価原 / 『価原』国初の質素と乗り物や三絃の移り変わり
サレバ神君三河ニマシマセシ頃ハ知行トレル人ノ妻迎ヘニモ負木ト云モノアリテ婦ニハ被カヅカセ負木ニ腰懸サセテ迎ヘシ由ナリサル故ニ慶長十一年丙午江城修造マシマシテ次第ニ人民聚リ會ヒ蕃昌斜ナラザリシカドモ竹輿トテモ武家願ヒ達シテ用ヒ町家ナドノ用ニハアラズ橋本甚三郎ト云シハ上ノ御用ヲモ達スル大家ニテ後髪剃テ深入ト云ヒシガ珍シク濕張リノ竹輿ヲ免サレ不案内ナレバ下乘場ニ乘コシ目附ニ糺サレ難義ニ及ケルヲ朽木民部少輔殿見テ橋本ニ下ルベキ物ガノリ物デ深入ヲシテ答メラレケリト戯ニ挨拶有テスミシ由ナリ是等モ其類ナキヨリカカル過ハアリシナリ唐モ大和モ昔ハ馬ナリシガイツシカ轎盛ニナリ今ハ下下マデ用ル様ニナレリ馬ハ人ノ乘ルモノニシテ人ハ人ノ乘ル者ニアラズト古人コレヲ畏レキ心アラン人ハ愼ムベキコトナリコノ比ハ三絃ナド云者ハ男子ハモトヨリ士商ノ婦女ニ至リテ自奏デル様ノコトハナカリシ由ナリ何事モ國初ハコレニヒトシカリシカバ財用ノ費モサマデ無リシナルベシ
新字:サレバ神君三河ニマシマセシ頃ハ知行トレル人ノ妻迎ヘニモ負木ト云モノアリテ婦ニハ被カヅカセ負木ニ腰懸サセテ迎ヘシ由ナリサル故ニ慶長十一年丙午江城修造マシマシテ次第ニ人民聚リ会ヒ蕃昌斜ナラザリシカドモ竹輿トテモ武家願ヒ達シテ用ヒ町家ナドノ用ニハアラズ橋本甚三郎ト云シハ上ノ御用ヲモ達スル大家ニテ後髪剃テ深入ト云ヒシガ珍シク湿張リノ竹輿ヲ免サレ不案内ナレバ下乗場ニ乗コシ目附ニ糺サレ難義ニ及ケルヲ朽木民部少輔殿見テ橋本ニ下ルベキ物ガノリ物デ深入ヲシテ答メラレケリト戯ニ挨拶有テスミシ由ナリ是等モ其類ナキヨリカカル過ハアリシナリ唐モ大和モ昔ハ馬ナリシガイツシカ轎盛ニナリ今ハ下下マデ用ル様ニナレリ馬ハ人ノ乗ルモノニシテ人ハ人ノ乗ル者ニアラズト古人コレヲ畏レキ心アラン人ハ慎ムベキコトナリコノ比ハ三絃ナド云者ハ男子ハモトヨリ士商ノ婦女ニ至リテ自奏デル様ノコトハナカリシ由ナリ何事モ国初ハコレニヒトシカリシカバ財用ノ費モサマデ無リシナルベシ
書き下し
されば神君三河にましませし頃は、知行取れる人の妻迎えにも負木というものありて、婦にはかづかせ、負木に腰掛けさせて迎えし由なり。さる故に慶長十一年丙午、江城修造ましまして、次第に人民聚り会い、蕃昌斜めならざりしかども、竹輿とても武家願い達して用い、町家などの用には非ず。橋本甚三郎と言いしは、上の御用をも達する大家にて、後髪剃りて深入と言いしが、珍しく湿張りの竹輿を許され、不案内なれば下乗場に乗り込み、目付に糺され難儀に及びけるを、朽木民部少輔殿見て、橋本に、下るべき物が乗り物で深入をして咎められけりと、戯れに挨拶有りて済みし由なり。これらもその類なきより、かかる過ちはありしなり。唐も大和も昔は馬なりしが、いつしか轎盛んになり、今は下々まで用いる様になれり。馬は人の乗るものにして、人は人の乗る者にあらずと、古人これを畏れし心あらん。人は慎むべきことなり。このごろは三絃など言う者は、男子はもとより、士商の婦女に至りて、自ら奏でる様のことはなかりし由なり。何事も国初はこれに等しかりしかば、財用の費もさまで無かりしなるべし。
現代語訳
