価原 / 『価原』太平の世に金銀へ向かう心
サレバ戰國ノ頃ハ日夜鬪爭ヤムコト無カリシカバ手ヲ拱イテ人ニ命ヲ授クベキ様モナケレバ人防禦ヲ主トシテ僧モ俗モ農モ商モ其實ハ武士ナリキ今ヤ昇平ノ世ノ中ニシテ唯苦シムコトハ金銀ナレバ上下ヲシナベテ唯一心專念金銀ニアリコヽニ於テ其形ハサマザマカハレドモ心ハ何レカ乾沒ニ在ラザラン一得一失ノ理勢誠ニイカントモスベカラザルモノナルベシサレバ今天下ノ事勢ヲ聞クニ何方ヲ尋ネテモ郡縣ノ人ハ年年ニ減リ都會ノ人ハ年年ニ增ス由也是衡ヲトル人ノ最眼ヲ着クベキ所ナリ
新字:サレバ戦国ノ頃ハ日夜闘争ヤムコト無カリシカバ手ヲ拱イテ人ニ命ヲ授クベキ様モナケレバ人防禦ヲ主トシテ僧モ俗モ農モ商モ其実ハ武士ナリキ今ヤ昇平ノ世ノ中ニシテ唯苦シムコトハ金銀ナレバ上下ヲシナベテ唯一心専念金銀ニアリコヽニ於テ其形ハサマザマカハレドモ心ハ何レカ乾没ニ在ラザラン一得一失ノ理勢誠ニイカントモスベカラザルモノナルベシサレバ今天下ノ事勢ヲ聞クニ何方ヲ尋ネテモ郡県ノ人ハ年年ニ減リ都会ノ人ハ年年ニ增ス由也是衡ヲトル人ノ最眼ヲ着クベキ所ナリ
書き下し
されば戦国の頃は日夜闘争やむこと無かりしかば、手を拱いて人に命を授くべき様もなければ、人は防禦を主として、僧も俗も農も商も、その実は武士なりき。今や昇平の世の中にして、ただ苦しむことは金銀なれば、上下をしなべて、ただ一心専念、金銀にあり。ここにおいて、その形はさまざま変われども、心はいずれか乾没にあらざらん。一得一失の理勢、誠にいかんともすべからざるものなるべし。されば今、天下の事勢を聞くに、いずかたを尋ねても、郡県の人は年々に減り、都会の人は年々に増す由なり。これ衡を取る人の最も眼を着くべき所なり。
現代語訳
そこで、戦国の頃は日夜の争いがやむことなく、手をこまねいて人に命を預けるわけにもいかなかったから、人は防御を第一とし、僧も俗人も、農も商も、その実は武士であった。今は太平の世となり、ただ苦しむことは金銀のことなので、上も下もこぞって、一心に金銀ばかりを思っている。こうして、その姿かたちはさまざまに変わっても、心はどれも損得の勝負事に向いていないものはない。一つ得れば一つ失うという成り行きの理は、まことにどうにもならないものであろう。そこで今、天下の様子を聞くと、どこを尋ねても、郡県の人は年々減り、都会の人は年々増えているという。これこそ、秤を取る人が最も目をつけるべきところである。
解説

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価原・『価原』博奕と賭けごとが広がる太平の世ここにおいて人巧を費やすの道を日日に求めて、金銀を運ぶの巧みようやくなる。博奕・富など言う様のことを興行し、富む者は貯えてその息を取り、富まざる者は営営として東に走り西に走り、天地生生の貯えをただ飲み潰し食い潰し、日を終え年を終う。ついには囲碁・象戯・俳諧様の物までも賭けになり侍りて、殺風景はなはだし。されば金銀の用貴ければその権重し。重うして貴ければ人よくこれを積む。積む者多ければ乏しき者多し。然れば今の多債に困窮することは、金銀多きの致す所なり。金銀は無情の物なれば、人を苦しめん様なし。ただ所置よろしきを失すれば、権傾くの致す所なり。
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価原・『価原』平準の要領と費用の源今天下の勢い、末を追って金銀の便利を知り、その息を積んで游手とならんことを冀い、米粟布帛を賤んで余分を家に蓄うるの道を知らざるほどに、上下市井の心になりて、久安の計に暇なし。ここにおいて、僧は仏を売り、巫は神を売り、学者は道を売り、医は薬を売り、形はさまざま変われども、心は商賈にあらざるはなし。かくまで久しく人の心に染みたる金銀なれば、たとい聖人出でたりとも、一朝一夕に金銀の軽く六府の重きをば知らしめ難かるべし。然りとて金銀を一切に除き去って治をなせとにはあらず。何とぞ費用多き所の故いかんと尋ね、借るべき天下の源を塞ぎ、有金の家をして天下の百貨を網することを得ざらしめて、諸侯の国小康を得、四民その業を楽しむことを得べし。これ平準の要領なり。
