回天詩史 / 老公への譴責・老公の述懐と改革への幕府の疑い
圖旬日之間。備州免職致仕。而寡人則賜五六年之暇。時閣老水野越州等寄書曰。寡人不欲參府。故有是命。嗚呼寡人雖無似。以懿親備員三藩。而當此中興之運。豈無速參府以補涓埃之志耶。自顧唐突進取。徒爲小人所譏。斯其所以持重。而閣老誣以寡人不欲參府。不亦戾乎。寡人嘗上中興之議。首論日光神廟不可不拜也。亡幾有外夷之警。幕府令諸侯。嚴繕兵備。承平日久。金革鏽腐。兵銃不完。一旦補脩。其費不貲。寡人因又議。上自幕府下至諸侯及麾下士林。悉傾拜神廟之費。以充金革兵銃之用。待數年之後。風俗儉素財用漸足。然後有日光之行。則奮武追孝。兩得其宜矣。閣老又寄書曰。日光之行旣決矣。君若不能預參。則宜辭以窮乏。嗚呼水戶雖貧。豈欠數十里行旅之資耶。且寡人所議。固非一國一家之事。而閣老疑寡人託正議以營私。不亦異乎。去歲四月。還自日光。越一月誤蒙褒賞。加以雄刀鞍鐙黃金之賜。使寡人繼義公遺志。以效奉公之誠。寡人感激。自顧經界旣正。學校粗就。器械甲兵。頗得繕修。國中子弟亦漸知方。而佛敎蠹民心者未除。僧徒害風俗者未沙汰。神祇荒廢者亦未興復。昔者義公定一村一祠之制。毀淫祠者不可枚擧。沙汰無賴之僧徒。遂毀佛寺者蓋以千數矣。百歲之久其弊復生。豈可不脩公之緒。以對幕府之盛意乎。乃發命下令。其於神祇。興廢繼絶以致尊崇之誠。其於浮屠。所謂如法也賞之。破戒也罰之。伽藍傾頽無由補葺者。因毀之。沙門壯強請爲氓者。因髮之。凡有害於俗無益於民者。務除其弊。
新字:図旬日之間。備州免職致仕。而寡人則賜五六年之暇。時閣老水野越州等寄書曰。寡人不欲参府。故有是命。嗚呼寡人雖無似。以懿親備員三藩。而当此中興之運。豈無速参府以補涓埃之志耶。自顧唐突進取。徒為小人所譏。斯其所以持重。而閣老誣以寡人不欲参府。不亦戻乎。寡人嘗上中興之議。首論日光神廟不可不拝也。亡幾有外夷之警。幕府令諸侯。厳繕兵備。承平日久。金革鏽腐。兵銃不完。一旦補脩。其費不貲。寡人因又議。上自幕府下至諸侯及麾下士林。悉傾拝神廟之費。以充金革兵銃之用。待数年之後。風俗倹素財用漸足。然後有日光之行。則奮武追孝。両得其宜矣。閣老又寄書曰。日光之行既決矣。君若不能預参。則宜辞以窮乏。嗚呼水戸雖貧。豈欠数十里行旅之資耶。且寡人所議。固非一国一家之事。而閣老疑寡人託正議以営私。不亦異乎。去歳四月。還自日光。越一月誤蒙褒賞。加以雄刀鞍鐙黄金之賜。使寡人継義公遺志。以効奉公之誠。寡人感激。自顧経界既正。学校粗就。器械甲兵。頗得繕修。国中子弟亦漸知方。而仏教蠹民心者未除。僧徒害風俗者未沙汰。神祇荒廃者亦未興復。昔者義公定一村一祠之制。毀淫祠者不可枚挙。沙汰無頼之僧徒。遂毀仏寺者蓋以千数矣。百歳之久其弊復生。豈可不脩公之緒。以対幕府之盛意乎。乃発命下令。其於神祇。興廃継絶以致尊崇之誠。其於浮屠。所謂如法也賞之。破戒也罰之。伽藍傾頽無由補葺者。因毀之。沙門壮強請為氓者。因髪之。凡有害於俗無益於民者。務除其弊。
書き下し
