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回天詩史 / 四郡の議・七郡から四郡へ 郡制改革の議

其他沙汰僚吏。賞罰村老之類。事尤多端。每有一疑議。七郡互馳遞諮詢。文移如織。而遂不能盡其情。於是四郡之議起。川瀨尤主張其說。其略曰。昔者威公分封內爲南北中。置郡宰三人。寛永年間。大丈量田野。亦以三人爲之。爾來沿革不一。然未有郡宰出居各所者。蓋以封內狹小可坐治也。近來分封內爲十一。旣而爲九爲七以至今。其制本摸倣肥之熊本。以爲郡宰親察民間疾苦。其撫字庶民。猶慈母之於赤子。則戶口可殖。風俗可變。殊不知庶民狎而不畏吏。村老怠而廢其職。訟獄日滋廳務日繁。且郡宰會議不過歲一再。七郡處置或多矛盾。齷齪守尋常則善矣。若欲大有爲。非減郡廳省冗事。宰吏皆居城下。協力一心而後從事。則決不見成功矣。時七郡僚吏。久居各所。懷土狃安。不欲變吏。百計沮之。公斷然用川瀨之說。辛卯之春復四郡之制。以友部會澤爲政府吏。幹奧右筆局要務。

新字:其他沙汰僚吏。賞罰村老之類。事尤多端。毎有一疑議。七郡互馳逓諮詢。文移如織。而遂不能尽其情。於是四郡之議起。川瀨尤主張其説。其略曰。昔者威公分封内為南北中。置郡宰三人。寛永年間。大丈量田野。亦以三人為之。爾来沿革不一。然未有郡宰出居各所者。蓋以封内狭小可坐治也。近来分封内為十一。既而為九為七以至今。其制本摸倣肥之熊本。以為郡宰親察民間疾苦。其撫字庶民。猶慈母之於赤子。則戸口可殖。風俗可変。殊不知庶民狎而不畏吏。村老怠而廃其職。訟獄日滋庁務日繁。且郡宰会議不過歳一再。七郡処置或多矛盾。齷齪守尋常則善矣。若欲大有為。非減郡庁省冗事。宰吏皆居城下。協力一心而後従事。則決不見成功矣。時七郡僚吏。久居各所。懐土狃安。不欲変吏。百計沮之。公断然用川瀨之説。辛卯之春復四郡之制。以友部会沢為政府吏。幹奥右筆局要務。

書き下し

其の他、僚吏を沙汰し、村老を賞罰するの類、事尤も多端なり。一疑議有る毎に、七郡互いに馳遞して諮詢し、文移織るが如し。而れども遂に其の情を尽くす能わず。是に於いて四郡の議起こる。川瀬、尤も其の説を主張す。其の略に曰く、昔者、威公、封内を分かちて南北中と為し、郡宰三人を置く。寛永年間、大いに田野を丈量し、亦三人を以て之を為す。爾来沿革一ならず。然れども未だ郡宰出でて各所に居る者有らざるは、蓋し封内狭小にして坐治すべきを以てなり。近来、封内を分かちて十一と為し、既にして九と為り、七と為り、以て今に至る。其の制は本〻肥の熊本に摸倣す。以為らく、郡宰親ら民間の疾苦を察すれば、其の庶民を撫字すること、猶お慈母の赤子に於けるがごとく、則ち戸口殖すべく、風俗変ずべしと。殊に知らず、庶民は狎れて吏を畏れず、村老は怠りて其の職を廃し、訟獄日に滋く、庁務日に繁きを。且つ郡宰の会議は歳に一再に過ぎず、七郡の処置、或いは矛盾多し。齷齪として尋常を守れば則ち善し。若し大いに為す有らんと欲せば、郡庁を減じ冗事を省き、宰吏皆城下に居り、力を協せ心を一にして而る後に事に従うに非ざれば、則ち決して成功を見ず。時に七郡の僚吏、久しく各所に居り、土を懐い安きに狃れ、吏を変うるを欲せず、百計もて之を沮む。公、断然として川瀬の説を用う。辛卯の春、四郡の制に復す。友部・会沢を以て政府の吏と為し、奥右筆局の要務を幹せしむ。

現代語訳

そのほか、役人を整理したり、村の長老を賞罰したりすることなど、事は最も多岐にわたりました。一つの疑問や議論があるたびに、七つの郡が互いに急ぎ使いを走らせて相談し、文書の往復は織物のように密でした。それでもついに事情を尽くすことはできませんでした。そこで四郡の議が起こりました。川瀬が特にその説を主張しました。その要旨は次のとおりです。昔、威公(頼房)は領内を南・北・中に分け、郡奉行三人を置きました。寛永年間には田野を大規模に測量し、これも三人で行いました。以来、制度の変遷はまちまちですが、郡奉行が出て各地に住むという例は、まだありませんでした。それは領内が狭く、座して治められるからです。近ごろ領内を十一に分け、のち九となり、七となり、今に至っています。その制度はもともと肥後の熊本をまねたものです。郡奉行が自ら民間の苦しみを察すれば、庶民を慈しむことは母が赤子に対するようになり、人口も増え、風俗も改まると考えたのです。しかし、庶民はなれなれしくなって役人を畏れず、村の長老は怠けて職を廃し、訴訟は日に日に増え、役所の仕事も日に日に繁雑になることを、まったく分かっていませんでした。また郡奉行の会議は年に一、二度にすぎず、七郡の処置にはときに矛盾が多い。細々と平常を守るだけならそれでよいが、もし大いにことを為そうとするなら、郡役所を減らし、冗長な事務を省き、奉行も役人もみな城下に住み、力を合わせ心を一つにしてから事に当たらなければ、決して成功は見られない、というのです。このとき七郡の役人は、長く各地に住んでいて土地になじみ、安楽に慣れ、役人を入れ替えることを望まず、あらゆる手を尽くして妨げました。公は断固として川瀬の説を用いました。天保二年(辛卯)の春、四郡の制に戻しました。友部と会沢を政府の役人にして、奥右筆局の重要な事務を取りしきらせました。

解説

七郡制から四郡制への改革は、現場に分散した拠点が連絡と判断に時間を浪費し、統一的な処置ができなくなったことへの対応でした。川瀬の議論は、現場に近いほど民の苦しみが分かる反面、慣れが生まれ、権威が薄れて業務が増えるという副作用を指摘しています。現代の組織でも、拠点を分散して現場に近づけた結果、調整コストが膨らむ例は多いでしょう。管理職は、制度が目的に合っているかを定期的に検証し、現状維持を望む声が強くても、データと目的に基づいて見直す決断が必要です。

この章句が説くこと

回天詩史藤田東湖郡制改革四郡川瀬教徳組織設計

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