価原 / 『価原』春台と東厓に見る銭と銀の相場
是春臺經濟錄ニヨル江府ノ米價也又東厓盡舊錄ヲ讀ニ先元明天皇民ニ幣財交通ノ道ヲ敎給ヒシ始和銅三年ノ詔ヲ引テ曰諸國之地、江山遐阻、負擔之輩、久苦行役、宜時一囊錢作、タリ此時錢貴フシテ銀賤シ二十文以テ銀一錢ニ當ル、新銀出テ八十文以テ銀一錢ヲ買フ然レバ正德中脫粟米二百錢ト云モ四貫文ナリ油九錢ト云モ百八十文ナリ今ヨリシテ觀レバ世豈如此廉價ノ物アランヤ今文ノ字銀元文元年發行ノ時十五貫目ヲ以テ亭保銀十貫目ヲ收レバ錢五十文上下以テ銀一錢ニ替タリ然ルニ今三幣愈麁惡、金黄ナラズ銀白カラズ新鑄ノ錢鐵ヲ用フ若痛ク擲テバ碎ク物價歳歳ニ增ス賤人其勢ノ止ル所ヲ知ラズ安永壬寅十月追加シテ曰予コノ書ヲ著スル時猶銀一錢、錢六七十文ニ當ル今ハ已ニ百ヲ過グ而シテ米價京師浪華百錢ニ充ット傳フ春來猶價ヲ增スベシ
新字:是春台経済録ニヨル江府ノ米価也又東厓尽旧録ヲ読ニ先元明天皇民ニ幣財交通ノ道ヲ教給ヒシ始和銅三年ノ詔ヲ引テ曰諸国之地、江山遐阻、負担之輩、久苦行役、宜時一嚢銭作、タリ此時銭貴フシテ銀賤シ二十文以テ銀一銭ニ当ル、新銀出テ八十文以テ銀一銭ヲ買フ然レバ正徳中脱粟米二百銭ト云モ四貫文ナリ油九銭ト云モ百八十文ナリ今ヨリシテ観レバ世豈如此廉価ノ物アランヤ今文ノ字銀元文元年発行ノ時十五貫目ヲ以テ亭保銀十貫目ヲ収レバ銭五十文上下以テ銀一銭ニ替タリ然ルニ今三幣愈麁悪、金黄ナラズ銀白カラズ新鋳ノ銭鉄ヲ用フ若痛ク擲テバ砕ク物価歳歳ニ增ス賤人其勢ノ止ル所ヲ知ラズ安永壬寅十月追加シテ曰予コノ書ヲ著スル時猶銀一銭、銭六七十文ニ当ル今ハ已ニ百ヲ過グ而シテ米価京師浪華百銭ニ充ット伝フ春来猶価ヲ增スベシ
書き下し
これは春台『経済録』による江府の米価なり。又、東厓『尽旧録』を読むに、先ず元明天皇、民に幣財交通の道を教え給いし始め、和銅三年の詔を引きて曰く、「諸国の地、江山遐かに阻たり、負担の輩、久しく行役に苦しむ。宜しく時に一嚢の銭を作すべし」と。この時、銭貴うして銀賤し、二十文以て銀一銭に当たる。新銀出でて、八十文以て銀一銭を買う。然れば正徳中、脱粟米二百銭と云うも四貫文なり、油九銭と云うも百八十文なり。今よりして観れば、世豈にかくの如き廉価の物あらんや。今、文字銀、元文元年発行の時、十五貫目を以て享保銀十貫目を収れば、銭五十文上下以て銀一銭に替えたり。然るに今、三幣いよいよ粗悪、金黄ならず、銀白からず、新鋳の銭は鉄を用う、もし痛く擲てば砕く。物価歳々に増す。賤人、その勢いの止まる所を知らず。安永壬寅十月追加して曰く、予この書を著す時、猶お銀一銭、銭六七十文に当たる。今は已に百を過ぐ。而して米価、京師浪華百銭に充つと伝う。春来、猶お価を増すべし。
現代語訳
これは太宰春台の『経済録』による江戸の米価である。また、東厓の『尽旧録』を読むと、まず元明天皇が民に貨幣や財を交通させる道を教えられた最初として、和銅三年の詔を引いて、「諸国の地は、山河が遠く隔たっていて、荷を担ぐ者たちは長く旅の労苦に苦しんでいる。よろしく折々に一袋の銭を作るべきである」と述べている。このとき銭は貴く銀は賤しく、二十文が銀一銭に当たった。新しい銀が出ると、八十文で銀一銭を買うようになった。そうであれば、正徳の頃に脱粟米が二百銭といわれたのも、銭にすれば四貫文にあたり、油が九銭といわれたのも百八十文にあたる。