図らんや旬日の間に、備州は免職致仕し、而して寡人は則ち五六年の暇を賜る。時に閣老水野越州等、書を寄せて曰く、寡人参府を欲せず、故に是の命有りと。嗚呼寡人、無似と雖も、懿親を以て三藩に備員す。而るに此の中興の運に当たり、豈に速やかに参府して以て涓埃を補うの志無からんや。自ら顧みるに、唐突に進取するは、徒らに小人の譏る所と為る。斯れ其の持重する所以なり。而るに閣老は寡人の参府を欲せざるを以て誣う。亦戻らずや。寡人嘗て中興の議を上り、首に日光の神廟拝せざるべからざるを論ず。幾ばくも亡く、外夷の警有り。幕府、諸侯に令して、嚴に兵備を繕わしむ。承平日久しく、金革鏽腐し、兵銃完からず。一旦補修せば、其の費貲らず。寡人因りて又議す、上は幕府より下は諸侯及び麾下の士林に至るまで、悉く神廟を拝するの費を傾けて、以て金革兵銃の用に充て、数年の後、風俗儉素にして財用漸く足るを待ち、然る後に日光の行有らば、則ち奮武追孝、両つながら其の宜しきを得んと。閣老又書を寄せて曰く、日光の行既に決す。君若し預かり参ずる能わずんば、則ち宜しく辞するに窮乏を以てすべしと。嗚呼水戸貧しと雖も、豈に数十里の行旅の資を欠かんや。且つ寡人の議する所は、固より一国一家の事に非ず。而るに閣老は寡人の正議に託して以て私を営むかと疑う。亦異ならずや。去歳四月、日光より還る。一月を越えて誤って褒賞を蒙り、加うるに雄刀・鞍鐙・黄金の賜を以てす。寡人をして義公の遺志を継ぎ、以て奉公の誠を効さしむ。寡人感激す。自ら顧みるに、経界既に正し、学校粗〻就り、器械甲兵も頗る繕修を得たり。国中の子弟も亦漸く方を知る。而るに仏教の民心を蠹する者は未だ除かれず、僧徒の風俗を害する者は未だ沙汰せられず、神祇の荒廃せる者も亦未だ興復せず。昔者、義公は一村一祠の制を定め、淫祠を毀つ者は枚挙すべからず。無頼の僧徒を沙汰し、遂に仏寺を毀つ者は蓋し千を以て数う。百歳の久しき、其の弊復た生ず。豈に公の緒を修めて以て幕府の盛意に対えざるべけんや。乃ち命を発し令を下す。其の神祇に於いては、廃を興し絶を継ぎ以て尊崇の誠を致す。其の浮屠に於いては、所謂如法なるは之を賞し、破戒なるは之を罰す。伽藍の傾頽して補葺する由無き者は、因りて之を毀つ。沙門の壮強にして請いて氓と為る者は、因りて之を髪にす。凡そ俗に害有り民に益無き者は、務めて其の弊を除く。
現代語訳
(公は続けて)「思いがけず、十日ほどのうちに、備前守は免職・辞職となり、私は五、六年の暇を賜った。そのとき老中の水野越前守らが手紙を寄越し、『私が参府を望まないため、この命があった』と言ってきた。ああ、私は取るに足らない者だが、近い血縁として三家の一つに名を連ねている。この中興の時運にあって、速やかに参府して、わずかなりとも力を添えようという志がないはずがない。顧みれば、唐突に進み出るのは、ただ小人にそしられるだけだ。だから慎重にしたのである。それなのに老中は、私が参府を望まないのだと誣いた。理に反していないか。私はかつて中興の議を上申し、まず日光の神廟を拝まなければならないと論じた。まもなく外国船の警報があり、幕府は諸侯に命じて軍備を厳しく整えさせた。長い泰平で武具は錆び腐り、鉄砲も完全ではない。一度に補修すればその費用は莫大だ。そこで私はまた議した。上は幕府から下は諸侯や旗本の侍に至るまで、神廟参拝の費用をすべて武具と鉄砲に充て、数年後に風俗が質素になり財用が足りてから日光へ行けば、武を奮うことと先祖を追慕することの両方がよろしきを得るだろう、と。老中はまた手紙を寄越した。『日光行きはもう決まった。もし貴殿が参加できないなら、窮乏を理由に辞退すべきだ』と。ああ、水戸は貧しいといっても、数十里の旅費にも事欠くだろうか。しかも私の議論は、もとより一国一家の事ではない。