回天詩史 / 猶餘忠義填骨髓・忠義が骨髄に満ちる浩然の気
猶餘忠義填骨髓蘇軾有言。道理貫心肝。忠義填骨髓。直須談笑於死生之間。余深服斯語。亦擧以勵子弟。以爲蘇子斯語可以註孟子浩然之氣也。夫浩然之氣。孟子旣曰以直養。又曰集義所生。又曰配義與道。其所以示人。反覆丁寧不一而足。推其說。則大學所謂心廣體胖。中庸不愧屋漏。論語內省不疚者。皆浩然之地。而非胸中別有一箇盛大之物也。後世黃吻耳學之徒。或以豪放磊落跌蕩不羈者。爲浩然之氣。大非孟子之本意。何者豪放跌蕩之人。固愈於小廉曲謹。稱鄕愿者萬萬。而苟欠愼獨內省之工夫。則不能無行不慊於心者。小不慊則斯氣欿然餒於中。安在其爲浩然哉。(夫浩然之氣以下。先子所持論。今擧其大)略必道理貫心肝。忠義填骨髓。然後正氣充實於中。及其至。則可塞於天地之間矣。余嘗讀蘇子之書。尤愛其策略之論。謂苟使其說行。則趙宋豈有他日播遷之禍哉。旣不能用其人。又併廢其言者。非獨蘇氏不幸也。抑方王安石用事。一觸其邪燄者。無有噍類。蘇子兄弟。奉其家學。確乎不變。屢貶竄於瘴厲魑魅之鄕。而心腸鐵石。胸襟風月。超然於事物之表。其所謂談笑於死生之間者。不爲夸也。而世之稱蘇子者。或取於其風流。或取於其文辭。至於其甚。則徒愛其書畫。以爲玩好。(昔時先輩聰明若熊澤伯繼。猶曰蘇子以詩人。蓋伯繼不讀其策略等之書也)耳。奚異於取皮膚而捨骨髓。夫士有大策略大節義。然後可以與言文采風流矣。不然則與彼俳優者奚擇焉。此彪平日所持論。客舍兀坐無書可讀。杜門屏居無友可談。朝夕所追隨。唯一片耿耿之氣耳。聊擧以相培養浩然之地云(五月廿六日錄)
新字:猶余忠義填骨髄蘇軾有言。道理貫心肝。忠義填骨髄。直須談笑於死生之間。余深服斯語。亦挙以励子弟。以為蘇子斯語可以註孟子浩然之気也。夫浩然之気。孟子既曰以直養。又曰集義所生。又曰配義与道。其所以示人。反覆丁寧不一而足。推其説。則大学所謂心広体胖。中庸不愧屋漏。論語内省不疚者。皆浩然之地。而非胸中別有一箇盛大之物也。後世黄吻耳学之徒。或以豪放磊落跌蕩不羈者。為浩然之気。大非孟子之本意。何者豪放跌蕩之人。固愈於小廉曲謹。称郷愿者万万。而苟欠慎独内省之工夫。則不能無行不慊於心者。小不慊則斯気欿然餒於中。安在其為浩然哉。(夫浩然之気以下。先子所持論。今挙其大)略必道理貫心肝。忠義填骨髄。然後正気充実於中。及其至。則可塞於天地之間矣。余嘗読蘇子之書。尤愛其策略之論。謂苟使其説行。則趙宋豈有他日播遷之禍哉。既不能用其人。又併廃其言者。非独蘇氏不幸也。抑方王安石用事。一触其邪焔者。無有噍類。蘇子兄弟。奉其家学。確乎不変。屡貶竄於瘴厲魑魅之郷。而心腸鉄石。胸襟風月。超然於事物之表。其所謂談笑於死生之間者。不為夸也。而世之称蘇子者。或取於其風流。或取於其文辞。至於其甚。則徒愛其書画。以為玩好。(昔時先輩聰明若熊沢伯継。猶曰蘇子以詩人。蓋伯継不読其策略等之書也)耳。奚異於取皮膚而捨骨髄。夫士有大策略大節義。然後可以与言文采風流矣。不然則与彼俳優者奚択焉。此彪平日所持論。客舎兀坐無書可読。杜門屏居無友可談。朝夕所追随。唯一片耿耿之気耳。聊挙以相培養浩然之地云(五月廿六日録)
書き下し
猶ほ余す忠義の骨髄に填つるを。蘇軾言有り、道理心肝を貫き、忠義骨髄に填つ、直ちに須(すべから)く死生の間に談笑すべし、と。余深く斯の語に服し、亦た挙げて以て子弟を励ます。以為らく、蘇子の斯の語は以て孟子の浩然の気を註すべし、と。夫れ浩然の気は、孟子既に曰く、直を以て養ふ、と。又曰く、義を集めて生ずる所、と。又曰く、義と道とに配す、と。其の人に示す所以、反覆丁寧にして一に足らず。其の説を推せば、則ち大学の所謂心広く体胖か、中庸の屋漏に愧ぢず、論語の内に省みて疚しからず、とは、皆浩然の地にして、胸中に別に一箇の盛大の物有るに非ざるなり。後世の黄吻耳学の徒、或いは豪放磊落跌蕩不羈なる者を以て浩然の気と為す。大いに孟子の本意に非ず。何となれば、豪放跌蕩の人は、固より小廉曲謹にして郷愿と称する者に愈ること万々なり。而れども苟も慎独内省の工夫を欠かば、則ち行ひの心に慊(こころよ)からざる者有る能はず。小しく慊からざれば、則ち斯の気欿然として中に餒う。安くんぞ其の浩然たるに在らんや。(夫れ浩然の気以下は、先子の持論する所、今其の大を挙ぐ)略ぼ必ず道理心肝を貫き、忠義骨髄に填ち、然る後に正気中に充実す。其の至るに及べば、則ち天地の間に塞つべし。余嘗て蘇子の書を読み、尤も其の策略の論を愛す。謂へらく、苟も其の説をして行はしめば、則ち趙宋に豈に他日播遷の禍有らんや、と。