価原 / 『価原』博奕と賭けごとが広がる太平の世
ココニ於テ人巧ヲ費スノ道ヲ日日ニ求メテ金銀ヲ運ブノ巧漸ニナル博奕富ナト云様ノコトヲ興行シ富ム者ハ貯ヘテ其息ヲトリ富ザルモノハ營營トシテ東ニ走リ西ニ走リ天地生生ノ貯ヲ唯飮潰シ食潰シ日ヲ終ヘ年ヲ終フ終ニハ園基象戲俳諧様ノ物マデモ賭ニナリ侍リテ殺風景甚シサレバ金銀ノ用貴ケレバ其權重シ重フシテ貴ケレバ人能クコレヲ積ム積ム者多ケレバ乏シキ者多シ然レバ今ノ多債ニ困窮スルコトハ金銀多キノ致ス所ナリ金銀ハ無情ノ物ナレバ人ヲ苦シメン様ナシ唯所置宜シキヲ失スレバ權傾クノ致ス所ナリ
新字:ココニ於テ人巧ヲ費スノ道ヲ日日ニ求メテ金銀ヲ運ブノ巧漸ニナル博奕富ナト云様ノコトヲ興行シ富ム者ハ貯ヘテ其息ヲトリ富ザルモノハ営営トシテ東ニ走リ西ニ走リ天地生生ノ貯ヲ唯飲潰シ食潰シ日ヲ終ヘ年ヲ終フ終ニハ園基象戯俳諧様ノ物マデモ賭ニナリ侍リテ殺風景甚シサレバ金銀ノ用貴ケレバ其権重シ重フシテ貴ケレバ人能クコレヲ積ム積ム者多ケレバ乏シキ者多シ然レバ今ノ多債ニ困窮スルコトハ金銀多キノ致ス所ナリ金銀ハ無情ノ物ナレバ人ヲ苦シメン様ナシ唯所置宜シキヲ失スレバ権傾クノ致ス所ナリ
書き下し
ここにおいて人巧を費やすの道を日日に求めて、金銀を運ぶの巧みようやくなる。博奕・富など言う様のことを興行し、富む者は貯えてその息を取り、富まざる者は営営として東に走り西に走り、天地生生の貯えをただ飲み潰し食い潰し、日を終え年を終う。ついには囲碁・象戯・俳諧様の物までも賭けになり侍りて、殺風景はなはだし。されば金銀の用貴ければその権重し。重うして貴ければ人よくこれを積む。積む者多ければ乏しき者多し。然れば今の多債に困窮することは、金銀多きの致す所なり。金銀は無情の物なれば、人を苦しめん様なし。ただ所置よろしきを失すれば、権傾くの致す所なり。
現代語訳
こうして人は、人の手わざを費やす方法を毎日探し求め、金銀を運用する技巧が次第に巧みになっていく。博奕や富(富くじ)のようなものを興行し、富む者は金を貯えてその利息を取り、富まない者はあくせくと東へ西へと走り回り、天地が生み育てた蓄えをただ飲み潰し食い潰して、日を過ごし年を終えてしまう。ついには囲碁、将棋、俳諧のようなものまで賭けごとになってしまい、殺風景なことはなはだしい。そこで、金銀の働きが尊ばれれば、その権勢は重くなる。重く尊ばれれば、人はよくこれを積み上げる。積む者が多ければ、乏しい者も多くなる。そうであれば、今の人々が多額の債務に苦しんでいるのは、金銀が多くなったことの結果である。金銀は情を持たない物であるから、人を苦しめようとするはずはない。ただ、その扱いが適切さを失えば、秤の権(おもり)が傾いてしまう、その結果なのである。
解説

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『翁問答』下卷之末体充曰、子曰く、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、与に道に適くべし、未だ与に立つべからず、与に立つべし、未だ与に権るべからず、此聖謨を以て見れば、権は初学の取さたすべきことにあらずと存候はいかゞ。師の曰、此聖謨は学者の面々のいたる所の位をよしと画して上達の志あつからざるをいましめ引たてたまふ主意なり、初学の者権を取さたすべからずとのたまふにはあらず、可与共の学は、即ち此権の道をまなぶ学なり、可与適の道も、即ち此権の道なり、可与立の道も即ち此権の道なり権の外に道なし、道の外に権なし、権の外に学なく学の外に権なし、但その受用に生熟、大小、精粗の差別あるのみ、しかる故に此聖謨の主意は、工夫成就の次第をあかして至極無上の神道を指出して、学者の準的を示たまふものなり、孟子性善を道ひ、言へば必ず堯舜を称す、公明儀曰く、文王は我が師なり、周公豈我を欺かんや、かくの如きの賢範をよく体験して明に弁知べし、若この準的をしらざるときは心学の徒なりとも、欣真落法の地に執滞して、非礼の礼多あるべし。