それなのに老中は、私が正論に託して私利を図るのではないかと疑った。これも異様ではないか。昨年四月、日光から帰った。一か月して、思いがけず褒賞をいただき、さらに雄刀、鞍と鐙、黄金を賜った。私に義公(光圀)の遺志を継がせ、奉公の誠を尽くさせるためだ。私は感激した。顧みれば、領内の境界は正され、学校もおおよそ成り、武器も相当に整った。国中の若者も次第に道を知るようになった。しかし、仏教で民心をむしばむものはまだ除かれず、風俗を害する僧侶は整理されておらず、荒廃した神社もまだ復興されていない。昔、義公は一村一社の制を定め、淫祠(正しくない祠)を壊した数は数えきれず、不良の僧侶を整理し、ついに壊した仏寺は千を数えるほどだった。それから百年、その弊害がまた生じている。義公の遺業を修めて幕府の盛意に応えないでいられようか。そこで命令を出した。神社については、廃れたものを興し絶えたものを継いで尊崇の誠を尽くす。仏教については、戒律を守る者を賞し、破る者を罰する。寺院が傾き荒れて修理できないものは壊す。僧侶で壮健で還俗を願う者は、髪を伸ばさせる。すべて風俗に害があり民に益のないものは、努めてその弊害を除く。
解説
この章句が説くこと
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『回天詩史』・老公への譴責・江戸へ向かう病身と死の覚悟今、未だ義公の十分の一をも行う能わず。(曰く十分の一とは、公の謙遜の辞なり。而れども彪、直ちに其の言を記す。観る者、辞を以て意を害せざれば可なり)而るに群議鼎沸し、僧徒の罪を獲る者は極口誹謗し、甚だしきは則ち寡人を以て異志を懐くと為す。凡そ寡人の為す所、動もすれば群疑に渉ること此の如し。而るに寡人、経意せず、自信愈〻厚し。常に謂う、形迹を慎み嫌疑を避け、陰かに武備を講じ不虞を戒むるは、所謂国主及び外諸侯の事のみ。親藩に至りては、則ち固より宜しく公然と張皇し、以て治まるも乱を忘れず、忠を宗室に効すの意を天下に示すべし。乃ち銃を郊に鋳、兵を野に閲し、臣庶に実用実効を責め、毫も隠諱有ること無し。讒人、因りて之を間つ。抑〻亦危うきかな。然れども大将軍は英明絶倫なり。豈に讒を信じて骨肉の親を疑い、破戒不律の僧をして寡人に甘心せしめんや。汝等以て何如と為すと。有司惶懼して対うる所を知らず。公曰く、台命至って厳なり。依違すべからず。其れ遽かに行装を辦ぜよと。有司、五月二日を以て発軔せんことを請う。公許す。執政結城寅寿、番頭雑賀孫市、側用人彪等、従う。彪は四月二十八日より病に臥し、是に至りて悪寒頭痛殊に甚し。衆医、其の行を難しとす。彪、心に謂う、斯の行、死すとも且つ辞せず。区区たる病痾、奚ぞ経意するに足らんと。慨然として自ら奮い、萱堂及び妻拏に告別し、心に永訣を誓う。適〻姻好の武田伯道来たりて餞す。彪の心事を揣知し、杯杓を把るに忍びずして去る。彪、家人の之を怪しまんことを慮る。故に親戚数人を呼び、強いて酒を飲む。亦醉う能わざるなり。遂に二日の黎明を以て家を辞す。蓋し行程四日間、粒食僅かに二三碗に過ぎず。其の苦、知るべきなり。五日巳の牌、公に従いて小石川邸に入る。故事、三藩の君、参府すれば、即日、大将軍、閣老を使わして第に就きて之を賀せしむ。而るに是の日は闕く。邸中失望し、皆曰く、公は必ず厳譴を獲んと。彪、竊かに謂う、事既に発せば、噬臍及ぶ無し。其の未だ発せざるに及びて、早く之が計を為すに如かずと。然れども臣子の変に処するや、身を殺して以て冤を訴うれば、則ち人或いは其の志を憐れみて其の言を信ず。徒らに口舌を以て争えば、則ち愈〻猜疑を来たして奇禍を受く。嘗て聞く、幕府の監察に桜井荘兵衛なる者有り。其の人、善を好み気概有り。洒ち従容として死に就き、一書を遺して公の冤を訴え、終うるに
