回天詩史 / 四郡の議・御用調役の沿革と四郡の郡宰
(所謂御用調役者。文公時始置。以菊池平八郞任之。然菊池大抵出入中奧。掌公親書草案。不常在政府。及菊池歿廢其職。文化初武公又置。以高橋又一郞爲之。始常居政府。兼奧右筆之職。本不過掌政府書記。及執政之人。擧樞要之務委諸書記。於是奧右筆局遂然爲親密之地。而其局長稱頭取者。尤執權柄。舊弊浸淫牢固不拔。武公有見於此。欲置調役於書記之上。一洗其舊弊。而流言誹謗一時騷然。高橋遂出爲史館總裁。其職亦廢。天保己丑之冬。今納言公新置側右筆。以掌座右機密文書。欲以殺奧右筆之權。不果。乃廢其職。又置調役。小人尤忌之。而公斷然不惑。居四五年。奧右筆往往轉除。無復曩時之舊弊矣。彪亦嘗在其職者五年。嘗有言曰。調役之職君子居之。則足以維持國家之紀綱。而不能大有爲。苟發大有爲之念。則忽取禍敗。小人居之。則不啻可壞國家之紀綱。亦可以大逞其姦矣。嗚呼其選豈容易哉)山口爲目附。田丸爲勘定奉行。其留在郡宰者三人。川瀨治南。彪治太田(今改稱北)吉成治松岡(今稱東)新以石河幹忠爲宰。治武茂(今稱西)。有志之士。皆企首望中興之化。而政府任事者。猶執舊弊不欲更張也。初哀公季年。命史
新字:(所謂御用調役者。文公時始置。以菊池平八郎任之。然菊池大抵出入中奥。掌公親書草案。不常在政府。及菊池歿廃其職。文化初武公又置。以高橋又一郎為之。始常居政府。兼奥右筆之職。本不過掌政府書記。及執政之人。挙枢要之務委諸書記。於是奥右筆局遂然為親密之地。而其局長称頭取者。尤執権柄。旧弊浸淫牢固不抜。武公有見於此。欲置調役於書記之上。一洗其旧弊。而流言誹謗一時騷然。高橋遂出為史館総裁。其職亦廃。天保己丑之冬。今納言公新置側右筆。以掌座右機密文書。欲以殺奥右筆之権。不果。乃廃其職。又置調役。小人尤忌之。而公断然不惑。居四五年。奥右筆往往転除。無復曩時之旧弊矣。彪亦嘗在其職者五年。嘗有言曰。調役之職君子居之。則足以維持国家之紀綱。而不能大有為。苟発大有為之念。則忽取禍敗。小人居之。則不啻可壊国家之紀綱。亦可以大逞其姦矣。嗚呼其選豈容易哉)山口為目附。田丸為勘定奉行。其留在郡宰者三人。川瀨治南。彪治太田(今改称北)吉成治松岡(今称東)新以石河幹忠為宰。治武茂(今称西)。有志之士。皆企首望中興之化。而政府任事者。猶執旧弊不欲更張也。初哀公季年。命史
書き下し
(所謂御用調役なる者は、文公の時に始めて置く。菊池平八郎を以て之に任ず。然れども菊池は大抵中奥に出入りし、公の親書の草案を掌る。常には政府に在らず。菊池歿するに及び、其の職を廃す。文化の初め、武公又之を置き、高橋又一郎を以て之と為す。始めて常に政府に居り、奥右筆の職を兼ぬ。本は政府の書記を掌るに過ぎず。執政の人に及び、枢要の務めを挙げて諸を書記に委ぬ。是に於いて奥右筆局は遂に然して親密の地と為る。而して其の局長を頭取と称する者、尤も権柄を執る。旧弊浸淫して牢固として抜けず。武公、此れに見る有り、調役を書記の上に置き、一たび其の旧弊を洗わんと欲す。而れども流言誹謗一時騒然たり。高橋遂に出でて史館総裁と為り、其の職も亦廃す。天保己丑の冬、今の納言公、新たに側右筆を置き、以て座右の機密文書を掌らしめ、以て奥右筆の権を殺がんと欲す。果たさず。乃ち其の職を廃す。又調役を置く。小人、尤も之を忌む。而れども公、断然として惑わず。居ること四五年、奥右筆往往にして転除せられ、復た曩時の旧弊無し。彪も亦嘗て其の職に在ること五年。嘗て言有りて曰く、調役の職、君子之に居れば、則ち以て国家の紀綱を維持するに足る。而れども大いに為す有る能わず。苟くも大いに為す有るの念を発せば、則ち忽ち禍敗を取る。小人之に居れば、啻に国家の紀綱を壊すべきのみならず、亦以て大いに其の姦を逞しくすべし。嗚呼、其の選、豈に容易ならんやと)山口は目附と為り、田丸は勘定奉行と為る。其の郡宰に留まる者三人。川瀬は南を治め、彪は太田(今改めて北と称す)を治め、吉成は松岡(今、東と称す)を治む。新たに石河幹忠を以て宰と為し、武茂(今、西と称す)を治む。有志の士、皆首を企てて中興の化を望む。而れども政府の任事者、猶お旧弊を執りて更張せんことを欲せざるなり。初め哀公の季年、史
