価原 / 『価原』金銀の行方と商人に傾く権
噫昔ハ天下國家ヲ有スルヲコソ富貴トハ申シ侍レ然ルニ今ノ有國者ハ媚ヲ素封ノ家ニ求メ陶朱猗頓ガ徒齊魯ノ如キ國ヲ見テモ己ガ家内ノ出納ノ如ク思フ程ニ貴キ者ハ貧シク賤シキ者ハ富ミテ富貴胡越ヲ隔テタリ是ヲ以テ今先金銀ニ餃ル者ハ諸侯也廉恥ノ風ヲ導ント欲ストモ倉廩實テ禮節ヲ知ル民ナレバイカデカ是ヲ導キ得ン金銀既ニ多ク費用既ニ廣シ債ノ多キ所ナリ古ヲ稽ヘ今ヲ察スルニ金銀當今ヲ盛ナリトス然シテ金銀ニ窮スルモ今ノ如キハナシ故ニ人人相アヘバ唯金銀ノナキヲ語ル天下ニ通ジテ然リ天下ニ通ジテ人皆金銀ノナキヲ語ラバ何レノ處ニ隱ルルトスル試ニ今金銀ノアル處ヲ索ルニ諸侯ノ國ヨリシテ士農工共ニ金ヲ畜ヘズ然ラバ則商賈ニアルコト知ルベシ商賈一同ナラズトイヘ共其能巨萬ヲ積ムモノ他ニアラズ商賈已ニ素封ノ富ヲ有スレバ千里控擊ノ權半ハ已ニ其手ニ歸ス蘇秦張儀者流會計ノ道ヲ以テ往往六國ノ印ヲ帶ブココニ於テ其徒身公門ニ鞠躬ストイヘドモ心實ニ千乘ヲ呑ム其心農工ヲ見ルコト奴隸ノ如シ唯彼見テ奴隸ノ如クスルノミナラズ農工モ亦彼ヲ仰グコト主君ノ如シ。
新字:噫昔ハ天下国家ヲ有スルヲコソ富貴トハ申シ侍レ然ルニ今ノ有国者ハ媚ヲ素封ノ家ニ求メ陶朱猗頓ガ徒斉魯ノ如キ国ヲ見テモ己ガ家内ノ出納ノ如ク思フ程ニ貴キ者ハ貧シク賤シキ者ハ富ミテ富貴胡越ヲ隔テタリ是ヲ以テ今先金銀ニ餃ル者ハ諸侯也廉恥ノ風ヲ導ント欲ストモ倉廩実テ礼節ヲ知ル民ナレバイカデカ是ヲ導キ得ン金銀既ニ多ク費用既ニ広シ債ノ多キ所ナリ古ヲ稽ヘ今ヲ察スルニ金銀当今ヲ盛ナリトス然シテ金銀ニ窮スルモ今ノ如キハナシ故ニ人人相アヘバ唯金銀ノナキヲ語ル天下ニ通ジテ然リ天下ニ通ジテ人皆金銀ノナキヲ語ラバ何レノ処ニ隠ルルトスル試ニ今金銀ノアル処ヲ索ルニ諸侯ノ国ヨリシテ士農工共ニ金ヲ畜ヘズ然ラバ則商賈ニアルコト知ルベシ商賈一同ナラズトイヘ共其能巨万ヲ積ムモノ他ニアラズ商賈已ニ素封ノ富ヲ有スレバ千里控撃ノ権半ハ已ニ其手ニ帰ス蘇秦張儀者流会計ノ道ヲ以テ往往六国ノ印ヲ帯ブココニ於テ其徒身公門ニ鞠躬ストイヘドモ心実ニ千乗ヲ呑ム其心農工ヲ見ルコト奴隸ノ如シ唯彼見テ奴隸ノ如クスルノミナラズ農工モ亦彼ヲ仰グコト主君ノ如シ。
書き下し
噫、昔は天下国家を有するをこそ富貴とは申し侍れ。然るに今の有国者は、媚びを素封の家に求め、陶朱・猗頓が徒、斉・魯のごとき国を見ても、おのが家内の出納のごとく思うほどに、貴き者は貧しく賤しき者は富みて、富貴胡越を隔てたり。これをもって今まず金銀に餒る者は諸侯なり。廉恥の風を導かんと欲すとも、倉廩実ちて礼節を知る民なれば、いかでかこれを導き得ん。金銀すでに多く、費用すでに広し。債の多き所なり。古を稽え今を察するに、金銀は当今を盛んなりとす。しかして金銀に窮するも今のごときはなし。故に人々相会えば、ただ金銀のなきを語る。天下に通じて然り。天下に通じて人皆金銀のなきを語らば、いずれの処に隠るるとする。試みに今、金銀のある処を索るに、諸侯の国よりして士農工ともに金を蓄えず。然らば則ち商賈にあること知るべし。商賈一同ならずといえども、その能く巨万を積む者、他にあらず。商賈すでに素封の富を有すれば、千里控撃の権、半ばはすでにその手に帰す。蘇秦・張儀が者流、会計の道をもって往往六国の印を帯ぶ。ここにおいてその徒、身は公門に鞠躬すといえども、心は実に千乗を呑む。その心、農工を見ること奴隷のごとし。ただ彼が見て奴隷のごとくするのみならず、農工もまた彼を仰ぐこと主君のごとし。
現代語訳
ああ、昔は天下国家を治めることこそを富貴と申したものである。ところが今の国持ち大名は、領地を持たない大金持ちの家に媚びを求め、陶朱公や猗頓の仲間(大商人)が斉や魯のような大国を見ても、自分の家の出し入れのように思うほどで、尊い者は貧しく、賤しい者は富み、富と貴さは胡と越のように遠く隔たってしまった。このため、今まっさきに金銀に飢えている者は諸侯である。廉恥の風を導こうとしても、蔵が満ちてこそ礼節を知る民であるのに、どうしてこれを導けようか。金銀はすでに多く、費用もすでに広がっている。それが債務の多い理由である。昔を考え今を観察すると、金銀は今の世が最も盛んである。それでいて金銀に窮するのも、今ほどのことはない。だから人々は顔を合わせれば、ただ金銀がないことを語る。天下に通じてそうである。天下の人がみな金銀がないと語るなら、金銀はいったいどこに隠れているのか。試みに今、金銀のある所を探してみると、諸侯の国をはじめ、士農工はみな金を蓄えていない。そうであれば、商人のもとにあると知るべきである。商人は一様ではないが、よく巨万を積む者は他ならぬ彼らである。商人がすでに領地なき大名ほどの富を持てば、千里の遠くまで及ぼす支配の力は、半ばはすでにその手に移っている。蘇秦や張儀の流れをくむ者が、会計の道をもって、しばしば六国の宰相の印を帯びた。ここにおいて、その者たちは、身は役所の門でかしこまっていても、心は実に千乗の大国をも呑み込む。その心は農工を見ること奴隷のようである。彼らが見下すだけでなく、農工もまた彼らを主君のように仰いでいる。