既に其の人を用ゐる能はず、又併せて其の言を廃する者は、独り蘇氏の不幸のみならず。抑も王安石の事を用ゐるに方り、一たび其の邪焔に触るる者は、噍類有る無し。蘇子兄弟、其の家学を奉じ、確乎として変ぜず。屢々瘴厲魑魅の郷に貶竄せらるるも、心腸は鉄石、胸襟は風月、事物の表に超然たり。其の所謂死生の間に談笑するとは、夸と為さざるなり。而るに世の蘇子を称する者は、或いは其の風流に取り、或いは其の文辞に取り、其の甚だしきに至りては、則ち徒らに其の書画を愛して以て玩好と為すのみ。(昔時の先輩の聡明なる、熊沢伯継の若き、猶ほ曰く、蘇子は詩人を以てす、と。蓋し伯継は其の策略等の書を読まざるなり)奚ぞ皮膚を取りて骨髄を捨つるに異ならんや。夫れ士は大策略・大節義有りて、然る後に与に文采風流を言ふべし。然らずんば則ち彼の俳優と奚ぞ択ばんや。此れ彪の平日持論する所。客舎に兀坐して読むべき書無く、戸を杜ぎ居を屏して談ずべき友無し。朝夕追随する所は、唯だ一片耿耿の気のみ。聊か挙げて以て浩然の地を相培養すと云ふ。(五月廿六日録す)
現代語訳
それでも、忠義が骨髄に満ちていることは残っています。蘇軾(蘇東坡)に言葉があります。道理が心肝を貫き、忠義が骨髄に満ちているなら、死生の間でも談笑できるはずだ、と。私はこの言葉に深く服し、また挙げて子弟を励ましました。蘇子のこの言葉は、孟子の浩然の気の注釈とできると考えます。浩然の気については、孟子はすでに、直(まっすぐさ)をもって養う、と言い、また、義を集めて生ずるものである、とも言い、また、義と道に配する、とも言っています。人に示すところは、繰り返し丁寧で一度に限りません。その説を推し広げれば、『大学』のいう、心が広く体がゆったりしていること、『中庸』のいう、屋漏(人に見られない暗い場所)にも恥じないこと、『論語』のいう、内に省みてやましくないこと、これらはみな浩然の気の拠って立つところであり、胸中に別に盛大なものがあるわけではありません。後世の、口の黄色い耳学問の徒の中には、豪放で磊落、奔放で拘束されない人をもって浩然の気とする者がいます。これは孟子の本意とは大きく違います。なぜなら、豪放奔放な人は、小さな廉直さや細かな謹みにこだわり、郷愿(見かけだけ善人)と呼ばれる者より万倍まさっています。それでも、慎独(ひとりでいる時にも慎むこと)と内省の工夫を欠くなら、行いが心に満足できない部分が出てきます。わずかでも満足できなければ、この気は欠けて内側で萎えてしまいます。それでどうして浩然といえるでしょうか。(浩然の気から以下は、先子(父)の持論で、いまそのあらましを挙げます)おおむね、必ず道理が心肝を貫き、忠義が骨髄に満ちて、その後で正気が内に充実します。その極みに至れば、天地の間に満ちることができます。私はかつて蘇子の書を読み、とりわけその策略の論を愛しました。もしその説が行われていたなら、趙宋に後日の遷都の禍があるはずはなかった、と思います。すでにその人を用いることができず、さらにその言葉まで廃した者がいたのは、蘇氏だけの不幸ではありません。そもそも王安石が政権を握っていたとき、その邪な炎に一度触れた者は、生き残れなかったほどです。蘇子兄弟は家学を守り、確固として変わりませんでした。たびたび瘴気や魑魅の棲む地に左遷されましたが、心は鉄石のように、胸中は風月のように、物事の外に超然としていました。彼のいう死生の間に談笑するとは、誇張ではありません。それなのに、世の蘇子を称える者は、あるいはその風流を取り、あるいはその文辞を取り、甚だしい場合は、ただその書画を愛玩するだけです。(昔の聡明な先輩の熊沢伯継(蕃山)でさえ、蘇子は詩人であると言っています。おそらく伯継はその策略などの書を読まなかったのでしょう)これは、皮膚を取って骨髄を捨てるのと変わりません。そもそも士は大きな策略と大きな節義があって、はじめて文彩や風流を語ることができます。そうでなければ、あの俳優と何が違うでしょう。これは私が日頃から持論としているところです。宿舎にひとりぽつんと座っていても読む書物はなく、戸を閉ざし居を隔てて語り合う友もありません。朝夕につきそうのは、ただ一片の誠実な気概だけです。いささかそれを挙げて、浩然の気の拠り所を培い養っています。(五月二十六日に記す)
解説
この章句が説くこと
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