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弁名 / 經權

先儒曰。如湯武放伐。伊尹放太甲。是權。仁齋先生曰。若伊尹之放太甲。固是權。如湯武放伐。可謂之道。不可謂之權。妄哉。所謂權者。如舜不告而娶是也。伊尹放太甲。大臣之道爲爾。豈得謂之權乎。湯武放伐。聖人之事也。聖人者道之所出。故古無論湯武者。後世儒者傲然自高。以聖智自處。妄意謂道先天地生。故有是妄說。豈不僭乎。

新字:先儒曰。如湯武放伐。伊尹放太甲。是権。仁斎先生曰。若伊尹之放太甲。固是権。如湯武放伐。可謂之道。不可謂之権。妄哉。所謂権者。如舜不告而娶是也。伊尹放太甲。大臣之道為爾。豈得謂之権乎。湯武放伐。聖人之事也。聖人者道之所出。故古無論湯武者。後世儒者傲然自高。以聖智自処。妄意謂道先天地生。故有是妄説。豈不僭乎。

書き下し

先儒曰く、「湯武の放伐、伊尹の太甲を放つが如き、是れ権なり」と。仁斎先生曰く、「伊尹の太甲を放つが若きは、固より是れ権なり。湯武の放伐の如きは、之を道と謂ふべく、之を権と謂ふべからず」と。妄なるかな。所謂権とは、舜の告げずして娶るが如き是なり。伊尹の太甲を放つは、大臣の道爲り、豈に之を権と謂ふを得んや。湯武の放伐は、聖人の事なり。聖人は道の出づる所なり、故に古は湯武を論ずる者無し。後世の儒者は傲然として自ら高くし、聖智を以て自ら処り、妄りに意ふに道は天地に先だちて生ず、と。故に是の妄説有り。豈に僭ならずや。

現代語訳

先の儒者は言う。「殷の湯王・周の武王が暴君を討ったこと、伊尹が太甲(殷の王)を追放したことは、権である」と。仁斎先生は言う。「伊尹が太甲を追放したのは確かに権である。湯王・武王の放伐は道というべきで、権というべきではない」と。でたらめである。いわゆる権とは、舜が親に告げずに妻を娶ったようなことである。伊尹が太甲を追放したのは大臣の道であって、どうして権と言えようか。湯王・武王の放伐は聖人のなしたことである。聖人は道が出てくるもとである。だから古には湯武を論評する者はいなかった。後世の儒者はおごり高ぶって自分を聖人の知恵の持ち主とみなし、道は天地より先に生じたものだと勝手に考えた。だからこういう妄説があるのだ。なんと分を越えたことではないか。

解説

湯武の放伐や伊尹の放太甲を「権」とするか「道」とするかの議論を、徂徠は議論の立て方そのものから退ける。権とは、舜が親に告げずに妻を娶ったような個人の臨機の判断にすぎない。伊尹の行いは大臣の職分としての道であり、湯武の放伐は道を作る側である聖人の事業で、後世の学者が論評できるものではない。道を天地自然の理とみるから、聖人の行いまで裁こうとする僭越が生まれるのだという。自分の物差しで創業期の決断を軽々しく裁かない慎みにも通じる。

この章句が説くこと

権湯武伊尹聖人仁斎道

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