解説

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『翁問答』下卷之末体充曰、子曰く、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、与に道に適くべし、未だ与に立つべからず、与に立つべし、未だ与に権るべからず、此聖謨を以て見れば、権は初学の取さたすべきことにあらずと存候はいかゞ。師の曰、此聖謨は学者の面々のいたる所の位をよしと画して上達の志あつからざるをいましめ引たてたまふ主意なり、初学の者権を取さたすべからずとのたまふにはあらず、可与共の学は、即ち此権の道をまなぶ学なり、可与適の道も、即ち此権の道なり、可与立の道も即ち此権の道なり権の外に道なし、道の外に権なし、権の外に学なく学の外に権なし、但その受用に生熟、大小、精粗の差別あるのみ、しかる故に此聖謨の主意は、工夫成就の次第をあかして至極無上の神道を指出して、学者の準的を示たまふものなり、孟子性善を道ひ、言へば必ず堯舜を称す、公明儀曰く、文王は我が師なり、周公豈我を欺かんや、かくの如きの賢範をよく体験して明に弁知べし、若この準的をしらざるときは心学の徒なりとも、欣真落法の地に執滞して、非礼の礼多あるべし。
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『翁問答』下卷之末大賢以下の人は気質の累ありて明徳くらく、権をおこなふこと能はざる故に、聖人天下のために礼法を定たまふ、此礼法もすなはち権の道なれ共、すでに法に定ぬれば迹ありて変通の活溌なきによつて、権といはずして礼法といふなり、此意をしらず徒に礼法の迹を真実の道なりと心得て、聖人立法の本意権道の妙をさとらずして、礼法になずみて専にとりおこなひ、時中の神理にそむくをば、非礼の礼となづけて君子のせざる所なり、此非礼の礼をも真実の礼なりと迷ひたる人、聖賢の行迹礼法にちがひたるを見てうたがひをなし、礼と権は各別なりなど、得心するなり、此権の字の精義をしらざれば、心学に志ありて致知力行をはげますと云とも、必欣真落法の地にまよふべし、大学の能慮は此権を詳に分別する工夫なり、能得は此権を得心受用するものなり、法ありて法にあらず、在ゆるところなくして在ざる所なく、定ところなくして定らざる処なき権字の理味を、よくよく体認すべし。
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『呻吟語』外篇・治道・聖人は權を以て道を行ふ權の在る所は、利の歸する所なり。聖人は權を以て道を行ひ、小人は權を以て私を濟す。
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『呻吟語』外篇・治道・慎みて權を人に與ふ上に在る者は慎みて權を人に與ふ。
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『弁名』經權先儒曰く、「湯武の放伐、伊尹の太甲を放つが如き、是れ権なり」と。仁斎先生曰く、「伊尹の太甲を放つが若きは、固より是れ権なり。湯武の放伐の如きは、之を道と謂ふべく、之を権と謂ふべからず」と。妄なるかな。所謂権とは、舜の告げずして娶るが如き是なり。伊尹の太甲を放つは、大臣の道爲り、豈に之を権と謂ふを得んや。湯武の放伐は、聖人の事なり。聖人は道の出づる所なり、故に古は湯武を論ずる者無し。後世の儒者は傲然として自ら高くし、聖智を以て自ら処り、妄りに意ふに道は天地に先だちて生ず、と。故に是の妄説有り。豈に僭ならずや。
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『翁問答』下卷之末嫂溺は非常の変にしてこれをすくふ礼法なければ、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは礼なりといはずして権なりといへり、権は道の総名なれば、権即ち道、道即ち権なる故に、道也といはんために権也といへるなり、此章、男女授受するに親らせざるは礼なり、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは道なりとならば、経に反して道に合ふの見あやまりあるまじ、権也といへるによつて、権の字になずみてうたがひあるなり、此章の主意、礼と権との弁をあかすにあらず、儒者の道は法におちずあとになづまず、上天時に律り下水土に襲て至善に止を本とすることを開示するものなり、淳于髡をのれが私心をもて孟子にうかゞひ、孟子は当時の諸侯の無礼をにくみつかへめされざるを見て、礼法になづみたる人なりと思ふによつて、嫂溺の事を寓言して孟子を諷したり、しかる故に孟子儒者の道は専権をもて主本として物に凝滞せず迹になづまず、活溌なることをしらしめて、その迷ひをとかんために道とはいはずして権也と論じめされたり。