回天詩史 / 連座の人々・客との問答 三人が禁錮された理由
則平居無事。猶恐不知所税駕。況時勢一變。我公猶且有今日之禍。則三人之免死。固爲大幸。其就禁錮。豈徒爾哉。有客難之曰。子之說不爲亡謂也。然公之用人。不必拘門地。其起自士。超遷至大夫者。不止子等三人。而未聞其人獲罪於幕府。亦有說乎。主人應之曰。子不見彼卉木乎。方大風雨雪之時。其枝幹軟弱者。東西披靡縱橫低垂之。無復折傷破碎之患。至其剛强者。屹然不屈。確乎不動。其不摧幹拔根者殆希。居吾語子。沈深寛弘。擧止嫺雅。愛人容物。則今井藤田不如戸田也。風岸孤峭。直言抗議。清潔無私。則戸田藤田不如今井也。粗通古今。頗達事體。立志不變。則戸田今井恐不如藤田也。要之皆屹然確平之士。假使敵國伺我。不除斯三人。則水藩之事。不易遽圖也。至於彼便發阿諛之臣。則東西披靡者耳。縱橫低垂者耳。昔者菅公起自文章生。致位三公。而忠憤剛正。遂以取禍。設使菅公少自貶阿藤氏之黨。則豈有西海之謫哉。而公不遭貶竄之禍。則安能得使其盛名千載傳誦不已哉。由是言之。我公之遭讒。未可必弔。而三人者之就禁錮。亦不爲甚不幸矣。客罵曰。戸田今井吾未知其人。觀子之鬱愚自信愈篤。則子之不免於禍也。信非徒爾。主人爲之默然(五月廿五日錄)
新字:則平居無事。猶恐不知所税駕。況時勢一変。我公猶且有今日之禍。則三人之免死。固為大幸。其就禁錮。豈徒爾哉。有客難之曰。子之説不為亡謂也。然公之用人。不必拘門地。其起自士。超遷至大夫者。不止子等三人。而未聞其人獲罪於幕府。亦有説乎。主人応之曰。子不見彼卉木乎。方大風雨雪之時。其枝幹軟弱者。東西披靡縦横低垂之。無復折傷破砕之患。至其剛強者。屹然不屈。確乎不動。其不摧幹抜根者殆希。居吾語子。沈深寛弘。挙止嫺雅。愛人容物。則今井藤田不如戸田也。風岸孤峭。直言抗議。清潔無私。則戸田藤田不如今井也。粗通古今。頗達事体。立志不変。則戸田今井恐不如藤田也。要之皆屹然確平之士。仮使敵国伺我。不除斯三人。則水藩之事。不易遽図也。至於彼便発阿諛之臣。則東西披靡者耳。縦横低垂者耳。昔者菅公起自文章生。致位三公。而忠憤剛正。遂以取禍。設使菅公少自貶阿藤氏之党。則豈有西海之謫哉。而公不遭貶竄之禍。則安能得使其盛名千載伝誦不已哉。由是言之。我公之遭讒。未可必弔。而三人者之就禁錮。亦不為甚不幸矣。客罵曰。戸田今井吾未知其人。観子之鬱愚自信愈篤。則子之不免於禍也。信非徒爾。主人為之黙然(五月廿五日録)
書き下し
則ち平居無事なるも、猶ほ税駕する所を知らざらんことを恐る。況んや時勢一変し、我が公も猶ほ且つ今日の禍有るをや。則ち三人の死を免るるは、固より大幸なり。其の禁錮に就くは、豈に徒爾ならんや。客有り、之を難じて曰く、子の説は亡謂(いはれなし)と為さざるなり。然れども公の人を用ゐるや、必ずしも門地に拘らず。其の士より起こり、超遷して大夫に至る者、子ら三人に止まらず。而して未だ其の人の罪を幕府に獲るを聞かず。亦た説有るか、と。主人之に応へて曰く、子見ずや彼の卉木を。大風雨雪の時に方りて、其の枝幹の軟弱なる者は、東西に披靡し、縦横に低垂し、復た折傷破砕の患無し。其の剛強なる者に至りては、屹然として屈せず、確乎として動かず、其の幹を摧き根を抜かざる者は殆ど希なり。居れ、吾子に語げん。沈深寛弘、挙止嫻雅、人を愛し物を容るるは、則ち今井・藤田は戸田に如かず。風岸孤峭、直言抗議、清潔無私なるは、則ち戸田・藤田は今井に如かず。粗ぼ古今に通じ、頗る事体に達し、志を立てて変ぜざるは、則ち戸田・今井は恐らく藤田に如かず。之を要するに皆屹然確乎の士なり。仮使(たとひ)敵国我を伺ふに、斯の三人を除かずんば、則ち水藩の事は遽かに図り易からず。彼の便ち阿諛を発する臣の若きに至りては、則ち東西に披靡する者のみ、縦横に低垂する者のみ。