現代語訳
(いわゆる御用調役というのは、文公(藩主治保)の時に初めて置かれました。菊池平八郎を任じました。しかし菊池はおおむね中奥に出入りして、公の自筆の草案を取り扱い、常には政府にいませんでした。菊池が亡くなるとその職は廃されました。文化の初め、武公(治紀)がまたこれを置き、高橋又一郎を任じました。はじめて常に政府にいて、奥右筆の職を兼ねました。もともとは政府の書記を取り扱うにすぎませんでした。執政の者が枢要の務めをすべて書記に任せるようになり、奥右筆局はついに親密な地位の部署になりました。その局長を頭取と称し、とくに権力を握りました。古い弊害は染み込んで固く抜けませんでした。武公はこれを見て、調役を書記の上に置き、旧弊を一掃しようとしました。しかし流言や誹謗で一時は騒然としました。高橋はついに出て史館総裁となり、その職も廃されました。己丑の冬、今の納言公(斉昭)が新たに側右筆を置き、座右の機密文書を扱わせ、奥右筆の権力をそごうとしましたが果たせず、その職を廃しました。また調役を置きました。小人はこれを特に嫌いました。しかし公は断固として動じませんでした。四、五年の間に、奥右筆はしばしば転任・除任され、昔のような旧弊はなくなりました。私もかつてその職に五年いました。そのとき言ったことがあります。「調役の職は、君子がこれに居れば国家の綱紀を維持するのに十分である。ただし、大いにことを為すことはできない。もし大いにことを為す念を起こせば、たちまち禍いや失敗を招く。小人がこれに居れば、国家の綱紀を壊すだけでなく、悪事を思う存分に行うことができる。ああ、その人選はどうして容易であろうか」と。)山口は目付となり、田丸は勘定奉行となりました。郡奉行に留まった者は三人。川瀬は南を治め、私は太田(今は北と改称)を治め、吉成は松岡(今は東と称する)を治めました。新たに石河幹忠を奉行にして、武茂(今は西と称する)を治めさせました。志ある士は、みな首を長くして中興の教化を望みました。しかし政府の担当者は、なお旧弊に固執して改めようとしませんでした。はじめ、哀公の晩年に、史
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・三者は與に天下の事を謀る可からず昏暗にして諭し難きの識、優柔にして斷ぜざるの性、剛慎にして自ら是とするの心は、皆な與に天下の事を謀る可からず。智者は一たび見れば即ち透り、練者は類に觸れて通じ、困者は熟思して得。
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『呻吟語』内篇・應務・時に達し勢を審らかにす與に事を共にす可きの人を擇ばずんば、則ち厥の心を既さず、其の任に堪へず。或いは虛文を以て相欺き、或いは意見を以て相傾く。譬へば玉杯を小兒に付して、崎嶇の峰に奔走するがごとし。是の故に時に達するを貴ぶ。時なる者は、事を成すの期なり。機に乘ず可き有り、會に際す可き有り。先んぜず後れざれば、則ち其の道行はれ易し。時に達せざるは、譬へば種を堅凍の候に投ずるがごとし。是の故に勢を審らかにするを貴ぶ。
