり、
-
『呻吟語』内篇・存心・心は天平のごとくならんことを要す心は天平のごとくならんことを要す。物を稱る時、物は忙しくして衡は忙しからず。物去る時、即ち懸空して此に在り。只だ恁く靜虛中正なれば、何等ぞ自在ならん。
-
『呻吟語』外篇・人情・心は二三を怕れ、情は一を怕る心は二三を怕れ、情は一を怕る。