昔者菅公、文章生より起こり、位を三公に致す。而して忠憤剛正、遂に以て禍を取る。設使(もし)菅公少しく自ら貶し藤氏の党に阿らば、則ち豈に西海の謫有らんや。而して公は貶竄の禍に遭はざれば、則ち安くんぞ其の盛名をして千載伝誦して已まざらしむるを得んや。是に由りて之を言へば、我が公の讒に遭ふも、未だ必ずしも弔せず。而して三人の者の禁錮に就くも、亦た甚だしくは不幸と為さず、と。客罵りて曰く、戸田・今井は吾未だ其の人を知らず。子の鬱愚自信の愈々篤きを観れば、則ち子の禍を免れざるは、信に徒爾に非ず、と。主人之が為に黙然たり。(五月廿五日録す)
現代語訳
平穏無事なときでさえ、身の置きどころを知らないのではないかと恐れます。ましてや時勢が一変し、わが公でさえ今日の禍に遭われたのですから、私たち三人が死を免れたことはまことに大幸です。禁錮に処せられたことは、決して理由のないことではありません。ある客がこれを難詰して言いました。あなたの説は、理由のないものではありません。しかし公が人を用いるときは、必ずしも家柄にこだわりませんでした。士から起こって、飛び級で大夫に至った者は、あなたがた三人にとどまりません。それでも、その人が幕府から罪を得たとは聞きません。これにも説明があるのですか、と。主人(私)は答えました。あなたは、草木を見ませんか。大風雨や雪のとき、枝や幹が柔らかい草木は、東西になびき、縦横に低く垂れて、折れ傷つくことも砕けることもありません。しかし、剛く強い草木は、そびえ立って屈せず、しっかりと動かず、幹を砕かれ根を抜かれない者はほとんどありません。まあ座りなさい、あなたに話しましょう。深く落ち着き、度量が広く、立ち居振る舞いが雅やかで、人を愛し物を受け入れる点では、今井と私は戸田に及びません。風格が高く険しく、直言して強く議論し、清潔で私心がない点では、戸田と私は今井に及びません。おおむね古今に通じ、かなり物事の道理に通達し、志を立てて変わらない点では、戸田と今井は私に及ばないでしょう。要するに皆、屹然として確固たる士です。もし敵国がわが藩をうかがうとして、この三人を除かなければ、水戸藩の事は急には図り難いでしょう。便宜上すぐにへつらうような臣ならば、東西になびくばかり、縦横に低く垂れるばかりです。昔、菅公(菅原道真)は文章生から起こり、位は三公に至りました。そして忠義の憤りと剛直さゆえに、ついに禍を招きました。もし菅公が少し自分を卑下して藤原氏の一派にへつらったなら、西の海の流罪はなかったでしょう。しかし公が左遷の禍に遭わなかったなら、その盛名を千年にわたって伝えて絶えさせないことが、どうしてできたでしょうか。こう言えば、わが公が讒言に遭ったことも、必ずしも嘆くことではありません。そして三人が禁錮に処せられたことも、そう大きな不幸とはいえません、と。客は罵って言いました。戸田・今井は私は知りません。あなたの鬱屈と愚直な自信がますます篤いのを見れば、あなたが禍を免れなかったのは、本当に理由のないことではありません、と。主人はこれに黙りました。(五月二十五日に記す)
解説
この章句が説くこと
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『回天詩史』・連座の人々・連座した人々 戸田・今井・藤田人生得失豈に徒爾ならんや。公の致仕幽居するや、元老以下罪を幕府に獲る者七人。(上に見ゆ)而して戸田・今井と彪とは禁錮に就く。蓋し亦た以有るなり。初め文政の季年、戸田は大番たり。目附に転ず。其の請はずして江戸に赴くを以て、職を落とされて家居す。亡幾(いくばくもなく)近臣と為る。(通事)遂に用人・側用人・参政を歴て、擢でられて執政と為り、班は上大夫に上る。