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回天詩史 / 武備と海防・鐘を大砲に 仏寺整理と神道

公嘗毀封內銅佛及梵鐘。鑄以造熕銃。議者或難之。公曰。昔者大猷公使松平豆州毀大佛以鑄錢。無他。變無益爲有用也。且夫佛能濟度衆生。鐘能戒怠惰。今變而用諸海防。塵腥膻之夷賊。濟神州之生靈。以振起天下之怠惰。其用不亦大且廣乎。於是人皆服公之識。而自其憤者而觀之。則益憤焉。公夙有興隆神道(神道非所謂神道者流之見。其大意見於公所作弘道館記)之志。蓋威公(公嘗受神道於萩原兼從。每有慕日本武尊之爲人)之遺志而義公之所述也。至是神祇祭儀混於浮屠者。務歸清潔。逐破戒之僧者若干人。其畏罪自逃者亦若干人。毀佛寺者前後二百數十區。其所謂修驗之徒。或轉爲祠官。或降爲農夫之類。不遑枚擧。葬祭之禮。殆布於都鄙。於是人皆服公之果斷。而自其怒者而觀之。則益怒焉。其他正二百年紛淆之經界。建三千載未嘗有之學校。(公之於國事。經界學校尤爲大業。而經界殊難。彪不肖其在政府也。明奉公命。從事於二大業。以故頗詳其本末曲折。而非百千言所能盡也。請別論述二事。使後人有所考。今不復贅)凡公之所爲。皆出人意表。其所謂忌憚妬嫉憤怒者。環而讒之。則公之遭奇禍。亦非偶然也。雖然今日之事。豈公一身之禍哉。抑獨本藩之不幸哉。噫(五月二十三日。二十四日。二十五日錄)

新字:公嘗毀封内銅仏及梵鐘。鋳以造熕銃。議者或難之。公曰。昔者大猷公使松平豆州毀大仏以鋳銭。無他。変無益為有用也。且夫仏能済度衆生。鐘能戒怠惰。今変而用諸海防。塵腥膻之夷賊。済神州之生霊。以振起天下之怠惰。其用不亦大且広乎。於是人皆服公之識。而自其憤者而観之。則益憤焉。公夙有興隆神道(神道非所謂神道者流之見。其大意見於公所作弘道館記)之志。蓋威公(公嘗受神道於萩原兼従。毎有慕日本武尊之為人)之遺志而義公之所述也。至是神祇祭儀混於浮屠者。務帰清潔。逐破戒之僧者若干人。其畏罪自逃者亦若干人。毀仏寺者前後二百数十区。其所謂修験之徒。或転為祠官。或降為農夫之類。不遑枚挙。葬祭之礼。殆布於都鄙。於是人皆服公之果断。而自其怒者而観之。則益怒焉。其他正二百年紛淆之経界。建三千載未嘗有之学校。(公之於国事。経界学校尤為大業。而経界殊難。彪不肖其在政府也。明奉公命。従事於二大業。以故頗詳其本末曲折。而非百千言所能尽也。請別論述二事。使後人有所考。今不復贅)凡公之所為。皆出人意表。其所謂忌憚妬嫉憤怒者。環而讒之。則公之遭奇禍。亦非偶然也。雖然今日之事。豈公一身之禍哉。抑独本藩之不幸哉。噫(五月二十三日。二十四日。二十五日録)

