回天詩史 / 連座の人々・連座した人々 戸田・今井・藤田
人生得失豈徒爾公之致仕幽居也。元老以下獲罪於幕府者七人。(見於上)而戸田今井與彪就禁錮。蓋亦有以也。初文政季年。戸田爲大番。轉目附。以其不請而赴江戸。落職家居。亡幾爲近臣。(通事)遂歷用人側用人參政。擢爲執政。班上大夫。今井初以遊倅。給事公於龜間。及公立爲馬廻。轉奧右筆。入爲近臣。(次番。及小納戸)歷勘定奉行用人。遂爲參政。班中大夫之上。出爲寺社奉行。班猶仍舊。彪初以進物番。補史館編修。轉郡宰爲近臣。(通事)任政府吏。乍免職。又乍擢爲側用人。遂班下大夫之上。封建之制。世貴門地。人重閥閱。官職轉除率有定格。蓋中大夫之家或得爲上大夫。而下大夫之家亦或得爲中大夫。餘皆視之。戸田之先。與信州松本侯(松平丹波守)同族。以太田備州之薦。始事威公。頗稱閥閱。而家世不過上士。今井之宗以醫事義公。今井之祖以其餘子。別賜俸祿。家世中士。而間亦有爲上士者。彪則先子解褐。以文學始事文公。以其職類近臣。班通事耳。(通事之班。在持筒頭小十人頭之間。以故自稱上士。而其與上士有逕庭)三人之職事班次雖不同。因其門地論其定格。則其寵榮可謂皆極矣。一國愕然。不嘲則罵焉。環而讒之者。非一朝一夕。
新字:人生得失豈徒爾公之致仕幽居也。元老以下獲罪於幕府者七人。(見於上)而戸田今井与彪就禁錮。蓋亦有以也。初文政季年。戸田為大番。転目附。以其不請而赴江戸。落職家居。亡幾為近臣。(通事)遂歴用人側用人参政。擢為執政。班上大夫。今井初以遊倅。給事公於亀間。及公立為馬廻。転奥右筆。入為近臣。(次番。及小納戸)歴勘定奉行用人。遂為参政。班中大夫之上。出為寺社奉行。班猶仍旧。彪初以進物番。補史館編修。転郡宰為近臣。(通事)任政府吏。乍免職。又乍擢為側用人。遂班下大夫之上。封建之制。世貴門地。人重閥閲。官職転除率有定格。蓋中大夫之家或得為上大夫。而下大夫之家亦或得為中大夫。余皆視之。戸田之先。与信州松本侯(松平丹波守)同族。以太田備州之薦。始事威公。頗称閥閲。而家世不過上士。今井之宗以医事義公。今井之祖以其余子。別賜俸禄。家世中士。而間亦有為上士者。彪則先子解褐。以文学始事文公。以其職類近臣。班通事耳。(通事之班。在持筒頭小十人頭之間。以故自称上士。而其与上士有逕庭)三人之職事班次雖不同。因其門地論其定格。則其寵栄可謂皆極矣。一国愕然。不嘲則罵焉。環而讒之者。非一朝一夕。
書き下し
人生得失豈に徒爾ならんや。公の致仕幽居するや、元老以下罪を幕府に獲る者七人。(上に見ゆ)而して戸田・今井と彪とは禁錮に就く。蓋し亦た以有るなり。初め文政の季年、戸田は大番たり。目附に転ず。其の請はずして江戸に赴くを以て、職を落とされて家居す。亡幾(いくばくもなく)近臣と為る。(通事)遂に用人・側用人・参政を歴て、擢でられて執政と為り、班は上大夫に上る。今井は初め遊倅を以て公に亀間に給事す。公の立ちて馬廻と為るに及び、奥右筆に転じ、入りて近臣と為る。(次番、及び小納戸)勘定奉行・用人を歴て、遂に参政と為り、班は中大夫の上にあり、出でて寺社奉行と為る。班は猶ほ旧に仍(よ)る。彪は初め進物番を以て、史館編修に補せられ、郡宰に転じて近臣と為る。(通事)政府の吏に任ぜられ、乍ち免職せられ、又乍ち擢でられて側用人と為り、遂に班は下大夫の上にあり。封建の制は、世々門地を貴び、人は閥閲を重んず。官職の転除は率ね定格有り。蓋し中大夫の家は或いは上大夫と為るを得、下大夫の家も亦た或いは中大夫と為るを得。余は皆之に視(なら)ふ。戸田の先は、信州松本侯(松平丹波守)と同族。太田備州の薦を以て、始めて威公に事ふ。頗る閥閲と称すれども、家世は上士に過ぎず。今井の宗は医を以て義公に事ふ。今井の祖は其の余子を以て、別に俸禄を賜はる。家世は中士にして、間々亦た上士と為る者有り。彪は則ち先子、解褐し、文学を以て始めて文公に事ふ。其の職は近臣に類するを以て、班は通事のみ。(通事の班は、持筒頭・小十人頭の間に在り。以て自ら上士と称すれども、其の上士と逕庭有り)三人の職事の班次は同じからずと雖も、其の門地に因りて其の定格を論ずれば、則ち其の寵栄は皆極まれりと謂ふべし。一国愕然とし、嘲らざれば則ち罵る。環りて之を讒する者、一朝一夕に非ず。
現代語訳
人生の得失は、決していい加減なものではありません。公(斉昭)が隠居・幽居させられたとき、元老以下で幕府に罪を得た者は七人でした。(上に見えます)そして戸田・今井と私(彪)が禁錮に処せられました。これにも理由があります。初め文政の末年、戸田は大番でした。目付に転じましたが、許しを請わずに江戸へ赴いたため、職を落とされて家に居ました。ほどなく近臣(通事)となり、用人・側用人・参政を歴任し、抜擢されて執政となり、席次は上大夫の上になりました。今井は初め遊倅(部屋住み)の身分で、亀の間で公に仕えました。公が立って馬廻になると、奥右筆に転じ、入って近臣(次番、および小納戸)となり、勘定奉行・用人を歴任し、ついに参政となって、席次は中大夫の上となり、出て寺社奉行となりました。席次は従来のままでした。私は初め進物番から史館編修に補せられ、郡宰に転じて近臣(通事)となり、政府の役人に任じられ、すぐに免職され、またすぐに抜擢されて側用人となり、ついに席次は下大夫の上になりました。封建の制では、代々家柄が貴ばれ、人は家の格式を重んじます。官職の異動には、おおむね定まった格があります。中大夫の家は上大夫になることがあり、下大夫の家も中大夫になることがあります。ほかはみなこれにならいます。戸田の先祖は、信州松本侯(松平丹波守)と同族です。太田備州の推薦で、初めて威公に仕えました。家柄はなかなかのものですが、家系は上士に過ぎません。今井の本家は医術で義公に仕えました。今井の祖先は、家の余り子として別に俸禄を賜りました。家系は中士で、ときに上士になる者もいました。私の場合は、先子(亡き父・藤田幽谷)が官に就き、学問で初めて文公に仕えました。その職は近臣に類するので、席次は通事に過ぎません。(通事の席次は、持筒頭と小十人頭の間にあります。そのため自分では上士と称しますが、本当の上士とは隔たりがあります)三人の職務と席次は同じではありませんが、その家柄から定格を論じれば、その寵愛と栄誉は皆、極まったといえます。藩中の人々は驚き、嘲らなければ罵りました。取り巻いて讒言する者は、一朝一夕のことではありませんでした。
解説
この章句が説くこと
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