酔古堂剣掃 / 集法・行ひ垢づきて湔はず
衣垢不湔,器缺不補,對人猶有慚色;行垢不湔,德缺不補,對天豈無愧心!
新字:衣垢不湔,器欠不補,対人猶有慚色;行垢不湔,徳欠不補,対天豈無愧心!
書き下し
衣垢づきて湔はず、器缺けて補はざれば、人に對して猶ほ慚色有り。行ひ垢づきて湔はず、德缺けて補はざれば、天に對して豈に愧心無からんや。
現代語訳
衣服が汚れても洗わず、器が欠けても繕わなければ、人に向かってさえ恥ずかしい顔になります。行いが汚れても洗い清めず、徳が欠けても補わなければ、天に向かってどうして恥じる心がないでしょうか。
解説
身の回りの汚れと心の汚れを対比し、内面の手入れを促した一則です。湔は洗い清めることです。汚れた服や欠けた器を人に見られれば、誰でも恥ずかしく思います。それなのに、行いの汚れや徳の欠けには、人の目に見えないからといって無頓着でいがちです。しかし天はそれを見ていると言います。外見を整えることには熱心でも、心や行いの手入れを怠っていないか、という問いかけです。毎朝鏡で身なりを整えるように、一日の終わりに自分の行いを振り返る習慣を持ちたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
修身内省徳慎独反省
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