価原 / 『価原』租税が重く農が離れていく流れ
豐臣太閤以來租稅之法三分之二地領取之三分之一耕民之ヲ取ル昔戰闘ノ世ニサヘ是ニテ事足リシナリ今ヲ以テ國初ニ比スレバ人多ク田野闢ケタリ租稅侯國皆昔ヨリ多シサレド費用昔ニマサルヲ以テ百計聚斂ノ道興ル聚斂興ッテコレヲ受ル者ハ農也農事本難ナリコレニ加フルニ百ノ徴求アリ終ニ生ヲ遂ルコト能ハザレバ民本務ヲ捨テテ工商庸作百ノ技術水ニ走リ山ヲ分チ百計シテ財ヲ求ム已ニ多技ニ走レバ本産ニ怠ラザル事能ハズ深ク耕シ厚ク培ント欲スレドモ得ズ肥タル地ハ瘠セ廣キ地ハ狹ク終ニ本産ニ放レ流亡シテ游民トナル者數フベカラズ今水ニ走リ山ヲ分チ百計シテ財ヲ求ムレドモ此亦聊飢渇ヲ救フニモアラデ半ハ侯家ニ輸スル也受テ納ル様ナレドモコレモ償ノ爲ナレバ其實ハ侯家モ農工モ畢竟富家役ヲトルモノナリ
新字:豊臣太閤以来租税之法三分之二地領取之三分之一耕民之ヲ取ル昔戦闘ノ世ニサヘ是ニテ事足リシナリ今ヲ以テ国初ニ比スレバ人多ク田野闢ケタリ租税侯国皆昔ヨリ多シサレド費用昔ニマサルヲ以テ百計聚斂ノ道興ル聚斂興ッテコレヲ受ル者ハ農也農事本難ナリコレニ加フルニ百ノ徴求アリ終ニ生ヲ遂ルコト能ハザレバ民本務ヲ捨テテ工商庸作百ノ技術水ニ走リ山ヲ分チ百計シテ財ヲ求ム已ニ多技ニ走レバ本産ニ怠ラザル事能ハズ深ク耕シ厚ク培ント欲スレドモ得ズ肥タル地ハ瘠セ広キ地ハ狭ク終ニ本産ニ放レ流亡シテ游民トナル者数フベカラズ今水ニ走リ山ヲ分チ百計シテ財ヲ求ムレドモ此亦聊飢渇ヲ救フニモアラデ半ハ侯家ニ輸スル也受テ納ル様ナレドモコレモ償ノ為ナレバ其実ハ侯家モ農工モ畢竟富家役ヲトルモノナリ
書き下し
豊臣太閤以来、租税の法、三分の二は地領これを取り、三分の一は耕民これを取る。昔、戦闘の世にさえこれにて事足りしなり。今をもって国初に比すれば、人多く田野開けたり。租税、侯国みな昔より多し。されど費用、昔に勝るをもって、百計聚斂の道興る。聚斂興ってこれを受くる者は農なり。農事は本より難なり。これに加うるに百の徴求あり。ついに生を遂ぐること能わざれば、民は本務を捨てて、工商・庸作、百の技術、水に走り山を分かち、百計して財を求む。すでに多技に走れば、本産に怠らざること能わず。深く耕し厚く培わんと欲すれども得ず。肥えたる地は痩せ、広き地は狭く、ついに本産を離れ流亡して遊民となる者、数うべからず。今、水に走り山を分かち百計して財を求むれども、これまた聊かも飢渇を救うにもあらで、半ばは侯家に輸するなり。受けて納むる様なれども、これも償いのためなれば、その実は侯家も農工も、畢竟富家の役を取るものなり。
現代語訳
豊臣太閤以来、租税の法は、三分の二を領主が取り、三分の一を耕す民が取る。昔、戦いの世でさえ、これで事は足りていた。今を国の初めに比べると、人は多く田野も開かれた。租税は諸侯の国々みな昔より多い。けれども費用が昔にまさるので、あらゆる手を尽くして取り立てる道が盛んになる。取り立てが盛んになって、それを受けるのは農である。農事はもともと難しいものだ。それに加えてあらゆる取り立てがある。ついに暮らしを立てることができなくなると、民は本務を捨て、工商や日雇い仕事、さまざまな技術に、水に走り山を分かつようにして、あらゆる手を尽くして財を求める。すでに多くの技に走れば、本来の生産を怠らずにいることはできない。深く耕し厚く培おうとしても叶わない。肥えた地は痩せ、広い地は狭くなり、ついに本来の生産を離れて流れ去り、遊民となる者は数えきれない。今、水に走り山を分かち、あらゆる手で財を求めても、それは少しも飢えや渇きを救うものでなく、半ばは大名家に納めることになる。受けて納めるようではあるが、これも借りの返済のためであるから、その実は大名家も農工も、結局は富家に使われる者なのである。
解説

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価原・『価原』米も人も都会へ輸される郡県我見聞する所をもってこれを言うに、このあたりにても七八十年以前は、京畿・大阪の辺りより児女を連れ下り、家に使いて、近き頃までも多かりき。今その子孫なお幾ばくも有り。今はこれよりただひたすらに上ることばかりにて、下ることはなし。事小なるに似たりといえども、時勢の変見つべし。財貨控掣の権、すでに商賈に属すれば、米粟布帛魚塩百品、生ずるをおそしと、皆都会の地に向かいて輸す。輸するあとは、貧家は初めより衣食に足らず、富家はわずかにその年衣食の料を留めて売るほどに、農家の余計の地を払って空しく輸す。向かうは財宝四方より輻湊するほどに、諸貨常に余計を貯え、その糴を停むれば、国郡食に乏し。糴を拒む日は郡県、金銀を仰ぐ所なし。これをもって郡県余計なければ、ただこれを都会に恃む。都会またこれを巨商に恃む。郡県すでに財宝に余計なきほどに、貧民みな本業を捨てて金銀を営む。営み得て穀郡県に帰る時、価前より貴く、量前より減ず。これに加うるに、送迎の費またいくばくぞや。