今井は初め遊倅を以て公に亀間に給事す。公の立ちて馬廻と為るに及び、奥右筆に転じ、入りて近臣と為る。(次番、及び小納戸)勘定奉行・用人を歴て、遂に参政と為り、班は中大夫の上にあり、出でて寺社奉行と為る。班は猶ほ旧に仍(よ)る。彪は初め進物番を以て、史館編修に補せられ、郡宰に転じて近臣と為る。(通事)政府の吏に任ぜられ、乍ち免職せられ、又乍ち擢でられて側用人と為り、遂に班は下大夫の上にあり。封建の制は、世々門地を貴び、人は閥閲を重んず。官職の転除は率ね定格有り。蓋し中大夫の家は或いは上大夫と為るを得、下大夫の家も亦た或いは中大夫と為るを得。余は皆之に視(なら)ふ。戸田の先は、信州松本侯(松平丹波守)と同族。太田備州の薦を以て、始めて威公に事ふ。頗る閥閲と称すれども、家世は上士に過ぎず。今井の宗は医を以て義公に事ふ。今井の祖は其の余子を以て、別に俸禄を賜はる。家世は中士にして、間々亦た上士と為る者有り。彪は則ち先子、解褐し、文学を以て始めて文公に事ふ。其の職は近臣に類するを以て、班は通事のみ。(通事の班は、持筒頭・小十人頭の間に在り。以て自ら上士と称すれども、其の上士と逕庭有り)三人の職事の班次は同じからずと雖も、其の門地に因りて其の定格を論ずれば、則ち其の寵栄は皆極まれりと謂ふべし。一国愕然とし、嘲らざれば則ち罵る。環りて之を讒する者、一朝一夕に非ず。
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『回天詩史』・致仕の命と決死・蟄居の命と決死の三度目彪、拝謝して退く。是の日、公、親書を裁して中山備州に授く。彪が致仕の事有りと云う。適〻閣老土井氏、執政肥田大助を招き、中山氏以下の有司を罰するの状を授く。彪、之を聞き、復た政府に入らず。日既に暮る。公、駕を命じて駒籠に徙る。彪、同班の諸子と、諸を中奥の廊下に送る。公、烏帽を戴き、黒衣を著、風姿蕭然たり。諸臣、涕を流さざるは莫し。是の夜四更、執政肥田、命を伝う。中山・興津の二氏は責めを蒙り(所謂差扣)、戸田と彪は職を奪われ禁錮せらる(所謂蟄居)。五更、舎に帰り、僮に戒めて門戸を鎖さしむ。後数日、郷書を獲て、始めて亜卿山野辺氏の中山・興津と同科なるを詳らかにす。執政鵜殿(名は広生、平七と称す)は職を奪われ譴を蒙り(所謂逼塞)、而して寺社奉行今井は則ち戸田及び彪と同科なり。嗚呼、彪は公の殊遇を浴び、他人の比に非ず。而るに禍を未萌に察する能わず、位に尸して素餐し、以て我が公今日の辱を致す。死すとも罪有餘り。而るに幕府は寛仁にして、彪をして生路を獲、悔悟する所有らしむ。抑〻亦幸いなり。此れ彪が死を決して而も死せざるの三なり。古人言う有り、死生亦大なりと。彪、平世に生まれ、齢未だ強仕に盈たず。而るに三たび死生の間に処る。豈に天、彪の生の世に益無きを厭い、潔くして之を冥漠の郷に投ぜんと欲するか。抑〻人、彪の冥頑不屈を悪み、必ず之を死地に擠して然る後に已まんとするか。抑〻亦彪の愚暗剛褊、常に危機を蹈み陥穽に臨みて自ら悟らざるか。是に至りて彪、復た人間の事に意無し。苟くも餘齢を保ち、戸を閉じて幽居するを獲ば、尚お古人を友とし、時に或いは著作して憤りを泄らし、首領を全うして以て先子に九原に従わば、則ち死すとも朽ちざるなり。感慨の餘、筆を援きて之を録す。覚えず叙事冗長なれども、亦刪るに忍びざる者は、蓋し臣子の至情なり。時に五月十六日。梅雨濛濛として、黯雲慘澹たり。杜鵑、其の間に悲鳴す。筆を投じて悵然たること、良や久し。
