回天詩史 / 郡廳の事・常平倉の構想と江戸の狭い住まい
民亦不甚貧。又富於名山水。其巡視部下。時或登臨跋涉。足以盪滌郡宰之俗腸。但憾父老導焉。僚吏從焉。農夫輟耕。拜伏於道左耳。四郡之制。皆與同僚相議。施設如約。以故其於部下。無別出意見布新政者。嘗欲設常平倉於太田部垂(今改大宮)太子三所。太田部垂則粗成。未遑及太子而止。後人善知彪意。而善脩之。則庶乎民不患米價之甚上下。而姦商無所逞其欲矣。(公亦嘗有設常平倉之志。命參政及倉奉行。務儲蓄米穀。以爲其資。今玆甲辰之春。見有米四千苞粟七萬苞金千六百兩餘。常平之爲設。以貴糶賤糴爲主。其術如疎而善觀時應變。則民大被其澤。公室亦不爲不利。而俗吏不知大體。動欲糴於賤而糶於貴。何以異於姦商之爲。苟非其人。則道不虛行。信哉)居歲餘。徙家於江戸之邸。居所謂臺之西偏。牆外數步。則常泉西岸二寺當其西。朝夕唯聞念佛誦經之聲。出戸十數步。則後樂園之深樹蔽其東。日出三竿。紙窻猶暗。其稱南北隣者。僅隔一壁耳。我梅巷之廬。比之他第宅。尤爲狹隘。而邸舍之地。不過敝廬八分之一。適夏秋之交。炎熱逼人。殆不可堪。彪自奮曰。昔者寓吉田翁之舍也。其室不過方九尺。四面皆壁。僅取明於小窓。
新字:民亦不甚貧。又富於名山水。其巡視部下。時或登臨跋渉。足以盪滌郡宰之俗腸。但憾父老導焉。僚吏従焉。農夫輟耕。拝伏於道左耳。四郡之制。皆与同僚相議。施設如約。以故其於部下。無別出意見布新政者。嘗欲設常平倉於太田部垂(今改大宮)太子三所。太田部垂則粗成。未遑及太子而止。後人善知彪意。而善脩之。則庶乎民不患米価之甚上下。而姦商無所逞其欲矣。(公亦嘗有設常平倉之志。命参政及倉奉行。務儲蓄米穀。以為其資。今玆甲辰之春。見有米四千苞粟七万苞金千六百両余。常平之為設。以貴糶賤糴為主。其術如疎而善観時応変。則民大被其沢。公室亦不為不利。而俗吏不知大体。動欲糴於賤而糶於貴。何以異於姦商之為。苟非其人。則道不虚行。信哉)居歳余。徙家於江戸之邸。居所謂台之西偏。牆外数歩。則常泉西岸二寺当其西。朝夕唯聞念仏誦経之声。出戸十数歩。則後楽園之深樹蔽其東。日出三竿。紙窓猶暗。其称南北隣者。僅隔一壁耳。我梅巷之廬。比之他第宅。尤為狭隘。而邸舎之地。不過敝廬八分之一。適夏秋之交。炎熱逼人。殆不可堪。彪自奮曰。昔者寓吉田翁之舎也。其室不過方九尺。四面皆壁。僅取明於小窓。
書き下し
民も亦甚だしくは貧しからず。又名山水に富む。其の部下を巡視するに、時に或いは登臨跋渉し、以て郡宰の俗腸を盪滌するに足る。但だ憾む、父老導き、僚吏従い、農夫耕を輟めて、道左に拝伏するのみなるを。四郡の制、皆同僚と相議し、設施すること約の如し。以て其の部下に於いて、別に意見を出して新政を布く者無し。嘗て常平倉を太田部垂(今、大宮と改む)・太子の三所に設けんと欲す。太田部垂は則ち粗〻成る。未だ太子に及ぶに遑あらずして止む。後人、善く彪の意を知りて、善く之を修めば、則ち庶わくは民、米価の甚だしく上下するを患えず、而して姦商其の欲を逞しくする所無からんか。(公も亦嘗て常平倉を設くるの志有り。参政及び倉奉行に命じ、務めて米穀を儲蓄し、以て其の資と為さしむ。今玆甲辰の春、見に米四千苞・粟七万苞・金千六百両餘有り。常平の設を為すは、貴糶賤糴を主と為す。其の術、疎の如くにして善く時を観て変に応ずれば、則ち民大いに其の沢を被り、公室も亦利ならずと為さず。而るに俗吏は大体を知らず、動もすれば賤に糴して貴に糶せんと欲す。何ぞ姦商の為すに異ならん。苟くも其の人に非ざれば、則ち道虚しく行われずとは、信なるかな)居ること歳餘にして、家を江戸の邸に徙す。所謂台の西偏に居る。牆外数歩にして、則ち常泉西岸の二寺其の西に当たり、朝夕唯だ念仏誦経の声を聞く。戸を出ること十数歩にして、則ち後楽園の深樹其の東を蔽い、日出でて三竿なるも、紙窓猶お暗し。其の南北隣と称する者、僅かに一壁を隔つるのみ。我が梅巷の廬、他の第宅に比ぶるに、尤も狭隘なり。而して邸舎の地、敝廬の八分の一に過ぎず。夏秋の交りに適い、炎熱人に逼り、殆ど堪うべからず。彪、自ら奮いて曰く、昔者、吉田翁の舎に寓するや、其の室は方九尺に過ぎず、四面皆壁、僅かに明を小窓に取る。
