価原 / 『価原』望遠鏡が開いた世界地図の見方
昔ヨリ銀漢ナドハ水精ナド云テ唯氣ノ樣ニ思ヒタリ近頃望遠鏡渡リテ皆星ナルヿヲ知レリ蓋混地ノ體圓ニシテ海水コレニ湛フ其內大壤二ツアリ一ツハ北ニ在テ東西ニ長シ一ハ中ニ當ツテ南北ニ長シ北ニアル壤ヲ三大洲トス西ヲ歐邏巴和人エロツパトモ云即西洋也喎蘭地ナドモ其中ナリ東ヲ亞細亞唐日本天竺ナド其內也東西ノ中間ナルヲ漢人利未亞ト云西洋ノ人ハアフリアト云中ニ當ル壤ヲ二大洲トス南ヲ南亞墨利加洲ト云北ヲ北亞墨利加洲トス又南大海ノ中墨瓦臘尼加ト云地アリ昔西洋ノ人見ツケテコレヲ加ヘテ六大洲ト云シガ追追尋ネ見シ所殊ノ外ノ小島トモイヘリ因テ大洲五トス亞墨利加ノ地ハ大槩此國ノ下ニ當レリ北亞墨利加ノ內新伊斯把儞亞ト云國有リコレハ西洋ノ伊斯把儞亞トリテ此名ヲ加ヘタルナリ
新字:昔ヨリ銀漢ナドハ水精ナド云テ唯気ノ様ニ思ヒタリ近頃望遠鏡渡リテ皆星ナルヿヲ知レリ蓋混地ノ体円ニシテ海水コレニ湛フ其内大壤二ツアリ一ツハ北ニ在テ東西ニ長シ一ハ中ニ当ツテ南北ニ長シ北ニアル壤ヲ三大洲トス西ヲ欧邏巴和人エロツパトモ云即西洋也喎蘭地ナドモ其中ナリ東ヲ亜細亜唐日本天竺ナド其内也東西ノ中間ナルヲ漢人利未亜ト云西洋ノ人ハアフリアト云中ニ当ル壤ヲ二大洲トス南ヲ南亜墨利加洲ト云北ヲ北亜墨利加洲トス又南大海ノ中墨瓦臘尼加ト云地アリ昔西洋ノ人見ツケテコレヲ加ヘテ六大洲ト云シガ追追尋ネ見シ所殊ノ外ノ小島トモイヘリ因テ大洲五トス亜墨利加ノ地ハ大槩此国ノ下ニ当レリ北亜墨利加ノ内新伊斯把儞亜ト云国有リコレハ西洋ノ伊斯把儞亜トリテ此名ヲ加ヘタルナリ
書き下し
昔より銀漢などは水精などいいて、ただ気の様に思いたり。近頃望遠鏡渡りて、皆星なることを知れり。けだし混地の体円にして、海水これに湛う。その内、大壌二つあり。一つは北に在りて東西に長し。一つは中に当たって南北に長し。北にある壌を三大洲とす。西を欧邏巴、和人エロッパともいう。すなわち西洋なり。喎蘭地などもその中なり。東を亜細亜、唐・日本・天竺など、その内なり。東西の中間なるを、漢人は利未亜という。西洋の人はアフリアという。中に当たる壌を二大洲とす。南を南亜墨利加洲という。北を北亜墨利加洲とす。また南大海の中に、墨瓦臘尼加という地あり。昔、西洋の人見つけて、これを加えて六大洲といいしが、おいおい尋ね見し所、殊の外の小島ともいえり。よって大洲五とす。亜墨利加の地は大概この国の下に当たれり。北亜墨利加の内に、新伊斯把儞亜という国あり。これは西洋の伊斯把儞亜を取りて、この名を加えたるなり。
現代語訳
昔から天の川などは水の精などといって、ただ気のようなものだと思っていた。近ごろ望遠鏡が渡ってきて、みな星であることが分かった。思うに、大地の形は丸く、海の水がそこに満ちている。その中に大きな陸地が二つある。一つは北にあって東西に長い。もう一つは中ほどにあって南北に長い。北にある陸地を三つの大洲とする。西をヨーロッパといい、日本人はエロッパともいう。すなわち西洋である。オランダなどもその中である。東をアジアといい、中国、日本、天竺などがその内である。東西の中間にあるのを、中国人は利未亜といい、西洋の人はアフリカという。中ほどにある陸地を二つの大洲とする。南を南アメリカ洲といい、北を北アメリカ洲とする。また南の大海の中に、墨瓦臘尼加という地がある。昔、西洋の人が見つけて、これを加えて六大洲といったが、その後たずね見たところ、思いのほか小さな島だともいう。そこで大洲は五つとする。アメリカの地はおおよそこの国の真下にあたる。北アメリカの内に、ニュースペインという国がある。これは西洋のスペインにちなんで、この名を加えたのである。
解説

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価原・『価原』西洋の実測に学ぶ天文地理と医術天文地理の学、梵は最も粗なり。漢はやや精し。しかれども思量模索に出でて、実測にうとし。西洋は器を制し、舟に駕し、足跡至らざるの地なし。ここにおいて天地を見ること掌菓のごとし。実に千載の大愉快なり。西洋の医治は、内を略して外に詳らかなり。大いに漢人の藩園の外に出ず。漢人の治は、むかしの人、五運六気・五臓六腑など言うことを言い始めしより、ついにこれに誤られて、実測に暇あらず。西人は意を実測に用ゆ。故に人の臓腑・筋骨のごときも、数剥して真に試む。故に最も精詳を尽くす。けだし天地に条理あり。いまだ条理を得ざれば、実測ありといえども、これを彷彿に得て、なお真に遠し。故に造化を説くに至っては、漢に木火土金水と言い、梵に地水火風と言い、西洋に水火土気と言う、ともに伯仲の説なり。
