価原 / 『価原』利用厚生と蓄えが失われる世
サテ人ノ農ニ就キ工ニ務メ士上ニ廉耻禮讓ノ風ヲ誘ヒ民下ニ華靡淫奔ノ俗ヲ改メバ游手ハイツシカ少クナルベシ是ヲ生之者衆食之者寡爲之者疾用之者舒ト云乃利用ノコトナリ用ヲ利スル者ハ其生ヲ厚フセンガ爲也論語ニ富之ト云モノ乃厚生ナリ今市肆ノ日日ニ榮ヘ人ノ彌增ヲ蕃昌トハイヘドモ郡縣ノ人モ增シ市肆ノ人モ增サバ實ノ蕃昌ナルベキニ郡縣ノ人ハ次第ニ減ジ市肆ノ人ノミ次第ニ增シ侍ランニハ豈感慨ノ一ツナラズヤ王制有國ノ道ヲ說テ國無九年之蓄曰不足無六年之蓄曰急無三年之蓄曰國非其國也ト謂ヘリ當今ノ世ハ控掣ノ權金銀ニアリコレヲ以テタトヒ人家餘ンノ布、餘ンノ粟有テモコレヲ蓄ヘントスル人ハナシ是貯ヘザル人ノ罪ニアラズ金銀ノ便利他貨ニ勝レバナリ便利已ニ他貨ニ勝ル誰カ重高ク運惡ク息ヲ生ゼザル他貨ヲ貯ヘンヤコノ故ニ民擧テ他貨ヲ賣リ貧者ハ富家ノ舊債ヲ償ヒ富者ハ貧者ノ求メヲ待ツ吾儕小人勢シカラザルコトヲ得ズ
新字:サテ人ノ農ニ就キ工ニ務メ士上ニ廉耻礼譲ノ風ヲ誘ヒ民下ニ華靡淫奔ノ俗ヲ改メバ游手ハイツシカ少クナルベシ是ヲ生之者衆食之者寡為之者疾用之者舒ト云乃利用ノコトナリ用ヲ利スル者ハ其生ヲ厚フセンガ為也論語ニ富之ト云モノ乃厚生ナリ今市肆ノ日日ニ栄ヘ人ノ弥增ヲ蕃昌トハイヘドモ郡県ノ人モ增シ市肆ノ人モ增サバ実ノ蕃昌ナルベキニ郡県ノ人ハ次第ニ減ジ市肆ノ人ノミ次第ニ增シ侍ランニハ豈感慨ノ一ツナラズヤ王制有国ノ道ヲ説テ国無九年之蓄曰不足無六年之蓄曰急無三年之蓄曰国非其国也ト謂ヘリ当今ノ世ハ控掣ノ権金銀ニアリコレヲ以テタトヒ人家余ンノ布、余ンノ粟有テモコレヲ蓄ヘントスル人ハナシ是貯ヘザル人ノ罪ニアラズ金銀ノ便利他貨ニ勝レバナリ便利已ニ他貨ニ勝ル誰カ重高ク運悪ク息ヲ生ゼザル他貨ヲ貯ヘンヤコノ故ニ民挙テ他貨ヲ売リ貧者ハ富家ノ旧債ヲ償ヒ富者ハ貧者ノ求メヲ待ツ吾儕小人勢シカラザルコトヲ得ズ
書き下し
さて人の農に就き工に務め、士上に廉恥礼譲の風を誘い、民下に華靡淫奔の俗を改めば、遊手はいつしか少なくなるべし。これを「生ずる者衆く、食する者寡く、為す者疾く、用いる者舒やか」と言う、すなわち利用のことなり。用を利する者は、その生を厚うせんがためなり。論語に「これを富ます」と言うもの、すなわち厚生なり。今、市肆の日々に栄え、人のいよいよ増すを蕃昌とは言えども、郡県の人も増し市肆の人も増さば、実の蕃昌なるべきに、郡県の人は次第に減じ、市肆の人のみ次第に増し侍らんには、あに感慨の一つならずや。王制、有国の道を説きて、「国に九年の蓄えなきを不足と曰い、六年の蓄えなきを急と曰い、三年の蓄えなきを国その国に非ずと曰う」と謂えり。当今の世は控掣の権、金銀にあり。これをもって、たとい人家に余らん布、余らん粟有りても、これを蓄えんとする人はなし。これ貯えざる人の罪にあらず、金銀の便利、他貨に勝ればなり。便利すでに他貨に勝る、誰か重く高く、運悪しく、息を生ぜざる他貨を貯えんや。この故に民挙げて他貨を売り、貧者は富家の旧債を償い、富者は貧者の求めを待つ。吾儕小人、勢い然らざることを得ず。
現代語訳
