価原 / 『価原』居り合いと仁徳・文帝の例
本業他業ヲ交交トラズ物價高下アリトモ粗定準ノ有ルベキアランスベテ物ニハ居リ合ヒト云者アリ今ノ癖ツキタルヨリミレバ海内皆富マバ奴婢ノ買フベキ無ク儲作ノ人ナクシテ却テ難義ナルベク思ヘドモ其居リ合ヒヲ見ヌ故ナリ今ノ貧民一年ハ本業ニ走リ一年ハ餘業ニ赴ク故ニ物價騷動シテ定ラズ本業人アリ餘業ツトムル所アラバ四海富ンデ人苦ムノコトアランヤ古仁德天皇ノ朝ニハ三年マデミツギヲユルサセ給ヒシカド宮膳アレタルバカリノ沙汰アツテ其外サハレルコトモ聞ズ今ノ世ノ心ヲモテ觀レバ怪シキ程ニ思ハルレド漢ノ文帝ノ時鼂錯ガ計ニ從ヒ給ヒ民ニ十二年租税ノ半ヲ給ヒ明年終ニ民田ノ租税ヲ除キ給ヒシモ猶大倉ノ粟ハ陳陳相ヨリシトナリ
新字:本業他業ヲ交交トラズ物価高下アリトモ粗定準ノ有ルベキアランスベテ物ニハ居リ合ヒト云者アリ今ノ癖ツキタルヨリミレバ海内皆富マバ奴婢ノ買フベキ無ク儲作ノ人ナクシテ却テ難義ナルベク思ヘドモ其居リ合ヒヲ見ヌ故ナリ今ノ貧民一年ハ本業ニ走リ一年ハ余業ニ赴ク故ニ物価騷動シテ定ラズ本業人アリ余業ツトムル所アラバ四海富ンデ人苦ムノコトアランヤ古仁徳天皇ノ朝ニハ三年マデミツギヲユルサセ給ヒシカド宮膳アレタルバカリノ沙汰アツテ其外サハレルコトモ聞ズ今ノ世ノ心ヲモテ観レバ怪シキ程ニ思ハルレド漢ノ文帝ノ時鼂錯ガ計ニ従ヒ給ヒ民ニ十二年租税ノ半ヲ給ヒ明年終ニ民田ノ租税ヲ除キ給ヒシモ猶大倉ノ粟ハ陳陳相ヨリシトナリ
書き下し
本業他業を交々とらず、物価高下ありとも、粗定準のあるべきあらん。すべて物には居り合いというものあり。今の癖づきたるよりみれば、海内みな富まば奴婢の買うべき無く、庸作の人なくして、かえって難義なるべく思えども、その居り合いを見ぬゆえなり。今の貧民、一年は本業に走り、一年は余業に赴くゆえに、物価騒動して定まらず。本業人あり、余業つとむる所あらば、四海富んで人苦しむことあらんや。いにしえ仁徳天皇の朝には、三年までみつぎをゆるさせ給いしかど、宮膳荒れたるばかりの沙汰あって、その外さわれることも聞かず。今の世の心をもって観れば、怪しきほどに思わるれど、漢の文帝の時、鼂錯が計に従い給い、民に十二年租税の半ばを給い、明年ついに民田の租税を除き給いしも、なお大倉の粟は陳陳相因りしとなり。
現代語訳
本業と他業を交互にとることなく、物価に高低があっても、おおよその定まった基準があるはずである。すべての物には、落ち着くべき釣り合いというものがある。今の習慣づいた見方からすれば、天下がみな富めば、買うべき奴婢もなく、日雇いの人もいなくなって、かえって困ることになりそうに思えるが、それは落ち着くべき釣り合いを見ないからである。今の貧民は、一年は本業に走り、一年は他業に赴くので、物価が騒動して定まらない。本業に就く人がいて、他業に励む所があるなら、天下が富んで人が苦しむことがあろうか。昔、仁徳天皇の御代には、三年まで年貢をお許しになったが、宮中の食膳が粗末になったという話があっただけで、そのほかに障りがあったとも聞かない。今の世の心で見れば不思議なほどに思われるが、漢の文帝のとき、鼂錯の計に従い、民に十二年にわたり租税の半ばを与え、翌年ついに民田の租税を除かれたが、それでも大倉の粟は積み重なって古くなったという。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
