海国兵談抄録 / 第十六巻 略書・文武は大徳、兵を用いる二つの道
文武は天下の大德にして、偏廢すべからず、禮樂刑政、總て國家を經濟する事、文にあらざれば、程よき事を不得、暴逆を討伐して、國家の害を除く事は、武にあらざれば叶難し、夫國家を經濟する者は、刑を設て、非を禁ず、蓋兵は刑の大なるもの也、此故に先王、屢兵の事を云り、又湯王、商を興し、文武、周を興す、皆能武を用いたり、我神武帝始て一統の業を成て、人統を立給しより、神功皇后、三韓を臣服せしめ、太閤の朝鮮を討伐して、今の世迄も、本邦に服從せしむる事など、皆武德の輝ける所也、然るに物本末あり、文は武の本なり、文を知ざれば、武の本體を會得しがたし、近頃今川了俊が、不知文道而武道遂不得勝利と云るは、文武一致の趣を呑込たる言にして、俗見の上には殊勝也、抑兵に二あり、國家を安ずる爲に兵を用る者あり、利欲を姿にする爲に兵を用る者あり、夫暴亂の者出て、民を惱し、國家を動亂する時は兵を出し、威武を示して、暴客を討伐し、國家の害を除く、是政の爲に兵を用る也、其外一揆の徒出て、干戈起る事あり、或は恨に因て、不意の軍を起し、又は外國より來り襲事もあり、總て不慮の動亂あるが爲に、平生武を不忘は、國家に主たる者の愼にして、是兵の正面、武備の眞中也、故に司馬法に天下雖安、忘戰則必危、と云り、是を以て思へば、
新字:文武は天下の大徳にして、偏廃すべからず、礼楽刑政、総て国家を経済する事、文にあらざれば、程よき事を不得、暴逆を討伐して、国家の害を除く事は、武にあらざれば叶難し、夫国家を経済する者は、刑を設て、非を禁ず、蓋兵は刑の大なるもの也、此故に先王、屡兵の事を云り、又湯王、商を興し、文武、周を興す、皆能武を用いたり、我神武帝始て一統の業を成て、人統を立給しより、神功皇后、三韓を臣服せしめ、太閤の朝鮮を討伐して、今の世迄も、本邦に服従せしむる事など、皆武徳の輝ける所也、然るに物本末あり、文は武の本なり、文を知ざれば、武の本体を会得しがたし、近頃今川了俊が、不知文道而武道遂不得勝利と云るは、文武一致の趣を呑込たる言にして、俗見の上には殊勝也、抑兵に二あり、国家を安ずる為に兵を用る者あり、利欲を姿にする為に兵を用る者あり、夫暴乱の者出て、民を悩し、国家を動乱する時は兵を出し、威武を示して、暴客を討伐し、国家の害を除く、是政の為に兵を用る也、其外一揆の徒出て、干戈起る事あり、或は恨に因て、不意の軍を起し、又は外国より来り襲事もあり、総て不慮の動乱あるが為に、平生武を不忘は、国家に主たる者の慎にして、是兵の正面、武備の真中也、故に司馬法に天下雖安、忘戦則必危、と云り、是を以て思へば、
書き下し
文武は天下の大德にして、偏廢すべからず、禮樂刑政、總て國家を經濟する事、文にあらざれば、程よき事を不得、暴逆を討伐して、國家の害を除く事は、武にあらざれば叶難し、夫國家を經濟する者は、刑を設て、非を禁ず、蓋兵は刑の大なるもの也、此故に先王、屢兵の事を云り、又湯王、商を興し、文武、周を興す、皆能武を用いたり、我神武帝始て一統の業を成て、人統を立給しより、神功皇后、三韓を臣服せしめ、太閤の朝鮮を討伐して、今の世迄も、本邦に服從せしむる事など、皆武德の輝ける所也、然るに物本末あり、文は武の本なり、文を知ざれば、武の本體を會得しがたし、近頃今川了俊が、不知文道而武道遂不得勝利と云るは、文武一致の趣を呑込たる言にして、俗見の上には殊勝也、抑兵に二あり、國家を安ずる爲に兵を用る者あり、利欲を姿にする爲に兵を用る者あり、夫暴亂の者出て、民を惱し、國家を動亂する時は兵を出し、威武を示して、暴客を討伐し、國家の害を除く、是政の爲に兵を用る也、其外一揆の徒出て、干戈起る事あり、或は恨に因て、不意の軍を起し、又は外國より來り襲事もあり、總て不慮の動亂あるが爲に、平生武を不忘は、國家に主たる者の愼にして、是兵の正面、武備の眞中也、故に司馬法に天下雖安、忘戰則必危、と云り、是を以て思へば、
現代語訳
文武は天下の大徳であり、どちらかを捨ててはなりません。礼楽刑政など、国家を治めることは、文でなければ程よく行えません。暴虐を討伐して国家の害を除くことは、武でなければ難しいことです。そもそも国家を治める者は刑を設けて非を禁じますが、兵は刑の大きなものです。このため、先王(昔の聖王)はたびたび兵のことを言われました。また湯王は商(殷)を興し、文王・武王は周を興しましたが、いずれも武をよく用いています。わが神武天皇が初めて統一の事業を成して人の統(皇統)を立てられて以来、神功皇后が三韓を臣従させたことや、太閤(豊臣秀吉)が朝鮮を討伐して今の世まで日本に服従させていることなどは、すべて武徳の輝くところです。しかし物には本と末があります。文は武の本です。文を知らなければ、武の本体を会得することは難しいのです。近ごろ、今川了俊が「文の道を知らなければ、武道はついに勝利を得られない」と言ったのは、文武一致の趣旨を飲み込んだ言葉で、世間一般の見方としては立派なものです。そもそも兵には二つの用い方があります。国家を安んじるために兵を用いる者と、利欲を図るために兵を用いる者です。