さて、人が農に就き工に務め、士が上で廉恥礼譲の風を誘い、民が下で華やかで浮ついた風俗を改めれば、遊手はいつの間にか少なくなるだろう。これを「作る者が多く、食べる者が少なく、働く者が速やかで、使う者がゆるやかである」といい、すなわち利用のことである。用を利するのは、その暮らしを厚くするためである。論語に「これを富ませる」というのは、すなわち厚生である。今、市中が日々に栄え、人がいよいよ増えることを蕃昌とは言うが、郡県の人も増え、市中の人も増えるなら真の蕃昌であるはずなのに、郡県の人は次第に減り、市中の人だけが次第に増えるのでは、これは感慨の一つではないか。礼記の王制は、国を持つ道を説いて、「国に九年の蓄えがないのを不足といい、六年の蓄えがないのを急といい、三年の蓄えがないのを国がその国でないという」と言っている。今の世は、財貨を引き寄せ支配する権が金銀にある。そのため、たとえ家に余る布や粟があっても、これを蓄えようとする人はいない。これは貯えない人の罪ではなく、金銀の便利さが他の品物にまさっているからである。便利さがすでに他の品にまさる以上、誰が、重く、かさばり、運びにくく、利息を生まない他の品を貯えようか。このため民はこぞって他の品を売り、貧しい者は富家への古い借りを返し、富む者は貧しい者の求めを待つ。われら小人は、勢いとしてそうならざるを得ない。
解説

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価原・『価原』余布余粟と游手の見分けその悦ぶべきを憂うるは、衡の持し難きに苦しめばなり。かくして人本業に帰ることを得ば、民力専ら農桑に帰し、地力を尽くすことを得て、地の物を生ずることますます多くして、男女に余布余粟有り、金銀偏重の勢いなく、各その力をもって金銀を蓄え、しかして暇日に孝悌忠信の教えを施せば、人米粟布帛の貴きを知り、金銀は通利の物たるを知り、廉恥礼譲の風興すべし。慈愛惻隠の情養うべし。それ人々足る所あれば、食まれず衣られざる金銀を、誰あって息を出し借る者あらん。借る者なければ金銀を貯うる人も游手となりて、産業に成り難きゆえ、これも各四民の務めに本づくなり。金銀通利の上より観れば、有金の人は最も有用の人にして、造化を賛くる上より観れば、頗る游手と相類す。造化の功を賛くること、士の太平を守ると、農工の物を造り出すと、商賈の有無を通ずるほか、みな游手なり。游子勝てば四民の業つかる。四民の業つかるれば国本ついに弱し。
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価原・『価原』富人は商賈となり士農は遊手へ移るただしかく傾きし勢いに処するには、金持てるよりよきはなし。金を持つべき様は、乾没にしくはなし。この故に今の富人は十に九は商賈なり。その一つも、外面は異なる様にても、その実みな廃居をつとむ。これに織りて世を渡るに易きは遊手なり。士農工は貧しき者なり。利を見て趨り、害を見て避くるは、天下の通態なり。故に今の士農は本業をうたてに思いなし、十に二三は工商に移り、十に三四は遊手に移る。移れば従前よりは生も遂げ易きほどに、日を逐い年を逐い農を去るの勢いやまず。農減ずれば財減ず。財減ずれば国本薄し。これ郡県の籍年を逐うて減じ、市肆の人日に随って増す所なり。
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