史記 周本紀周の后稷は、名を棄とす。其の母は有邰氏の女にして、姜原と曰ふ。姜原は帝嚳の元妃為り。姜原野に出で、巨人の跡を見、心忻然として説び、之を践まんと欲す。之を践みて身動くこと孕める者の如し。期に居りて子を生む。以て不祥と為し、之を隘巷に棄つるに、馬牛の過ぐる者皆辟けて践まず。徙して之を林中に置くに、適山林に人多きに会ひ、之を遷す。而して渠中の氷上に棄つるに、飛鳥其の翼を以て之を覆薦す。姜原以て神と為し、遂に収めて之を養長す。初め之を棄てんと欲す、因りて名づけて棄と曰ふ。棄児為りし時、屹として巨人の志の如し。其の游戯するや、好んで麻・菽を種樹し、麻・菽美なり。成人と為るに及び、遂に耕農を好み、地の宜しきを相し、穀に宜しき者は焉に稼穡す。民皆之に法則す。帝堯之を聞き、棄を挙げて農師と為す。天下其の利を得て、功有り。帝舜曰く、「棄、黎民始めて饑う。爾后稷となりて時に百穀を播け」と。棄を邰に封じ、号して后稷と曰ひ、別に姫氏を姓とす。后稷の興るは、陶唐・虞・夏の際に在り、皆令徳有り。后稷卒し、子不窋立つ。不窋の末年、夏后氏の政衰へ、稷を去りて務めず。不窋以て其の官を失ひて戎狄の間に犇る。不窋卒し、子鞠立つ。鞠卒し、子公劉立つ。公劉戎狄の間に在りと雖も、復た后稷の業を修め、耕種を務め、地宜を行ひ、漆・沮より渭を度り、材用を取る。行く者に資有り、居る者に畜積有り、民其の慶に頼る。百姓之を懐ひ、多く徙りて保帰す。周道の興ること此より始まる。故に詩人歌楽して其の徳を思ふ。公劉卒し、子慶節立ち、豳に国す。慶節卒し、子皇仆立つ。皇仆卒し、子差弗立つ。差弗卒し、子毀隃立つ。毀隃卒し、子公非立つ。公非卒し、子高圉立つ。高圉卒し、子亜圉立つ。亜圉卒し、子公叔祖類立つ。公叔祖類卒し、子古公亶父立つ。
-
価原・『価原』雨宿りの木陰と本業の願いたとい悪年にあうとも、みだりに本業をば失うまじ。本業を失わざれば、価に貴賤なきこと能わずとも、また格別のこともあらじ。この故に国家の乏しきという者は、金銀通利の快きに、布粟を積むの人なければなり。布粟を積む人なき者は、金銀を借る人多くして、金銀の利、布粟に倍すればなり。利、布粟に倍して、運輸畜蔵、布粟より便りなり。たとい厳刑をもってこれに臨むとも、この勢いに当たるべからず。今の世の態を見るに、庸作をはじめ、その他の営みにつけても、多くはみなその人の本業にあらず。困苦のため金銀に責められて、已むことを得ずして、しばらくここに雨宿りをし、雨の晴間を待つなり。空少なく晴れ行けば、やがて降るべき空とても、いかでか久しくその木陰には留まるべき。さる程に少しく衣食に休息あれば、女子は嫁し、男子は本業を求め、その務めに服せんことを願うなり。
-
『囲炉夜話』第百二十一則・己を正すは人を率ゐるの本たり種田の人、改めて廛市の生涯を習はば、定めて敗路と爲る。 讀書の人、甘んじて衙門の詞訟に與らば、便ち下流に入る。 己を正すは、人を率ゐるの本たり。成を守るには、創業の艱を念ふ。
-
価原・『価原』豊凶で揺れる本業と庸作この故に、郡県布粟に余計なく、都会積聚に蠧虫あり。穀は満ち易くして減り易し。さるによって、一年年登れば天下に穀満ち、一年年倹なれば郡県穀尽く。満つれば人々糧乏しからぬ程に、各職に就きて本業に帰せんことを思う。尽くれば糧に仰ぐ所なき程に、壮者は庸作に餬い、弱者は乞丐に餬う。本業を捨てて余業に餬うは、勢いの已むことを得ざるに出でて、その本心にあらず。ゆえに年登るを見れば、遠客の帰舟に逢うがごとく、余業を捨てて本業に帰らんとする程に、庸作する者稀にして、余業を務むる者怠る。ここにおいて諸価みな騰貴す。しかうして一年穀熟せざれば、雨後の潦水たちまち涸るるがごとく、また本業を捨てて余業に走る。ここにおいて諸価また賤し。畢竟民一年立になりて、定まれる業の餬うに足る者なければなり。それ人情誰か本業に帰し安きに就くことを願わざる者あらんや。これ郡県に凶饑の備えなく、一度は本業につき一度は本業を離るればなり。もし真の太平を得んとならば、金銀の通利を貴ばず、余布余粟を民家に蓄えしむべし。
-
『囲炉夜話』第百三十八則・大任に當たる者は其の心良に苦し世の樂しみを言ふ者は、但だ讀書の樂しみ、田家の樂しみと曰ふ。本業を務むる者は、其の境常に安きことを知るべし。 古の憂ひを言ふ者は、必ず天下の憂ひ、廊廟の憂ひと曰ふ。大任に當たる者は、其の心良に苦しきことを知るべし。
-
『韓非子』亡徵第十五耕戰の士困しみ、末作の民利する者は、亡ぶ可きなり。