今から見れば、世にこのような安い物があるだろうか。また今の文字銀は、元文元年に発行されたとき、十五貫目で享保銀十貫目を収めれば、銭は五十文前後で銀一銭に替えていた。ところが今、金・銀・銭の三つの貨幣はいよいよ粗悪になり、金は黄色くなく、銀は白くなく、新しく鋳た銭は鉄を用い、強く投げれば砕けてしまう。物価は年々増していく。身分の低い人々は、その勢いがどこで止まるのかを知らない。安永壬寅の十月に書き加えていうには、私がこの書を著したときは、まだ銀一銭が銭六、七十文にあたっていた。今はすでに百を超えている。そして米価は京・大坂で百銭にあたると伝えられている。この春以降、さらに値が増すだろう。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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価原・『価原』金銀の多少と物価・漢の米価蝦夷などは今にその土地の産物を出して、我が米穀・煙酒に替えて、銭を用いずとなり。この故に、金銀多ければ物価貴し、金銭少なければ物価賤し。物価賤きは金銀の貴きなり、物価貴きは金銀の賤きなり。諸工の造り出す所の者を見るに、古代の物は精巧にして今の者は粗悪なり。これ、その用の広きより起こるといえども、半ばは金銀の賤しうして物価の貴きに係れり。されば漢の初め、天下に縦にして恣に銭を鋳さしめしかば、米一石五千銭に至りしなり。漢の一石と云うは、今の京升にては大概一斗程の事なり。その後、弊の勢いを抑え、段々人を農にかえし、趙過など云う人出で、農の道を教え、耕を勧め、代田を復し、後には一石の価五銭に至りしなり。
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『政談』諸色直段の事又御城下の宿賃甚た高直なる故諸商人皆之を利倍の算用に入るゝによりて直段下らぬなり、某か祖父伊勢の国に先祖の手作りしたる田地ありて、夫を売て僅に五十両にて整へたる町屋敷其後父か代に人に売りたるか、此二十年程以前には二千両の売替になりたりと承はる、右祖父の整へたるときは天草より余程前のことなれは八十年計以前の事なり、斯の如くにて宿賃四千倍の上になりたれは物の直段高直なる事尤のことなり、此下かる仕方心得あるへし、
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『政談』制度の事是れ町人百姓憎むにあらす、頭か身上右の如くの奢りによりて物入り多く、暮しに物入ること今は常に成りたれは、此の制法出しぬること頭か為めにもよき事なり、第一右の諸物を町人百姓心の儘に用ゆる故、諸色の直段日を逐ふて高直なり、然れとも此の吟味竿の先きに鈴を付けたるやうなることにては仲々参り届くましきなり、当時吉利支丹の如く厳密にさかすへきことなり、されとも畢竟武家を知行所に置くにあらされは此の法田舎迄行渡りかたかるへし、先つ武家には制度を立てす、唯々斯の如く百姓町人に計り制度を立つるときは、諸色特の外に下直になるへし、左様に四五年もして武家に息をつかせ、其の上にて武家にも制度を委細に立ては御政道滞ほりなく行きわたるへし、是れ緩急先後の仕掛なり、