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尚書・冏命慎みて乃の僚を簡べ、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ、其れ惟れ吉士なるべし。
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史記 高祖本紀沛公をして西のかた地を略して関に入らしむ。諸将と約す、先づ入りて関中を定むる者は之を王とせんと。是の時に当たりて、秦の兵彊く、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ふ、諸将先づ関に入るを利とする莫し。独り項羽秦の項梁の軍を破りしを怨み、奮ひて、沛公と西のかた関に入らんことを願ふ。懐王の諸老将皆曰く、「項羽の人と為り彊悍猾賊なり。項羽嘗て襄城を攻め、襄城に遺類無く、皆之を阬にす、諸々の過ぐる所残滅せざる無し。且つ楚数(しばしば)進み取らんとし、前の陳王・項梁皆敗る。更に長者を遣はして義に扶りて西し、秦の父兄に告諭するに如かず。秦の父兄其の主に苦しむこと久し、今誠に長者を得て往き、侵暴する毋くんば、宜しく下すべし。今項羽は彊悍なり、今遣はすべからず。独り沛公素より寛大の長者なり、遣はすべし。」と。卒に項羽を許さずして、沛公を遣はして西のかた地を略し、陳王・項梁の散卒を収めしむ。乃ち碭に道して成陽に至り、杠里の秦の軍と壁を夾み、(魏)[秦]の二軍を破る。楚の軍兵を出して王離を撃ち、大いに之を破る。沛公兵を引きて西し、彭越に昌邑に遇ひ、因りて与に倶に秦の軍を攻む、戦ひて利あらず。還りて栗に至り、剛武侯に遇ひ、其の軍を奪ふ、四千余人可り、之を并す。魏の将皇欣・魏の申徒武蒲の軍と并せて昌邑を攻む、昌邑未だ抜けず。西のかた高陽を過ぐ。酈食其監門為り、曰く、「諸将の此を過ぐる者多し、吾沛公を視るに大人長者なり。」と。乃ち見えんことを求めて沛公に説く。沛公方に牀に踞し、両女子をして足を洗はしむ。酈生拝せず、長揖して、曰く、「足下必ず無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく踞して長者に見ゆべからず。」と。是に於て沛公起ち、衣を摂めて之に謝し、延きて上坐せしむ。食其沛公に説きて陳留を襲はしめ、秦の積粟を得たり。乃ち酈食其を以て広野君と為し、酈商を将と為し、陳留の兵に将たらしめ、与に偕に開封を攻む、開封未だ抜けず。西のかた秦の将楊熊と白馬に戦ひ、又曲遇の東に戦ひ、大いに之を破る。
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『甲陽軍鑑』品第四十三右三対六人の人陣の時大に嫌ふ人也△陣の時大将崇敬なさるゝ人一対づゝ五対合十人一才覚有りて勘定たけく、能き智恵深く、能く損徳の考して理非の二ツには理の方へ近く分別して、蔵よく賂ふ人の事、是一対二人也一心すくやかにて、まなこきゝて分別·才覚有て武道にさかしく、よく物いふ人の事一縦ひ無才覚なり共、分別なく共、物いふ事速かになく共、口わろく共、無能なり共、ねてもさめても武道心がくる人ありて左様のものを大将のみしり給ひ、念比なさるればことくく諸傍輩武篇を心がくる也、
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説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。

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