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『回天詩史』・致仕の命と決死・死に代えて訴える決意と翻意彪が篤疾、絶に臨みて復た一点も自ら求むるの念無きを以てす。荘兵衛に因りて諸を台聴に達せば、則ち庶わくは以て頽瀾を挽回すべしと。意既に決す。然れども屢〻公の駕に従う者は、両君に謁見するの儀有り。事頗る厳密にして、輒く舎に帰るを得ず。参政府(側用人の局にして、本は中奥に在り。近来は参政と局を同じくす)に黙座して以て俟つ。将に一詩を留めて親朋に訣せんとし、君辱めらるれば臣死すべし、死豈に毫も辞すべけんやの二句を獲たり。会〻近臣の命を伝うる有り、遽かに彪を召す。趨りて公所に至れば、則ち元老中山、執政戸田、座に在り。公、反復して談論するに、大率曩日水戸の有司に言いし者の如し。中山等将に退かんとするに、公、容を改めて曰く、寡人不肖にして、士民を撫育する能わず。他事を以て罪を幕府に獲るは、固より辞する所に非ず。但だ異志を懐き禍心を蔵するを以て疑わるれば、則ち啻に寡人の辱のみならず、威公以来相伝うるの意、荒れん。寡人をして不幸にして寿無からしめば、則ち徒らに憾みを呑み恨みを懐きて死せん。苟くも天、餘年を仮さば、則ち必ず冤を洗い辱を雪ぎ、然る後に已まん。汝等其れ寡人の意を体せよと。声色倶に厲し。三人、感憤して仰ぎ視る能わずして退く。彪、参政府に帰り、幡然として謂う、吾過てり、吾過てりと。幕府の公を疑う所以の者、既に深し。其の処分、蓋し既に定まれり。仮令い公に万一不良の跡有らば、則ち彪、寸裂肢体して以て公の難に代わるは、固より其の分なり。今、公の精忠は日月と光を争う。不幸にして讒人の間する所と為る。而るに彪、死を以て之を訴うれば、則ち彼将に謂わんとす、水藩に以て自ら明らかにするに辞無し、乃ち其の臣某、自ら尽くして以て其の罪を贖うと。是れ彪、公の冤を明らかにせんと欲して、反って讒者の言を実証するなり。身を殺して国を害す。不忠不孝、孰れか大ならん。忽ち報有り、閣老、命を伝え、明朝を以て高松(松平讃州君)・守山(松平大学君)・長沼(松平播州君。皆本藩の支封なり。松平大炊君を召さざるは、当時病に移りて出でざるを以てなり)の三侯を召すと。
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『回天詩史』・題・序・幽閉の身が詩に史を託した序回天詩史 巻之上 水戸 藤田彪斌卿 題し并びに述懐を録す 序有り。余の罪を獲て屏居するや、偶〻三たび死を決して而も死せずの句を得たり。既にして又其の韻に就き、廑かに二十五回刀水を渡るの句あり。一句を得る毎に往事を追懐し、感慨四つながら集まる。乃ち其の句に就き、事実を左に録す。此の如き者連日、遂に八韻十四句を成す。其の句も亦十一篇と為す。其の事を敍するや、或いは類に触れて之を長じ、或いは物に託して之を発す。固より憂いを遣り鬱を泄らすの餘に出ずと雖も、亦以て世変を観るべし。因りて命じて詩史と曰う。其の冠するに回天の二字を以てするは、蓋し竊かに微意の存する有り。然れども言頗る忌諱に触れ、亦事に機密多し。敢えて他人に示すに非ず、聊か子孫に遺すと云う。三たび死を決して而も死せず。二十五回刀水を渡る。五たび閑地を乞うて閑を得ず。三十九年七たび処を徙る。邦家の隆替は偶然に非ず。人生の得失豈に徒爾ならんや。自ら驚く塵垢の皮膚に盈つるを。猶お餘す忠義の骨髄に填つるを。嫖姚・定遠は期すべからず。丘明・馬遷は空しく自ら企つ。苟くも大義を明らかにし人心を正さば、皇道奚ぞ興起せざるを患えん。斯の心奮発して神明に誓う。古人云う、斃れて後已むと。