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『玉勝間』十一の巻 皇国の学者のあやしき癖こはもろこしの国の名のみにもあらず、よろずにわたれる事ぞかし。なおこのたぐいなる事を、一つ二つ云わば、遥かなる西の国々にてこの大地にあらゆる国々をすべて、五つに分けて、おのおの名をつけたる中に皇国もろこし天竺などは、亜細亜とか、つけたる洲の内なりとぞ。さるはしか五つに分けたるも、つけたる名どもも、もとより他国のことにて、殊に近き世に聞こえきつる事なるを、神代より皇国に伝わりたる説のごと、うちまかせて従いよるは、これはた他の国の事と云えば、たっとみ信ずる、例のあやしき癖にぞ有りける。またもろこしの国の音は、他国の音を訳すに、いと便り悪しくて、古に天竺の国の仏ぶみを訳せるにも、多くはまさしくは当たりがたかりし事なるを、近く明の世の程などに、かの遥かなる西の国々の名ども、またその万の詞を訳せるどもを見るに、その字の音、十に七八は、かの言にあたらず、いたくたがえるが多ければ、仮字づけなくては、その言しりがたく、訳字はいたずらなるが如し。かく云うは、皇国の漢音呉音によりてにはあらず、近き世の唐音と云う音によりて云うなり。
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価原・『価原』古になかった物が日用品になったこれについて世の費用を考うるに、古はなくてすみし物の、今は去り難き物、その数を知らず。浮屠家の教えは最も久し。裳瘡なども昔はなかりしとかや。有益無益につき、あらあらこれを数うるに、天文地理の学は西洋を精しとす。癰疽・金瘡の治、また相次ぐ。木綿・火器・望遠鏡・自鳴鐘の類、最も重宝をなす。天教・微瘡は最も疾むべし。しかして天教はすでに根を絶つ。微瘡は世に蔓衍す。煙草は二百年の物、茶は千年の物、人家日用の具となる。髪膏もまた古に見えず。しかうして今や太平百六十年、酒食・技巧・淫靡の風、古にあらず。妓楽・博奕、人を誤る者、数を知らず。もし上古質樸の世に比せば、民生日用の費と半ばせんとす。あに畏れざるべけんや。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第18段地理書を見れば、中津の外に日本あり、日本の外に西洋諸国あるを知るべし。なお進て、天文地質の論を聞けば、大空の茫々、日月星辰の運転に定則あるを知るべし。地皮の層々、幾千万年の天工に成りて、その物質の位置に順序の紊れざるを知るべし。歴史を読めば、中津藩もまたただ徳川時代三百藩の一のみ。徳川はただ日本一島の政権を執りし者のみ。日本の外には亜細亜諸国、西洋諸洲の歴史もほとんど無数にして、その間には古今英雄豪傑の事跡を見るべし。歴山王、ナポレオンの功業を察し、ニウトン、ワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊太閤なきに非ず、物徂徠も誠に東海の一小先生のみ。わずかに地理歴史の初歩を読むも、その心事はすでに旧套を脱却して高尚ならざるを得ず。いわんや彼の西洋諸大家の理論書を窺い、有形の物理より無形の人事に至るまで、逐一これを比較分解して、事々物々の原因と結果とを探索するにおいてをや。読てその奥に至れば、心事恍爾としてほとんど天外に在るの思をなすべし。この一段に至て、かえりみて世上の事相を観れば、政府も人事の一小区のみ、戦争も群児の戯に異ならず、中津旧藩のごとき、何ぞこれを歯牙に止るに足らん。
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『新論』序論謹んで按ずるに、神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日の嗣、世々宸極を御し、終古易らず、固より大地の元首にして、万国の綱紀なり。誠に宜しく宇内を照臨し、皇化の曁ぶ所、遠邇有ること無かるべし。而るに今、西荒の蛮夷、脛足の賤を以て、四海に奔走し、諸国を蹂躪し、眇視跛履、敢へて上国を凌駕せんと欲す。何ぞ其れ驕れるや。(地の天中に在る、渾然として端無く、宜しく方隅無きが如くなるべし。然れども凡そ物は自然の形体有りて存せざるは莫し。而して神州其の首に居る。故に幅員甚だしくは広大ならずして、其の万方に君臨する所以の者、未だ嘗て一たびも姓を易へ位を革めず。西洋諸蕃は、其の股脛に当る。故に奔舶走舸、遠くして至らざる莫きなり。而して海中の地、西夷名づけて亜墨利加洲と曰ふ者に至りては、則ち其の背後なり。故に其の民愚戇にして、為す所有る能はず。是れ皆自然の形体なり。)是れ其の理、宜しく自ら隕越して以て傾覆を取るべし。然れども天地の気は盛衰無き能はず、而して人衆ければ則ち天に勝つも、亦其の勢の已むを得ざる所なり。苟くも豪傑奮起して以て天功を亮くる有るに非ざるよりは、則ち天地も亦将に胡羯腥膻の誣罔する所と為りて然る後に已まんとす。