そこで、神君(徳川家康)が三河におられた頃は、知行を取る人が妻を迎えるにも、負木というものがあって、嫁にはかづき(被り物)をかぶらせ、負木に腰掛けさせて迎えたという。そのため慶長十一年丙午、江戸城の修造があり、次第に人々が集まって、栄えることはひととおりでなかったが、竹輿(竹の乗り物)といえども、武家が願い出て許されて用いるもので、町家などが用いるものではなかった。橋本甚三郎という人は、上の御用も務める大家で、後に髪を剃って深入と名乗ったが、珍しく湿張りの竹輿を許され、不案内なので下乗の場所にそのまま乗り込み、目付に問いただされて困っているのを、朽木民部少輔殿が見て、橋本に「降りるべき所で乗り物に深入りして咎められたのだな」と、冗談めかして声をかけて済んだという。これらもその手本となる例がなかったために、このような過ちがあったのである。唐も日本も昔は馬に乗っていたが、いつの間にか轎(かご)が盛んになり、今は下々まで用いるようになった。「馬は人が乗るものであって、人は人が乗るものではない」と、古人はこれを畏れ慎む心があったのだろう。人は慎むべきことである。近ごろ三絃などといったものは、男子はもとより、武士や商人の婦女に至るまで、自分で奏でるようなことはなかったという。何事も国の初めは同じようであったから、財を使う費用もさほど無かったのだろう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
価原・『価原』奢りに走る太平の世と財の道の疎遠この故に、今日の諸侯の費用は朝観を主とす。次に公事属役の事あり。然りといえども、是れは是れ主盟控撃の権のある所、これを戦争の難に比すれば九牛が一毛なり。謹みて財を節せば、国用は定めて足るの道あるべし。人久しく太平の化に浴し、安楽に慣れ安んじ、奉養の道、日を追って華靡に走る。是の故に、飲食は人生を養うの用を外にして、遠味珍品、烹熟の道、調和の品、日暮れ夜明くるに連なる。衣服は寒暑を防ぐの用を外にして、巧を衒い奇を競い、月を重ねて一端の帛を繍にし、時を踰えて一匹の錦を織り出す。燕安の屋宅、随身の調度、彫幾刻鏤を窮め、財を生ずるの道、日々に疎く、巧を費やすこと歳々に多し。
-
価原・『価原』古になかった物が日用品になったこれについて世の費用を考うるに、古はなくてすみし物の、今は去り難き物、その数を知らず。浮屠家の教えは最も久し。裳瘡なども昔はなかりしとかや。有益無益につき、あらあらこれを数うるに、天文地理の学は西洋を精しとす。癰疽・金瘡の治、また相次ぐ。木綿・火器・望遠鏡・自鳴鐘の類、最も重宝をなす。天教・微瘡は最も疾むべし。しかして天教はすでに根を絶つ。微瘡は世に蔓衍す。煙草は二百年の物、茶は千年の物、人家日用の具となる。髪膏もまた古に見えず。しかうして今や太平百六十年、酒食・技巧・淫靡の風、古にあらず。妓楽・博奕、人を誤る者、数を知らず。もし上古質樸の世に比せば、民生日用の費と半ばせんとす。あに畏れざるべけんや。
-