暴乱の者が出て民を悩ませ、国家を動乱させるときは、兵を出し、威武を示して、暴客を討伐し、国家の害を除きます。これは政のために兵を用いるものです。そのほか、一揆の徒が出て武力が起こることもあります。あるいは恨みによって不意に軍を起こす者もあり、または外国から攻め襲うこともあります。総じて思いがけない動乱があるので、平生から武を忘れないことは、国家の主たる者の慎みであり、これが兵の正面、武備の真ん中です。だから「司馬法」に「天下が安らかでも、戦いを忘れれば必ず危うい」とあります。これによって思えば、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』魯問魯陽文君、将に鄭を攻めんとす。子墨子、聞きて之を止め、陽文君に謂いて曰く、「今、魯の四境の内をして、大都、其の小都を攻め、大家、其の小家を伐ち、其の民を殺し、人、其の牛馬狗豕布帛米粟貨財を取らしめば、則ち何若」と。魯陽文君曰く、「魯の四境の内は、皆な寡人の臣なり。今、大都、其の小都を攻め、大家、其の小家を伐ち、之が貨財を奪わば、則ち寡人、必ず将に厚く之を罰せんとす」と。子墨子曰く、「夫れ天の兼ねて天下を有つや、亦た猶お君の四境の内を有つがごときなり。今、兵を舉げて将に以て鄭を攻めんとす。天の誅、其れ至らざらんや」と。魯陽文君曰く、「先生、我が鄭を攻むるを止むるか。我が鄭を攻むるは天の志に順う。鄭人、三世、其の父を殺す。天、誅を加えて、三年、登らざらしむ。我れ将に天の誅を助けんとす」と。子墨子曰く、「鄭人、三世、其の父を殺して、天、誅を加え、三年、登らざらしむ。天の誅、足れり。今、又た兵を舉げて将に以て鄭を攻めんとして、曰く、『吾が鄭を攻むるや、天の志に順う』と。譬えば人、此に有り。其の子、强梁にして不材なり。故に其の父、之を笞つ。其の鄰家の父、木を舉げて之を擊ちて曰く、『吾れ之を擊つや、其の父の志に順う』と。則ち豈に悖らざらんや」と。
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『呻吟語』外篇・治道・位以て其の惡を濟す政を為す者は、行ふを得れば即ち行ふの謂に非ず、行ふ可きに從ひて則ち行ふのみ。行ふを得るの勢ひ有りて、行ふ可きの理に昧ければ、是れ位以て其の惡を濟すなり。君子は之を賊と謂ふ。
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『韓非子』難勢第四十堯も匹夫為らば、三人を治むること能わじ、而して桀天子為れば、能く天下を亂る。吾此を以て勢位の恃むに足り、而して賢智の慕うに足らざるを知るなり。
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『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・国は政府の私有にして人民は国の食客たるがごとしそもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、数千百年の古より全国の権柄を政府の一手に握り、武備・文学より工業・商売に至るまで、人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の嗾するところに向かいて奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるがごとし。すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅のごとく、かつて深切の意を尽くすことなく、またその気力を見わすべき機会をも得ずして、ついに全国の気風を養いなしたるなり。
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『韓非子』外儲説右上第三十四其の下翎を断てば、則ち必ず人を恃みて食ふ、焉んぞ馴れざるを得んや。夫れ明主の臣を畜ふも亦然り、
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『墨子』尚賢上故に古者、聖王の政を為すや、徳を别ちて賢を尚び、農と工肆の人に在りと雖も、能有れば則ち之を舉げ、髙く之に爵を予え、重く之に祿を予え、之に任ずるに事を以てし、斷じて之に令を予う。曰く、「爵位髙からざれば則ち民敬わず、蓄祿厚からざれば則ち民信ぜず、政令斷ぜざれば則ち民畏れず」と。三者を舉げて之を賢者に授くるは、賢の為に賜うに非ざるなり、其の事の成らんことを欲すればなり。故に是の時に當たりて、徳を以て列に就き、官を以て事に服し、勞を以て賞を殿し、功を量りて祿を分かつ。故に官に常の貴無く、民に終の賤無し。能有れば則ち之を舉げ、能無ければ則ち之を下す。公義を舉げ、私怨を辟く。此れ若の言の謂いなり。

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