回天詩史 / 致仕の命と決死・蟄居の命と決死の三度目
彪拜謝而退。是日公裁親書授中山備州。有彪致仕之事云。適閣老土井氏。招執政肥田大助。授罰中山氏以下有司之狀。彪聞之不復入政府。日旣暮。公命駕徙駒籠。彪與同班諸子。送諸中奧廊下。公戴烏帽。著黑衣。風姿蕭然。諸臣莫不流涕。是夜四更。執政肥田傳命。中山興津二氏蒙責(所謂差扣)戶田與彪奪職禁錮(所謂蟄居)五更歸舍。戒僮鎖門戶。後數日獲鄉書。始詳亞卿山野邊氏與中山興津同科。執政鵜殿(名廣生。稱平七)奪職蒙譴(所謂逼塞)而寺社奉行今井則與戶田及彪同科。嗚呼彪浴公之殊遇。非他人比。而不能察禍於未萌。尸位素餐。以致我公今日之辱。死有餘罪。而幕府寬仁。使彪獲生路。有所悔悟。抑亦幸矣。此彪決死而不死之三也。古人有言。死生亦大矣。彪生於平世。齡未盈強仕。而三處死生之間。豈天厭彪生無益於世。欲潔而投之冥漠之鄉耶。抑人惡彪冥頑不屈。必擠之死地然後已耶。抑亦彪愚暗剛褊。常蹈危機臨陷阱而自不悟耶。至是彪無復意於人間之事矣。苟獲保餘齡閉戶幽居。尚友古人。時或著作泄憤。全首領以從先子於九原。則雖死不朽也。感慨之餘。援筆錄之。不覺敍事冗長。而亦不忍刪者。蓋臣子之至情也。時五月十六日。梅雨濛濛。黯雲慘澹。杜鵑悲鳴於其間。投筆悵然者。良久
新字:彪拝謝而退。是日公裁親書授中山備州。有彪致仕之事云。適閣老土井氏。招執政肥田大助。授罰中山氏以下有司之状。彪聞之不復入政府。日既暮。公命駕徙駒籠。彪与同班諸子。送諸中奥廊下。公戴烏帽。著黒衣。風姿蕭然。諸臣莫不流涕。是夜四更。執政肥田伝命。中山興津二氏蒙責(所謂差扣)戸田与彪奪職禁錮(所謂蟄居)五更帰舎。戒僮鎖門戸。後数日獲郷書。始詳亜卿山野辺氏与中山興津同科。執政鵜殿(名広生。称平七)奪職蒙譴(所謂逼塞)而寺社奉行今井則与戸田及彪同科。嗚呼彪浴公之殊遇。非他人比。而不能察禍於未萌。尸位素餐。以致我公今日之辱。死有余罪。而幕府寛仁。使彪獲生路。有所悔悟。抑亦幸矣。此彪決死而不死之三也。古人有言。死生亦大矣。彪生於平世。齢未盈強仕。而三処死生之間。豈天厭彪生無益於世。欲潔而投之冥漠之郷耶。抑人悪彪冥頑不屈。必擠之死地然後已耶。抑亦彪愚暗剛褊。常蹈危機臨陥阱而自不悟耶。至是彪無復意於人間之事矣。苟獲保余齢閉戸幽居。尚友古人。時或著作泄憤。全首領以従先子於九原。則雖死不朽也。感慨之余。援筆録之。不覚叙事冗長。而亦不忍刪者。蓋臣子之至情也。時五月十六日。梅雨濛濛。黯雲惨澹。杜鵑悲鳴於其間。投筆悵然者。良久
書き下し
彪、拝謝して退く。是の日、公、親書を裁して中山備州に授く。彪が致仕の事有りと云う。適〻閣老土井氏、執政肥田大助を招き、中山氏以下の有司を罰するの状を授く。彪、之を聞き、復た政府に入らず。日既に暮る。公、駕を命じて駒籠に徙る。彪、同班の諸子と、諸を中奥の廊下に送る。公、烏帽を戴き、黒衣を著、風姿蕭然たり。諸臣、涕を流さざるは莫し。是の夜四更、執政肥田、命を伝う。中山・興津の二氏は責めを蒙り(所謂差扣)、戸田と彪は職を奪われ禁錮せらる(所謂蟄居)。五更、舎に帰り、僮に戒めて門戸を鎖さしむ。後数日、郷書を獲て、始めて亜卿山野辺氏の中山・興津と同科なるを詳らかにす。執政鵜殿(名は広生、平七と称す)は職を奪われ譴を蒙り(所謂逼塞)、而して寺社奉行今井は則ち戸田及び彪と同科なり。嗚呼、彪は公の殊遇を浴び、他人の比に非ず。而るに禍を未萌に察する能わず、位に尸して素餐し、以て我が公今日の辱を致す。死すとも罪有餘り。而るに幕府は寛仁にして、彪をして生路を獲、悔悟する所有らしむ。抑〻亦幸いなり。