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『回天詩史』・水戸の家風と文政・文公の仁政と武公の志(両野常陸間の俗、貧民或いは子を挙げず。拉殺の孽、惨毒尤も甚だし。而して民、習ひて以て常と為し、恬然として怪しまず。公深く之を慨き、郡官・市司等の職に命じ、務めて其の弊を矯めしむ。若し民、極窮にして子を育つる能はざる者あれば、給するに資用を以てす。封内の赤子、頼りて以て活く者、勝げて数ふべからず。其の法制今猶ほ准行す。凡そ民にして七子以上有る者は、官に褒賞せらる、と云ふ)其の書を読み文を右(たふと)ぶこと、義公以来其の比有らず。(初め義公大日本史を修し、千歳の欠典を補ふ。然れども其の書は私撰に属するを以て、公に世に諸(つま)らかにするを得ず。其の伝写して世に行はるる者は、謬誤甚だ多し。而して正徳以後、文学陵夷し、其の館職に任ずる、総裁と曰ひ編修と曰ふも、実に名に副ふに足らず。文公は文を好み、一国風に嚮(むか)ふ。長久保玄珠・立原万の徒、其の前に唱へ、高橋広備・先臣一正の儔、其の後に和す。公遂に広備・一正等に委ねて、刊修の事を以てす。校訂補輯、率ね虚日無し。文化年間、関白藤公に因りて、九重の進止を取り、書名を公行するを獲たり。乃ち其の先に就(な)りし者を木に上せ、天朝に献じ、幕府に進むるは、皆文公の志にして、武公の継述の力なり)当時の大将軍(文恭公)は春秋に富み、(公の年十四)即位す。白河源侯(松平越中守、名は定信。致仕して楽翁と号す)及び今侯(桑名に移封)は宰輔の任に居り、三藩の君を援けて以て倚頼す。今恭しく公の親筆秘録を観るに、(亦た秘書府に蔵す。嚢を以て部を分かち、諸(これ)を桐匣に納む。堅横三尺ばかり、深さ二尺ばかりにして、秘録盈(み)つ)其の天下に裨益有る者に非ざるは無く、勝げて数ふべからず。其の国政に於いても、亦た美事に乏しからず。而して公は奢侈の後を承け、財用足らず、功利の徒の或いは乗じて起こり、遂に公の徳を累(わずら)はす者或いは有り。然れども位に在ること三十余年、未だ嘗て士を愛し民を撫するの政を忽せにせず。其の徳沢の闔境に浹洽する者は、今に至りて猶ほ深し。武公は寛裕にして果断、志は大体に存し、大いに言路を開き、庶政を脩明す。丙寅・丁卯の間、慨然として大いに為すこと有るの志あり。(是より先、国用窮乏し、浪華の富商に仰ぎ給せらる。歳月の久しきに、子銭は倍蓰し、国は其の弊に勝へず、風俗紀綱之が為に頽敗す。公は此に見る有り、有司に命じて其の顛末を推し、其の源委を究めしむ。或いは其の子銭を捐(す)て、其の母金を与へ、或いは限るに歳月を以てし、断然として浪華の富商と絶つ。是に於いて、入るを量りて出づるを為し、不虞に備豫するの志有りと云ふ)巨室は手を束(つか)ぬ。

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