玉勝間 / 十一の巻 皇国の学者のあやしき癖
こはもろこしの國の名のみにもあらず、萬づにわたれる事ぞかし。なほ此たぐひなる事を、一ッ二ッ云はば、遙なる西の國國にて此大地にあらゆる國國をすべて、五ッに分て、おのおの名をつけたる中に皇國もろこし天竺などは、亞細亞とか、つけたる洲の內なりとぞ。さるはしか五ッに分たるも、つけたる名どもも、もとより他國のことにて、殊に近き世に聞えきつる事なるを、神代より皇國に傳はりたる說のごと、うちまかせて從ひよるは、これはた他の國の事と云へば、たふとみ信ずる、例のあやしき癖にぞ有ける。又もろこしの國の音は、他國の音を譯すに、いと便惡しくて、古へに天竺の國の佛ぶみを譯せるにも、多くはまさしくは當りがたかりし事なるを、近く明の世の程などに、かの遙なる西の國國の名ども、又その萬づの詞を譯せるどもを見るに、其字の音、十に七八は、かの言にあたらず、いたくたがへるが多ければ、假字づけなくては、其言しりがたく、譯字はいたづらなるが如し。かく云ふは、皇國の漢音呉音によりてにはあらず、近き世の唐音と云ふ音によりて云ふなり。
新字:こはもろこしの国の名のみにもあらず、万づにわたれる事ぞかし。なほ此たぐひなる事を、一ッ二ッ云はば、遥なる西の国国にて此大地にあらゆる国国をすべて、五ッに分て、おのおの名をつけたる中に皇国もろこし天竺などは、亜細亜とか、つけたる洲の内なりとぞ。さるはしか五ッに分たるも、つけたる名どもも、もとより他国のことにて、殊に近き世に聞えきつる事なるを、神代より皇国に伝はりたる説のごと、うちまかせて従ひよるは、これはた他の国の事と云へば、たふとみ信ずる、例のあやしき癖にぞ有ける。又もろこしの国の音は、他国の音を訳すに、いと便悪しくて、古へに天竺の国の仏ぶみを訳せるにも、多くはまさしくは当りがたかりし事なるを、近く明の世の程などに、かの遥なる西の国国の名ども、又その万づの詞を訳せるどもを見るに、其字の音、十に七八は、かの言にあたらず、いたくたがへるが多ければ、仮字づけなくては、其言しりがたく、訳字はいたづらなるが如し。かく云ふは、皇国の漢音呉音によりてにはあらず、近き世の唐音と云ふ音によりて云ふなり。
書き下し
こはもろこしの国の名のみにもあらず、よろずにわたれる事ぞかし。なおこのたぐいなる事を、一つ二つ云わば、遥かなる西の国々にてこの大地にあらゆる国々をすべて、五つに分けて、おのおの名をつけたる中に皇国もろこし天竺などは、亜細亜とか、つけたる洲の内なりとぞ。さるはしか五つに分けたるも、つけたる名どもも、もとより他国のことにて、殊に近き世に聞こえきつる事なるを、神代より皇国に伝わりたる説のごと、うちまかせて従いよるは、これはた他の国の事と云えば、たっとみ信ずる、例のあやしき癖にぞ有りける。またもろこしの国の音は、他国の音を訳すに、いと便り悪しくて、古に天竺の国の仏ぶみを訳せるにも、多くはまさしくは当たりがたかりし事なるを、近く明の世の程などに、かの遥かなる西の国々の名ども、またその万の詞を訳せるどもを見るに、その字の音、十に七八は、かの言にあたらず、いたくたがえるが多ければ、仮字づけなくては、その言しりがたく、訳字はいたずらなるが如し。かく云うは、皇国の漢音呉音によりてにはあらず、近き世の唐音と云う音によりて云うなり。
現代語訳
これは中国の国名だけのことではなく、あらゆることにわたる事である。さらにこの類のことを一つ二つ言えば、遥か西の国々(西洋)で、この大地にあるすべての国々を五つに分けて、それぞれに名を付けた中で、わが国や中国、天竺などは「亜細亜(アジア)」とか名付けた洲の内に入るのだという。けれども、そのように五つに分けたのも、付けた名も、もともと他国のことで、ことに近い世に聞こえて来たことであるのに、神代からわが国に伝わった説のように、そのまま従い寄るのは、これもまた他の国のことと言えば尊び信じる、例の妙な癖なのである。また中国の字音は、他国の音を写すのにたいへん都合が悪く、昔、天竺の仏典を翻訳した時にも、多くは正確には当てにくかったのであるが、近く明の時代などに、あの遥か西の国々の名や、またそのさまざまな言葉を音訳したものを見ると、その字の音の十のうち七、八はその言葉に当たらず、ひどく違っているものが多いので、仮名で読みを付けなければその言葉はわからず、音訳の字は無駄なもののようである。こう言うのは、わが国の漢音や呉音によって言うのではなく、近い世の唐音という音によって言うのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 皇国の学者のあやしき癖かかればもろこしの国にて、その訳字によりて、かの国々の言を覚えたらむは、皆誤りてぞ有るべきを、皇国の仮字は他国の音を訳すに、いと便りよければ、おさおさたがう事無し。されば皇国にては、かのもろこしの訳字をば、みな廃てて、この方の訳をのみ用うべきことなり。それも片仮字は、しどけなくて、漢文などには書きがたくは、真仮字を用うべし。真仮字とは、いわゆる万葉仮字にて、伊呂波爾保閇登とように書くを云う。すべてあらたにこの仮字を用いて、かの五つの洲の名の亜細亜をば阿自夜、欧羅巴をば要呂波とように、万の言を皆かくさまに訳しなば、いとよろしかるべきに、よろしく便りよき、己が国のことを用いずして、かのもろこしの、物遠くたよりあしく、あたらぬ訳字を、大事と守りて用うるは、いといとつたなく愚かなる事にて、これはた例の、他国のことに従うをかしこきわざと心得たる、あやしき学者のくせなりけり。