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価原・『価原』遊手が民の膏血を費やす都会都会はかく財宝に富める地なり。遊手ども日日夜夜に集まり会い、文彩・刻鏤・音声・技巧、人の目を奪い心を蕩かすことを巧み衒いて、良民力を尽くして生じ出す者を費やし、人の嚢中の物を釣り出す。ここにおいて釣る者と釣らるる者と、同じく民の膏血を貪り費やす。然れば、金あれば成らざることなしと金を悦ぶ心は、吾儕小人一身を安んずるの計にして、天下国家を有する人の悦びとすることにあらず。金銀の通用は、天地よりして観る時は、左の物を右に移し右の物を左に移すに過ぎずして、布粟器械、昨日まで無きものの今日は天地の間に出来て、造化の功を賛け、飢渇を癒やし、寒暑を禦ぐの功に、何ぞ比ぶべき。
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価原・『価原』豊凶で揺れる本業と庸作この故に、郡県布粟に余計なく、都会積聚に蠧虫あり。穀は満ち易くして減り易し。さるによって、一年年登れば天下に穀満ち、一年年倹なれば郡県穀尽く。満つれば人々糧乏しからぬ程に、各職に就きて本業に帰せんことを思う。尽くれば糧に仰ぐ所なき程に、壮者は庸作に餬い、弱者は乞丐に餬う。本業を捨てて余業に餬うは、勢いの已むことを得ざるに出でて、その本心にあらず。ゆえに年登るを見れば、遠客の帰舟に逢うがごとく、余業を捨てて本業に帰らんとする程に、庸作する者稀にして、余業を務むる者怠る。ここにおいて諸価みな騰貴す。しかうして一年穀熟せざれば、雨後の潦水たちまち涸るるがごとく、また本業を捨てて余業に走る。ここにおいて諸価また賤し。畢竟民一年立になりて、定まれる業の餬うに足る者なければなり。それ人情誰か本業に帰し安きに就くことを願わざる者あらんや。これ郡県に凶饑の備えなく、一度は本業につき一度は本業を離るればなり。もし真の太平を得んとならば、金銀の通利を貴ばず、余布余粟を民家に蓄えしむべし。
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価原・『価原』金銀の行方と商人に傾く権噫、昔は天下国家を有するをこそ富貴とは申し侍れ。然るに今の有国者は、媚びを素封の家に求め、陶朱・猗頓が徒、斉・魯のごとき国を見ても、おのが家内の出納のごとく思うほどに、貴き者は貧しく賤しき者は富みて、富貴胡越を隔てたり。これをもって今まず金銀に餒る者は諸侯なり。廉恥の風を導かんと欲すとも、倉廩実ちて礼節を知る民なれば、いかでかこれを導き得ん。金銀すでに多く、費用すでに広し。債の多き所なり。古を稽え今を察するに、金銀は当今を盛んなりとす。しかして金銀に窮するも今のごときはなし。故に人々相会えば、ただ金銀のなきを語る。天下に通じて然り。天下に通じて人皆金銀のなきを語らば、いずれの処に隠るるとする。試みに今、金銀のある処を索るに、諸侯の国よりして士農工ともに金を蓄えず。然らば則ち商賈にあること知るべし。商賈一同ならずといえども、その能く巨万を積む者、他にあらず。商賈すでに素封の富を有すれば、千里控撃の権、半ばはすでにその手に帰す。蘇秦・張儀が者流、会計の道をもって往往六国の印を帯ぶ。ここにおいてその徒、身は公門に鞠躬すといえども、心は実に千乗を呑む。その心、農工を見ること奴隷のごとし。ただ彼が見て奴隷のごとくするのみならず、農工もまた彼を仰ぐこと主君のごとし。
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価原・『価原』米も人も都会へ輸される郡県我見聞する所をもってこれを言うに、このあたりにても七八十年以前は、京畿・大阪の辺りより児女を連れ下り、家に使いて、近き頃までも多かりき。今その子孫なお幾ばくも有り。今はこれよりただひたすらに上ることばかりにて、下ることはなし。事小なるに似たりといえども、時勢の変見つべし。財貨控掣の権、すでに商賈に属すれば、米粟布帛魚塩百品、生ずるをおそしと、皆都会の地に向かいて輸す。輸するあとは、貧家は初めより衣食に足らず、富家はわずかにその年衣食の料を留めて売るほどに、農家の余計の地を払って空しく輸す。向かうは財宝四方より輻湊するほどに、諸貨常に余計を貯え、その糴を停むれば、国郡食に乏し。糴を拒む日は郡県、金銀を仰ぐ所なし。これをもって郡県余計なければ、ただこれを都会に恃む。都会またこれを巨商に恃む。郡県すでに財宝に余計なきほどに、貧民みな本業を捨てて金銀を営む。営み得て穀郡県に帰る時、価前より貴く、量前より減ず。これに加うるに、送迎の費またいくばくぞや。