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『回天詩史』・刀水・江戸往来・君臣丸の船旅と二十五回目の刀水潮来に比ぶるまで、小艇蓋し三百餘、民も亦千を以て数う。公、郡吏に命じ、大樽を岸に具え、蓋を撤して酒を酌み、諸を巨椀に盛りて、纜を牽く民に賜う。民喜びて之を傾くること、猶お長鯨の百川を吸うがごとし。明日も亦舟行を擬す。適〻風波険悪にして、乃ち陸行して小川に抵りて館す。又明日、海老沢に抵り、軽飈丸(君臣・軽飈、皆船の名)に乗り、蒜湖を過ぎ、那珂の水を泝りて城に帰る。是の行や、彪、執政戸田・番頭中村等と陪従す。其の舟中に侍するや、近臣は管を吹きて楽を奏し、舟子は舷を扣いて歌を発す。既に酒肴の賜に飽き、又江山の勝を覧観す。時に方に盛夏なれども、清風四もに至り、眼界豁然として、復た炎熱の何物たるを知らず。真に一時の壮遊なり。今玆甲辰、幕府、公に参府を命ず。彪又従う。公遂に致仕し、駒籠邸に幽居す。彪等は則ち小石川邸舎に禁錮せらる。指を屈して之を数うれば、凡そ刀根の水を渡りて往来する者、是に至りて既に二十五回なり。蘇東坡の詩に云う、便ち官に与えて水手に充つるに合う、此の生何ぞ曾て略〻津を知らん、と。今、東湖居士は武常の路に諳熟す。亦尋常の駅使の下に在らざるなり。屏処黙座し、駒邸を仰望して、老公の幽鬱、或いは病を致さんことを憂い、俯して故郷を憶い、阿母の心を痛めて門に倚るを察す。彪の頑鈍を以てすと雖も、血涙の臆を沾す者、数〻なり。嗚呼天定まりて人に勝つ。老公の冤、一旦氷釈し、飄然として閑を仙湖の上に就く。彪輩も亦少しく其の禁を緩め、去りて旧廬に帰り、萱堂の膝下に歓びを奉ずるは、其の何れの日に在るかを知らざるなり。刀水に霊有らば、則ち必ず彪の江を渡るを俟ち、更に一回を添えん(五月十八日録す)
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『回天詩史』・同志と江戸出立・人物評でたどる同志の顔ぶれ増子(名は淑茂、字は子柏、幸八郎と称す。人と為り寛厚簡易にして、奪うべからざるの節有り)・大嶺(名は広貞、大八と称す。胆略を以て世に称せらる)は、義に仗りて惑わず。則ち白石(名は重隆、又右衛門と称す。所謂如先生の長子)・小原(名は俊彦、忠次郎と称す)・山中(名は幸当、市郎衛門と称す)・坂場(名は時敏、彦助と称す)・安島(名は信順、彦之允と称す)は、明毅にして事を幹む。則ち石河(名は幹忠、字は公恕、徳五郎と称す)・金子(名は教孝、孫次郎と称す。川瀬翁の次子にして、出でて金子氏を冒す)は、文雅にして才有り。則ち村田(名は正定、字は子経、弥一郎と称す。翠軒先生の門人)・秋山(名は盛恭、字は子謙、弥九郎と称す。初め高橋子大に従いて学び、後に先子の門に遊ぶ。気力人に絶す。人或いは之を忌む。唯だ吉成・桑原及び彪のみ、相交ること尤も深し)は、節を守りて変ぜず。則ち太田(名は政徳、彦五郎と称し、後に甚太夫と更む)・池原(名は正重、八作と称す)・岡野(名は貞行、軍蔵と称す)は、義を見て敢えて為す。則ち馬場(名は盛、祜介と称す)・小戸田(名は忠誨、弥次郎と称す。忠敞の弟。今安島氏を冒す。〇冠するに小の字を以てするは、其の父兄に別たんが為なり。下も之に倣う)・岡本(名は秀俊、平九郎と称す)・菊池(名は徳馨、秀介と称す)は、狷介にして守る有り。則ち後藤(名は則敬、安兵衛と称す)・小瀬(名は則行、軍蔵と称す)・小川瀬(名は教忠、隼太と称す。川瀬翁の長子)・小吉成(名は亭、十次郎と称す。信貞の弟)は、陪臣にして義有り。則ち小田野(名は篤、権之介と称す。松平氏の家臣)は、小官にして志有り。則ち中村(名は雅言、三郎と称し、後に三五衛門と更む)、蓋し皆一時の選なり。其の水戸に留在し、抑えて発せず、隠然として侮りを禦ぐの力を致す者も、亦尠からずと云う。是の夜、哀公薨ず。

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