価原 / 『価原』金銀が運ぶ便利さと諸貨の不便
夫金玉ハモト土石ノ精英ニシテ得難ク朽難シ是ヲ以テ至小以テ大ニ對スベク米粟布帛諸貨ノ擁塞ヲ通ズベシ神農日中爲市、致天下之民、聚天下之貨、交易而退、各得其所而貨通、トイヘバ其由テ來ルコト最遠シ然シテ諸貨ノ能スル所ハ金銀ノ能セザル所ニシテ金銀ノ能スル所ハ諸貨ノ能セザル所アリ是ヲ以テ諸貨ハ物大ニシテ數積ム運漕甚難シ夫金銀ノ用トスル所ハ則鎭西ノ米粟舟車ヲ假ラズシテ關東ニシテ炊グベシ北陸ノ布帛牛馬ニ駄セズシテ南海ニシテ衣ルベシ此故ニ行旅ノ人萬里糧ヲ裏マズ腰纏ノ用車馬ト敵スルコトヲ得諸貨ノ如キハ通利惡シキ程ニ米ハ衣ト成難ク衣ハ薪ト成難ク金銀銅錢ノ小物ハ分ッテ用ユベク大物ハ聚メテ償フベキノ自在ニ如ザル事遠シ是天下之靡然トシテコレニ向フ所ナリ
新字:夫金玉ハモト土石ノ精英ニシテ得難ク朽難シ是ヲ以テ至小以テ大ニ対スベク米粟布帛諸貨ノ擁塞ヲ通ズベシ神農日中為市、致天下之民、聚天下之貨、交易而退、各得其所而貨通、トイヘバ其由テ来ルコト最遠シ然シテ諸貨ノ能スル所ハ金銀ノ能セザル所ニシテ金銀ノ能スル所ハ諸貨ノ能セザル所アリ是ヲ以テ諸貨ハ物大ニシテ数積ム運漕甚難シ夫金銀ノ用トスル所ハ則鎮西ノ米粟舟車ヲ仮ラズシテ関東ニシテ炊グベシ北陸ノ布帛牛馬ニ駄セズシテ南海ニシテ衣ルベシ此故ニ行旅ノ人万里糧ヲ裏マズ腰纏ノ用車馬ト敵スルコトヲ得諸貨ノ如キハ通利悪シキ程ニ米ハ衣ト成難ク衣ハ薪ト成難ク金銀銅銭ノ小物ハ分ッテ用ユベク大物ハ聚メテ償フベキノ自在ニ如ザル事遠シ是天下之靡然トシテコレニ向フ所ナリ
書き下し
夫れ金玉はもと土石の精英にして、得難く朽ち難し。是を以て至小以て大に対すべく、米粟布帛諸貨の擁塞を通ずべし。神農「日中に市を為し、天下の民を致し、天下の貨を聚め、交易して退き、各々其の所を得て貨通ず」といえば、其の由って来ること最も遠し。然して諸貨の能くする所は金銀の能くせざる所にして、金銀の能くする所は諸貨の能くせざる所あり。是を以て諸貨は物大にして数積む、運漕甚だ難し。夫れ金銀の用とする所は、則ち鎮西の米粟、舟車を仮らずして関東にして炊ぐべく、北陸の布帛、牛馬に駄せずして南海にして衣るべし。此の故に行旅の人、万里糧を裹まず、腰纏の用、車馬と敵することを得。諸貨の如きは通利悪しき程に、米は衣と成り難く、衣は薪と成り難く、金銀銅銭の小物は分かって用ゆべく、大物は聚めて償うべきの自在に如かざる事遠し。是れ天下の靡然としてこれに向う所なり。
現代語訳
そもそも金や玉はもともと土や石の精髄であって、手に入りにくく、朽ちにくい。それで、ごく小さなもので大きなものに釣り合わせることができ、米や粟や布帛などさまざまな品物の滞りを通じさせることができる。神農が「日の正午に市を開き、天下の民を呼び寄せ、天下の品物を集め、交易して帰り、それぞれが必要なものを得て、品物が行き渡った」と伝えられるのだから、その由来はきわめて古い。そして、さまざまな品物にできることは金銀にできないことであり、金銀にできることはさまざまな品物にできないことである。こういうわけで、品物は大きくてかさばり、運ぶのが非常に難しい。金銀の用とするところは、九州の米や粟を舟や車に頼らず関東で炊くことができ、北陸の布を牛馬に載せなくても南海の地で着られることである。だから旅をする人は、万里の道を行くのに食糧を包まず、腰に巻いた金銀の働きは車馬に匹敵する。品物は流通が悪いので、米は衣に、衣は薪にたやすく変わらない。金銀銅銭のような小さな物は分けて用いることができ、大きな物は集めて支払うことができる自在さには、はるかに及ばない。これが天下がなびくように、金銀に向かう理由である。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