書き下し

公嘗て封内の銅仏及び梵鐘を毀ち、鋳て以て熕銃を造る。議者或いは之を難ず。公曰く、昔者大猷公、松平豆州をして大仏を毀ち、以て銭を鋳せしむ。他無し、無益を変じて有用と為すなり。且つ夫れ仏は能く衆生を済度し、鐘は能く怠惰を戒む。今変じて海防に用ゐ、腥膻の夷賊を塵(はら)ひ、神州の生霊を済(すく)ひ、以て天下の怠惰を振起せんとす。其の用、亦た大にして且つ広からずや、と。是に於いて人皆公の識に服す。而るに其の憤る者より之を観れば、則ち益々憤る。公は夙に神道を興隆するの志有り。(神道は所謂神道者流の見に非ず。其の大意は公の作る所の弘道館記に見ゆ)蓋し威公(公は嘗て神道を萩原兼従に受く。每に日本武尊の人と為りを慕ふ有り)の遺志にして、義公の述ぶる所なり。是に至りて神祇の祭儀の浮屠に混ずる者は、務めて清潔に帰せしむ。破戒の僧を逐ふ者若干人、其の罪を畏れて自ら逃ぐる者も亦た若干人。仏寺を毀つ者、前後二百数十区。其の所謂修験の徒は、或いは転じて祠官と為り、或いは降りて農夫と為るの類、枚挙に遑あらず。葬祭の礼、殆ど都鄙に布く。是に於いて人皆公の果断に服す。而るに其の怒る者より之を観れば、則ち益々怒る。其の他、二百年紛淆の経界を正し、三千載未だ嘗て有らざるの学校を建つ。(公の国事に於けるや、経界・学校尤も大業と為す。而して経界は殊に難し。彪不肖にして其の政府に在るや、明らかに公命を奉じ、二大業に従事す。以て頗る其の本末曲折を詳らかにす。而して百千言の尽くす所に非ず。請ふ、別に二事を論述し、後人をして考ふる所有らしめん。今は復た贅せず)凡そ公の為す所は、皆人の意表に出づ。其の所謂忌憚妬嫉憤怒する者、環りて之を讒すれば、則ち公の奇禍に遭ふも、亦た偶然に非ず。然りと雖も今日の事、豈に公一身の禍ならんや。抑も独り本藩の不幸ならんや。噫(五月二十三日、二十四日、二十五日録す)

現代語訳

公はかつて領内の銅の仏像や梵鐘を取り壊し、鋳直して大砲や銃を造りました。議論する者の中にはこれを難じる者もいました。公は言いました。昔、大猷公(家光)は松平豆州(信綱)に大仏を取り壊させ、銭を鋳造させた。ほかでもない、無益なものを有用なものに変えたのである。そもそも仏は衆生を救い、鐘は怠惰を戒めるものだ。いま姿を変えて海防に用い、なまぐさい夷賊を払い、日本の民を救い、天下の怠惰を奮い立たせようとする。その用は大きくて広いではないか、と。そこで人々は皆、公の見識に服しました。しかし、公に憤る者から見れば、いっそう憤るのでした。公は早くから神道を盛んにする志を持っていました。(神道とは、いわゆる神道家の見解ではありません。その大意は公の作った弘道館記に見えます)これは威公(公はかつて神道を萩原兼従から受けました。つねに日本武尊の人柄を慕っていました)の遺志であり、義公が述べ継いだものです。ここに至り、神祇の祭儀で仏教と混じっているものは、努めて清らかな形に戻させました。戒律を破った僧を追い払った数は若干人、罪を恐れて自ら逃げた者も若干人です。仏寺を取り壊した数は、前後で二百数十か所です。いわゆる修験の者たちは、神職に転じたり、農夫に身を落としたりした類があり、数えきれません。葬祭の礼は、ほとんど都鄙に行きわたりました。そこで人々は皆、公の果断に服しました。しかし、公に怒る者から見れば、いっそう怒るのでした。そのほか、二百年のあいだ紛糾していた境界を正し、三千年来かつてなかった学校を建てました。(公の国事において、経界(土地の境界整理)と学校が最も大きな事業です。経界は特に難事でした。私(彪)は不肖ながら藩の政府にいたとき、明確に公の命を受けて、この二大事業に従事しました。このためその経緯と曲折をかなり詳しく知っています。しかし、とても百や千の言葉では言い尽くせません。どうか別に二つの事を論述して、後の人の参考にさせてください。ここではこれ以上述べません)およそ公のなさったことは、すべて人の予想を超えていました。いわゆる忌み憚り、妬み嫉み、憤り怒る者たちが取り巻いて讒言したのですから、公が思いがけない禍に遭ったのも、偶然ではありません。しかしながら、今日の事態は、どうして公ひとりの禍でしょうか。また、わが藩だけの不幸でしょうか。ああ。(五月二十三日、二十四日、二十五日に記す)

解説

この章句は、無益なものを有用なものに変える発想と、断行した改革が反発も呼んだことを記します。原文には仏寺の整理や神道の振興など宗教に関わる強い施策が含まれ、当時の価値観に基づくものです。ここでは歴史的な文脈として読み、現代に置き換えます。使われていない資産を本来の目的に振り向ける考え方、境界整理や学校設立のような難しい基盤づくりの価値は、今も有効です。管理職は、改革の効果と同時に、それが生む反発を想定し、説明と合意づくりに時間を割くことが大切です。

この章句が説くこと

回天詩史藤田東湖徳川斉昭海防資源の再活用改革と反発

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