政談 / 金銀錢員數減少する仔細の事
夫より段々善き人は尙ほ一人の身の上に物入り多くなりたり、この三四十年以前は同心の家に疊を敷きたる家なし、上下を着る事なし、今は疊も敷き、唐紙を立て、家居も身上善れは與力と左のみ變りなし、上下を着て出てたる所は善き知行取りなり、御入國初めの頃は武家の若黨の袴着ること無し、絹己上着ること無し、今も尾州には古風遺りて、家中の若黨木綿布子に大小計りなり、是れ其の初め御旗本は御直參なるゆゑ、諸大名と變りなし、御旗本の家來金切米とるものも諸大名の家來の知行取るものも同格なりと云ふより起りて、今は家中の若黨まて結搆になるなり、昔は年貢を強く取れとも百姓つぶれす、今は總躰年貢安くなる、其安きか常となりて少し高けれははや身上つふるゝも、百姓の暮し總躰奢りて其奢り今は常となり、これ〳〵の事がならねは百姓一分とて門を張りては居られすと思ふ故なり、是亦元來制度なき世界にて金さへあれは如何樣のこともなると云ふ所より、世界の風俗段々に奢りになりたる故なり、斯の如く世界皆成りたる故世界の金人々へ引張り足らす、諸色も高く成りたることなり、
新字:夫より段々善き人は尚ほ一人の身の上に物入り多くなりたり、この三四十年以前は同心の家に畳を敷きたる家なし、上下を着る事なし、今は畳も敷き、唐紙を立て、家居も身上善れは与力と左のみ変りなし、上下を着て出てたる所は善き知行取りなり、御入国初めの頃は武家の若党の袴着ること無し、絹己上着ること無し、今も尾州には古風遺りて、家中の若党木綿布子に大小計りなり、是れ其の初め御旗本は御直参なるゆゑ、諸大名と変りなし、御旗本の家来金切米とるものも諸大名の家来の知行取るものも同格なりと云ふより起りて、今は家中の若党まて結搆になるなり、昔は年貢を強く取れとも百姓つぶれす、今は総体年貢安くなる、其安きか常となりて少し高けれははや身上つふるゝも、百姓の暮し総体奢りて其奢り今は常となり、これ〳〵の事がならねは百姓一分とて門を張りては居られすと思ふ故なり、是亦元来制度なき世界にて金さへあれは如何様のこともなると云ふ所より、世界の風俗段々に奢りになりたる故なり、斯の如く世界皆成りたる故世界の金人々へ引張り足らす、諸色も高く成りたることなり、
書き下し
夫より段々善き人は尚ほ一人の身の上に物入り多くなりたり、この三四十年以前は同心の家に畳を敷きたる家なし、上下を着る事なし、今は畳も敷き、唐紙を立て、家居も身上善れは与力と左のみ変りなし、上下を着て出てたる所は善き知行取りなり、御入国初めの頃は武家の若党の袴着ること無し、絹己上着ること無し、今も尾州には古風遺りて、家中の若党木綿布子に大小計りなり、是れ其の初め御旗本は御直参なるゆゑ、諸大名と変りなし、御旗本の家来金切米とるものも諸大名の家来の知行取るものも同格なりと云ふより起りて、今は家中の若党まて結搆になるなり、昔は年貢を強く取れとも百姓つぶれす、今は総体年貢安くなる、其安きか常となりて少し高けれははや身上つふるゝも、百姓の暮し総体奢りて其奢り今は常となり、これ〳〵の事がならねは百姓一分とて門を張りては居られすと思ふ故なり、是亦元来制度なき世界にて金さへあれは如何様のこともなると云ふ所より、世界の風俗段々に奢りになりたる故なり、斯の如く世界皆成りたる故世界の金人々へ引張り足らす、諸色も高く成りたることなり、
現代語訳
それより段々身分のよい人は、なおさら一人の身の上に物入りが多くなった。この三四十年前は、同心の家で畳を敷いた家はなく、裃を着ることもなかった。今は畳も敷き、唐紙(襖)を立て、住まいも暮らし向きがよければ与力とさほど変わりがない。裃を着て出たところは立派な知行取りである。御入国(家康の江戸入り)の初めの頃は、武家の若党が袴を着けることはなく、絹以上を着ることもなかった。今も尾張には古風が残って、家中の若党は木綿の布子に大小の刀だけである。これはその初め、御旗本は将軍の直参であるから諸大名と変わりがない、御旗本の家来で金・切米を取る者も、諸大名の家来で知行を取る者も同格である、ということから起こって、今は家中の若党まで立派になったのである。昔は年貢を強く取っても百姓はつぶれなかった。今は総じて年貢は安くなっているが、その安さが常となって、少し高ければもう身代がつぶれる。これも百姓の暮らしが総じて奢って、その奢りが今は常となり、これこれのことができなければ百姓の一分として門を張ってはいられないと思うからである。これもまた、もともと制度のない世の中で、金さえあればどのようなこともできるというところから、世の風俗が段々に奢りになったからである。このように世の中がみななったので、世の中の金が人々に行き渡らず、諸物も高くなったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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