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『翁問答』下卷之末大賢以下の人は気質の累ありて明徳くらく、権をおこなふこと能はざる故に、聖人天下のために礼法を定たまふ、此礼法もすなはち権の道なれ共、すでに法に定ぬれば迹ありて変通の活溌なきによつて、権といはずして礼法といふなり、此意をしらず徒に礼法の迹を真実の道なりと心得て、聖人立法の本意権道の妙をさとらずして、礼法になずみて専にとりおこなひ、時中の神理にそむくをば、非礼の礼となづけて君子のせざる所なり、此非礼の礼をも真実の礼なりと迷ひたる人、聖賢の行迹礼法にちがひたるを見てうたがひをなし、礼と権は各別なりなど、得心するなり、此権の字の精義をしらざれば、心学に志ありて致知力行をはげますと云とも、必欣真落法の地にまよふべし、大学の能慮は此権を詳に分別する工夫なり、能得は此権を得心受用するものなり、法ありて法にあらず、在ゆるところなくして在ざる所なく、定ところなくして定らざる処なき権字の理味を、よくよく体認すべし。
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『呻吟語』外篇・治道・聖人は權を以て道を行ふ權の在る所は、利の歸する所なり。聖人は權を以て道を行ひ、小人は權を以て私を濟す。
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『呻吟語』外篇・治道・慎みて權を人に與ふ上に在る者は慎みて權を人に與ふ。
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『弁名』經權先儒曰く、「湯武の放伐、伊尹の太甲を放つが如き、是れ権なり」と。仁斎先生曰く、「伊尹の太甲を放つが若きは、固より是れ権なり。湯武の放伐の如きは、之を道と謂ふべく、之を権と謂ふべからず」と。妄なるかな。所謂権とは、舜の告げずして娶るが如き是なり。伊尹の太甲を放つは、大臣の道爲り、豈に之を権と謂ふを得んや。湯武の放伐は、聖人の事なり。聖人は道の出づる所なり、故に古は湯武を論ずる者無し。後世の儒者は傲然として自ら高くし、聖智を以て自ら処り、妄りに意ふに道は天地に先だちて生ず、と。故に是の妄説有り。豈に僭ならずや。
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『翁問答』下卷之末嫂溺は非常の変にしてこれをすくふ礼法なければ、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは礼なりといはずして権なりといへり、権は道の総名なれば、権即ち道、道即ち権なる故に、道也といはんために権也といへるなり、此章、男女授受するに親らせざるは礼なり、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは道なりとならば、経に反して道に合ふの見あやまりあるまじ、権也といへるによつて、権の字になずみてうたがひあるなり、此章の主意、礼と権との弁をあかすにあらず、儒者の道は法におちずあとになづまず、上天時に律り下水土に襲て至善に止を本とすることを開示するものなり、淳于髡をのれが私心をもて孟子にうかゞひ、孟子は当時の諸侯の無礼をにくみつかへめされざるを見て、礼法になづみたる人なりと思ふによつて、嫂溺の事を寓言して孟子を諷したり、しかる故に孟子儒者の道は専権をもて主本として物に凝滞せず迹になづまず、活溌なることをしらしめて、その迷ひをとかんために道とはいはずして権也と論じめされたり。