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価原・『価原』富人は商賈となり士農は遊手へ移るただしかく傾きし勢いに処するには、金持てるよりよきはなし。金を持つべき様は、乾没にしくはなし。この故に今の富人は十に九は商賈なり。その一つも、外面は異なる様にても、その実みな廃居をつとむ。これに織りて世を渡るに易きは遊手なり。士農工は貧しき者なり。利を見て趨り、害を見て避くるは、天下の通態なり。故に今の士農は本業をうたてに思いなし、十に二三は工商に移り、十に三四は遊手に移る。移れば従前よりは生も遂げ易きほどに、日を逐い年を逐い農を去るの勢いやまず。農減ずれば財減ず。財減ずれば国本薄し。これ郡県の籍年を逐うて減じ、市肆の人日に随って増す所なり。
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価原・『価原』豊凶で揺れる本業と庸作この故に、郡県布粟に余計なく、都会積聚に蠧虫あり。穀は満ち易くして減り易し。さるによって、一年年登れば天下に穀満ち、一年年倹なれば郡県穀尽く。満つれば人々糧乏しからぬ程に、各職に就きて本業に帰せんことを思う。尽くれば糧に仰ぐ所なき程に、壮者は庸作に餬い、弱者は乞丐に餬う。本業を捨てて余業に餬うは、勢いの已むことを得ざるに出でて、その本心にあらず。ゆえに年登るを見れば、遠客の帰舟に逢うがごとく、余業を捨てて本業に帰らんとする程に、庸作する者稀にして、余業を務むる者怠る。ここにおいて諸価みな騰貴す。しかうして一年穀熟せざれば、雨後の潦水たちまち涸るるがごとく、また本業を捨てて余業に走る。ここにおいて諸価また賤し。畢竟民一年立になりて、定まれる業の餬うに足る者なければなり。それ人情誰か本業に帰し安きに就くことを願わざる者あらんや。これ郡県に凶饑の備えなく、一度は本業につき一度は本業を離るればなり。もし真の太平を得んとならば、金銀の通利を貴ばず、余布余粟を民家に蓄えしむべし。
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価原・『価原』太平の奢りと病根を見る目今は天下太平にして、恩沢天のごとくなれば、なにゆえかかる安楽に耽るぞと思い回らすこともなく、貴きも賤しきも衣服・飲食・居処・交際、ただ日々に華靡に走り、有司も俸禄の外、賄を恃みて事を弁ずるゆえ、田地の租税も重からざること能わず、臣僚の俸粟も減ぜざることを得ず。ゆえに農に余利を見せて人を農に返し、工に力を添えて游手を力に食しめ、財貨他国に出ざる様にと思うなり。もしその病根を見ずして末を追い、令を下して賄賂を禁じ、奢侈をやめんと欲すとも、礼楽講ぜず制度立たず、民用の足らんことを求むとも、綱を結ばずして魚を羨む類なるべし。
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価原・『価原』居り合いと仁徳・文帝の例本業他業を交々とらず、物価高下ありとも、粗定準のあるべきあらん。すべて物には居り合いというものあり。今の癖づきたるよりみれば、海内みな富まば奴婢の買うべき無く、庸作の人なくして、かえって難義なるべく思えども、その居り合いを見ぬゆえなり。今の貧民、一年は本業に走り、一年は余業に赴くゆえに、物価騒動して定まらず。本業人あり、余業つとむる所あらば、四海富んで人苦しむことあらんや。いにしえ仁徳天皇の朝には、三年までみつぎをゆるさせ給いしかど、宮膳荒れたるばかりの沙汰あって、その外さわれることも聞かず。今の世の心をもって観れば、怪しきほどに思わるれど、漢の文帝の時、鼂錯が計に従い給い、民に十二年租税の半ばを給い、明年ついに民田の租税を除き給いしも、なお大倉の粟は陳陳相因りしとなり。
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価原・『価原』奢りに走る太平の世と財の道の疎遠この故に、今日の諸侯の費用は朝観を主とす。次に公事属役の事あり。然りといえども、是れは是れ主盟控撃の権のある所、これを戦争の難に比すれば九牛が一毛なり。謹みて財を節せば、国用は定めて足るの道あるべし。人久しく太平の化に浴し、安楽に慣れ安んじ、奉養の道、日を追って華靡に走る。是の故に、飲食は人生を養うの用を外にして、遠味珍品、烹熟の道、調和の品、日暮れ夜明くるに連なる。衣服は寒暑を防ぐの用を外にして、巧を衒い奇を競い、月を重ねて一端の帛を繍にし、時を踰えて一匹の錦を織り出す。燕安の屋宅、随身の調度、彫幾刻鏤を窮め、財を生ずるの道、日々に疎く、巧を費やすこと歳々に多し。