『政談』金銀錢員數減少する仔細の事夫より段々善き人は尚ほ一人の身の上に物入り多くなりたり、この三四十年以前は同心の家に畳を敷きたる家なし、上下を着る事なし、今は畳も敷き、唐紙を立て、家居も身上善れは与力と左のみ変りなし、上下を着て出てたる所は善き知行取りなり、御入国初めの頃は武家の若党の袴着ること無し、絹己上着ること無し、今も尾州には古風遺りて、家中の若党木綿布子に大小計りなり、是れ其の初め御旗本は御直参なるゆゑ、諸大名と変りなし、御旗本の家来金切米とるものも諸大名の家来の知行取るものも同格なりと云ふより起りて、今は家中の若党まて結搆になるなり、昔は年貢を強く取れとも百姓つぶれす、今は総体年貢安くなる、其安きか常となりて少し高けれははや身上つふるゝも、百姓の暮し総体奢りて其奢り今は常となり、これ〳〵の事がならねは百姓一分とて門を張りては居られすと思ふ故なり、是亦元来制度なき世界にて金さへあれは如何様のこともなると云ふ所より、世界の風俗段々に奢りになりたる故なり、斯の如く世界皆成りたる故世界の金人々へ引張り足らす、諸色も高く成りたることなり、
-
価原・『価原』太平の奢りと病根を見る目今は天下太平にして、恩沢天のごとくなれば、なにゆえかかる安楽に耽るぞと思い回らすこともなく、貴きも賤しきも衣服・飲食・居処・交際、ただ日々に華靡に走り、有司も俸禄の外、賄を恃みて事を弁ずるゆえ、田地の租税も重からざること能わず、臣僚の俸粟も減ぜざることを得ず。ゆえに農に余利を見せて人を農に返し、工に力を添えて游手を力に食しめ、財貨他国に出ざる様にと思うなり。もしその病根を見ずして末を追い、令を下して賄賂を禁じ、奢侈をやめんと欲すとも、礼楽講ぜず制度立たず、民用の足らんことを求むとも、綱を結ばずして魚を羨む類なるべし。
-
価原・『価原』太平の世と参勤交代の成り立ち足を以て、金銀は四民共に有無を通ずる要物なれども、専ら交易を事とする者なる故に、金銀の運びを仮ること専要なり。頼朝、府を鎌倉に開かれしより、足利・織田・豊臣継ぎ興るといえども、唯だ馬上を以て天下を治めんと欲して、民を軌物に入るるの挙なく、実の太平と云う事は無かりしに、国家興りしより、徳、妖氛を消し、治、封建に倣い、百六十年来、四海波を揚げず、吾儕小人に至るまで、緩帯鼓腹、早く寝ね旰く食うことを得るも、何れか恩波の及べる所にあらざらん。蓋し国初、藤堂高虎、足利の先轍を鑑み、自ら夫人公子を東都の邸に入れられてより、諸侯後るる者なく、身は封国に就くといえども、家は東都にあり、隔年朝観の礼有りて、割拠虎視の勢い変じて、四海一家の化となり、戸ざさぬ御世となり侍りぬ。
-
価原・『価原』元禄・享保の米価と士と工商の苦楽されば国家の始めは、米価一石二三四五六斗、金一両に当たりし時は、江府諸物の価も廉にして、士庶の苦しむ沙汰もなし。元禄十二年己卯八月十五日の大風により、一両わずかに七斗を糴う。これより歳しきりに登らず、工商の営み食に給するに足らず、都下餓莩多し。これ憲廟職に在せし日なり。それより憲廟の世を終え、文廟職に即かせ給い、正徳元年辛卯の秋、米価やや賤くなりて、壬辰の春に至りては九斗一両に相当れり。章廟の時、乾金の沙汰あり。有廟の時、西国の苗稼ことごとく腐るに逢いて、享保辛丑の夏、一両わずかに米六斗余を糴う。元禄の頃、糴にわかに貴かりしには餓莩多かりしかども、二十余年これに慣れたれば、治生の道これに居り合い出来りたれば、これが常となりぬ。元禄以前は米価賤しうして士庶苦しまず、元禄の始め米価貴うして士人は利を得、工商は飢ゆ。以来米価依然として、工商は苦しまず、士人は餓ゆ。もし今日米価元禄の旧に復せば、士人手足を措く地なけん。これ居り合うと居り合わざるとの間にして、権の入り用もし有る時の事なるべし。