此れ彪が死を決して而も死せざるの三なり。古人言う有り、死生亦大なりと。彪、平世に生まれ、齢未だ強仕に盈たず。而るに三たび死生の間に処る。豈に天、彪の生の世に益無きを厭い、潔くして之を冥漠の郷に投ぜんと欲するか。抑〻人、彪の冥頑不屈を悪み、必ず之を死地に擠して然る後に已まんとするか。抑〻亦彪の愚暗剛褊、常に危機を蹈み陥穽に臨みて自ら悟らざるか。是に至りて彪、復た人間の事に意無し。苟くも餘齢を保ち、戸を閉じて幽居するを獲ば、尚お古人を友とし、時に或いは著作して憤りを泄らし、首領を全うして以て先子に九原に従わば、則ち死すとも朽ちざるなり。感慨の餘、筆を援きて之を録す。覚えず叙事冗長なれども、亦刪るに忍びざる者は、蓋し臣子の至情なり。時に五月十六日。梅雨濛濛として、黯雲慘澹たり。杜鵑、其の間に悲鳴す。筆を投じて悵然たること、良や久し。
現代語訳
私(彪)は拝謝して退きました。この日、公は自筆の書面を作って中山備前守に授けました。私の致仕のことが書かれているということです。ちょうど老中の土井氏が執政の肥田大助を招き、中山氏以下の役人たちを処罰する書状を授けました。私はそれを聞いて、もう政府には入りませんでした。日はすでに暮れました。公は駕籠を命じて駒込に移られました。私は同じ役の者たちと、公を中奥の廊下で見送りました。公は烏帽子をかぶり、黒い着物を着て、うら寂しいお姿でした。家臣たちはみな涙を流しました。この夜の午前二時ごろ、執政の肥田が命を伝えました。中山・興津の二氏は咎めを受け(いわゆる差控)、戸田と私は職を奪われて禁錮(いわゆる蟄居)となりました。午前四時ごろ、家に帰り、下男に戒めて門戸を閉ざさせました。数日後に国元の手紙を得て、はじめて亜卿の山野辺氏が中山・興津と同じ処分を受けたことが分かりました。執政の鵜殿(名は広生、平七と称する)は職を奪われて咎めを受け(いわゆる逼塞)、寺社奉行の今井は戸田と私と同じ処分でした。ああ、私は公の格別な恩遇を受け、他の人とは比べものになりません。それなのに禍が起きる前に察することができず、職にいてむなしく給料をもらい、我が公に今日の恥辱を招きました。死んでも罪は余りあります。しかし幕府は寛大で、私に生きる道を与え、悔い改める機会をくれました。それもまた幸いです。これが私が死を決して死ななかった三つ目です。古人に言葉があります。「死生もまた大なり」と。私は太平の世に生まれ、まだ四十歳(強仕)にならないのに、三度も死生の境に身を置きました。天は、私が生きて世に益がないのを嫌い、きれいに冥土に投げ込もうとしているのでしょうか。それとも人が、私の頑なで屈しない性格を憎み、必ず死地に追いやるまでやめないのでしょうか。それとも私が愚かで偏狭なため、常に危機を踏み、落とし穴に臨んでも自ら悟らないのでしょうか。ここに至って私は、もう世間の事に心がありません。もし余生を保ち、戸を閉じて隠れ住むことができれば、なお古人を友とし、ときどき著作して憤りを晴らし、首を全うして父に九泉(あの世)で従えるなら、死んでも朽ちることはありません。感慨のあまり筆を取って記しました。思わず叙述が長くなりましたが、削るに忍びないのは、臣下としての真情だからです。時に五月十六日。梅雨がしとしと降り、暗い雲がたれこめ、ホトトギスがその間で悲しく鳴いています。筆を投げ出して、しばらくの間、がっかりしたままでした。
解説
この章句が説くこと
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