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『玉勝間』十一の巻 皇国の学者のあやしき癖すべて何事も、おのが国の事にこそ従うべけれ、そを捨てて、他の国の事に従うべきにはあらざるを、かえりて他の国の事に従うを、かしこきわざとして、皇国のことに従うをば、つたなきわざと心得ためるは、皇国の学者の、あやしき癖なり。はかなき事ながらたとえば、もろこしの国を、もろこしともからとも云い、漢文には、漢とも唐とも書くぞ、皇国の事なるを、然か云うをば拙しとして、中華中国など云うを、かしこき事と心得たるひがことは、馭戎慨言にくわしく論いたれば、今さらに云わず。また中華中国などは、云うまじき事と、物のこころをわきまえたる人はた、なお漢もしは唐など云うをば、つたなしとや思うらむ、震旦支那など書くたぐいもあなるは、中華中国など云うにくらぶれば、よろしけれども、震旦支那などは、西の方なる国より、附けたる名なれば、そもなおおのが国の事を捨てて人の国の事に従うにぞ有りける。もし漢と云い唐とも云わむを、おかしからずと思わば、漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書かむに、何事かあらむ。かく己が国の事をたてたらむこそは、雄々しき文ならめ。他の国のことにへつらいよりて書かむは、めめしく拙きわざにぞ有りける。
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『玉勝間』七の巻 唐の国人あだし国ある事を知らざりし事もろこしの国の古の人、すべて他国あることをしらず、おおかた国を治め、身を修むる道よりはじめて、万ずの事、みなその国の古の聖人と云いし物の、始めたるごとく心得て、天地の間に、国はただわれひとり尊しと、万ずにほこりならいたり。然るをやや後に、天竺と云う国より、仏法と云う物わたり来ては、いささかあだし国の有る事をも、知れるさまなり。かくて近き世にいたりては、かの天竺よりも、はるかに西のかたなる国々の事も、ようよう知られて、おおかた今は、天地の間の、万の国の事、おさおさ知られざるは無きを、その遥かの西の国々にも、もろこしに有るかぎりの事は、皆昔より有りて、もろこしには無き物も多く有り。もろこしより遥かにまされる事も有り。その国々は、皆近き世まで、もろこしと通いは無かりしかども、本より然か何事も、たらいて有るぞかし。そもそももろこしの古は、ただその近きほとりなる、胡国など云う国の事のみを、僅かによくは知りて、その外は、さしも遠からぬ国々の事も、こまかには知らず、おぼおぼしくて、すべて他国の事云えるは、みだりごとのみなり。
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『玉勝間』七の巻 唐の国人あだし国ある事を知らざりし事かくてそのよく知れる胡国などは、いたずらに広きのみにして、いといやしく悪ろき国なるを、つねに見しり聞き知りては、他国はいずれも皆、かかる物とのみ思えりしから、何事もただ尊きは、吾ひとりと、みだりにほこれるなり。古あだし国の事を、弘く知らざりし程こそ、さも有らめ、近き世になりて、遠き国々の事も、皆よく知られても、なお古よりの癖を、改むる事無く、今に同じさまに、ほこりおるなるを、皇国にても、学問をもする人は、今は万の国々の事をも、大かた知りたるべきに、なお昔よりの癖にて、もろこし人のみだりごとを信じて、ひたぶるに彼の国を尊みて、何事も皆、彼の国より始まれるように思い、彼の国より外に、国は無きごと心得居るは、いかなるまどいぞや。
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『玉勝間』二の巻 国を州と云ふ事国国の名を、某州と云う事は、いずれの御代の御さだめにもあらざる事なり。古は、わたくしの漢文などにこそは、いとまれまれには見えたれ、ただしきおおやけの物には、みな某国とのみ有りて、州と云える事はさらに見えず。然るを近き世の人は、かかる上の御さだめをもわきまえ知らず、みだりにからめかす事をのみ好みて、某の国と云うよりは、某州と云うをうるわしき事に心得て、云いも書きもすなるは、いかにぞや。前後上下などに分かれたる国の名の、一字にてはまぎるるをば、野之上州下州、あるは越前州筑後州なども書くめり。そもそも国の字も州の字も、同じく久爾にはあれども、奈良の御代などよりは、斯かる事もみな、その文字を定められて、心にまかせては書かざる事なるをや。またある儒者の云えるは、国と云うは、封建の制にこそあれ皇朝も、郡県の制になされたる世には、州などとこそ云うべけれ、国と定められたるは、あたらぬ文字なりと云えるは、漢国の今までの例になずみて、なかなかにかの国のこころにもあらず、いみしきひがことなり。
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『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事皇国は、物のありさまは、古とかわりきぬる事も、名は、物のうつり行く、その時時のさまには従わずして、今の世とても万になお古のを守り給うなるは、いともいとも有りがたく、孔丘が心もていわば、名のいと正しきにこそ有りけれ。さるをかえりて正しからずとしも云うは、何につけても、あながちに皇国を云いおとさむとする心のみ進めるからに、そのひがことなる事をも、われながら覚えざるなめり。
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