現代語訳
民もそれほど貧しくはなく、また名山や名水にも富んでいます。部下の地域を巡視すると、ときには山に登り川を渡り、郡奉行の俗な心を洗い流すに足りました。ただ残念なのは、父老が先導し、役人がお供し、農夫が耕作を止めて道端にひれ伏すだけだったことです。四郡の制度は、同僚とよく相談して、約束どおり施行しました。そのため、部下の地域について、特別に意見を出して新政を布く者はいませんでした。私はかつて、常平倉(米価安定のための穀物倉)を太田部垂(今は大宮と改称)・太子の三か所に設けたいと思いました。太田部垂はおおよそできましたが、太子に手が及ぶ前に止まりました。後の人が私の意を理解してうまく整えれば、民は米価の大きな上下に悩まず、悪徳商人もその欲を逞しくできなくなるでしょう。(公もかつて常平倉を設ける志があり、参政と倉奉行に命じて、努めて米穀を蓄え、その資金にさせました。今年の甲辰の春には、米四千俵・粟七万俵・金千六百両あまりがありました。常平倉を設けるのは、高く売り安く買う(高い時は売り出し安い時は買い入れる)ことを主とします。その術は、ゆるやかなようで、よく時を見て変化に応じれば、民は大いにその恩恵を受け、公室にとっても利益でないことはありません。ところが俗吏は大体を知らず、ともすれば安く買い入れて高く売ろうとします。それでは悪徳商人と変わりません。その人でなければ、道は空しく行われない、というのはまことです。)一年あまり居て、家を江戸の邸に移しました。いわゆる台の西側に住みました。垣根の外数歩のところ、常泉の西岸の二つの寺がその西に当たり、朝夕ただ念仏や読経の声を聞きます。戸を出て十数歩のところに、後楽園の深い木立がその東を覆い、日が三竿(高く)昇っても、紙の窓はなお暗いのです。南北の隣といっても、わずか一枚の壁を隔てるのみ。わが梅巷の家は、他の屋敷に比べて最も狭いのですが、邸の敷地はその家の八分の一にすぎませんでした。夏から秋にかけて、暑さが人に迫り、ほとんど耐えられません。私は自ら奮い立って言いました。「昔、吉田翁の家に寄寓した時、その部屋は九尺四方にすぎず、四方が壁で、小さな窓からわずかに明かりを取っていた。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・禮の用は和を貴しと為す禮法を制して以て萬世に垂れ天下を繩する者は、須らく是れ時中の聖人天理人情の至を斟酌して之を為すべし。一に以て極を立て、一毫の矯拂心無く、一毫の懲創心無く、一毫の一切心無し。嚴なれども人情に苦しからず、寬なれども天則に亂れず。天下をして肯へて從ひ萬世相安んぜしむ。故に曰く、「禮の用は和を貴しと為す」と。和の一字は、禮法を制する時合下便ち有り。豈に美と為さずや。是を以て繁密なる者は人の躁心を激し、嚴峻なる者は人の畔心を激す。甚だしき者は、乃ち之を驅るなり。
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三略・中略故に聖王の世を御するや、盛衰を観、得失を度りて、之が制を為す。故に諸侯は二師、方伯は三師、天子は六師なり。世乱るれば則ち叛逆生じ、王沢竭くれば則ち盟誓相ひ誅伐す。
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尉繚子・制談凡そ兵制は必ず先ず制を定む、先ず定まれば則ち士亂れず、士亂れざれば則ち刑乃ち明らかなり。

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