価原・『価原』幣は荷を運ぶ舟車にすぎない金銀は諸貨に易えて用ゆるを以てその用とす。金銀並びに銭、これを幣と云う。珍にして小なり。諸貨の重大にして移し難きには、運びを助くる者なれば、その用、舟車に近き者なり。金銀は貴重なり、能く大物を運ぶ。銭は賤しうして衆し、能く小物を運ぶ。貴賤軽重あるを以て、銀以て金を分かつべく、銭以て銀を分かつべし。この故に、これを金銀といえば銭もまたその内にあり。先ず天下の勢いを慮る人は、能く財の有用無用を弁知すべし。譬えば海内にかく沢山に充てる所の金銀、今ことごとく尽き果てたりとも、他の五材あらましかば、民生立たぬという事の有るべきや。
-
価原・『価原』三幣の変遷と金銀の本来の面目蓋し金銀銅の三幣、金は大用有りて瑣碎に用い難く、銭は小砕に便にして大用に便ならず、銀は中間にあるものにして、三幣の代る代る用をなす所なり。昔は人質朴にして、金は砂金、銀は炭吹き様のもの多く通じたり。天正の頃より大判小判丁銀など始まり、慶長四年始めて一分判出来、慶長六年の後、大判小判一分判丁銀豆板等改らる。これ国家の造幣にして、以来、元禄・享保・元文、近来に到りて、三幣色々の製ども出来りし也。夫れ金銀は幣の用を主とす。民用に於いては鉄を主とす。然して銅は幣・器兼ね用うる者なり。金銀若し幣の用を除けば、刀の縁頭、仏殿の荘厳、漆匠の描金など、玩物に過ぎず。薬用も有れども要薬にはあらず。されば近来は費多くなりて、さまでに多き金銀猶お給する事能わず、楮鈔大いに世に行わる。金銀の用は唯だ諸貨運輸の用ばかりなれば、楮鈔にても飛銭にても済む者也。余貨の如きは、寒を凌ぐことは布帛にあらざれば能わず、飢を愈すことは米粟に非ざれば能わざるにて、金銀本来の面目を知るべし。この故に、天下の権を執りて経済に心を用ゆる人は、有用の貨を日々に生殖し、無用の貨を貴ばぬ様に致すべき事なり。金銀を以て天下の豊倹を病む人は、回天の功は有り難かるべし。
-
価原・『価原』金銀の多少を憂えず用を察する然れば金銀の多少は、強いて国を有つ者の患いとすべきにあらず。唯だ金銀の用は何物ぞ、米粟布帛百の器財庸作の用は何物ぞと察すれば、金銀の盛んに行わるる有益無益、知るべきなり。今、金銀の通用を好むこと、独り日本のみならず、万国同じく然り。万国同じく金銀を好むといえども、金銀の多き事、我が国の如きは稀なり。その徴には、海舶の長崎にて交易する者、価はなはだ廉なり。商買の手に入り売買する日和物の価と相比すれば、海外直廉なる事知るべし。金銀少なければ少なきにて釣り合い、多ければ多き程の釣り合いになる者なり。
-
価原・『価原』金銀の急と布粟の緩布帛・米粟は諸貨交易に便ならず、便ならざるをもって金銀の用広し。これをもって金銀の用は急にして布粟の用は緩し。緩きを置きて急なるを先んずは、勢い然らざることを得ず。ゆえに布粟にはこと足れども金銀足らぬゆえ、布粟を貯うるをば損と見て、足るも足らざるも布粟は家にとどめぬゆえ、金銀に富める人も米粟に余りなきことは相似たり。用多ければ借り人多し。借る人多ければ、銭神足なくして飛ぶ。用少なければ借り人少し。借り人少なければ、銭権衰えて飛騰の用殺ぐ。銭権衰うれば布粟蓄うべし。布粟蓄うることを得て、今年の熟をもって来年の饑を防ぐべく、今年の布をもって来年の寒を防ぐべし。国を有つ人は、あながちに己が府庫に物を積まぬとて、貧しきとは言い難し。
-
価原・『価原』金銀の美と国外への流出金銀もと美物、国家を有つ人は布粟金銀府庫に満ち、下をして兼併偏重の勢いなからしめば、用を通ずる能、まことに諸貨の及ぶところにあらず。軍中の捷利、民間の必用、国を有つ者の欠ぐべき者にあらず。それ金の山にある、土石の精英にして至って得難し。至美至重にして万国みな望みをこれに属す。しかればこれを得んもの、土石のごとく思わんこと、下、人巧の労疲を察せず、上、造化の精英を貪り、国を有つ者は国を傾け、家を有つ者は家を破る。かつ各国その境界あり、界を出る者は再び帰らず。最も憚らざるべけんや。
-
価原・『価原』金銀の多少と物価・漢の米価蝦夷などは今にその土地の産物を出して、我が米穀・煙酒に替えて、銭を用いずとなり。この故に、金銀多ければ物価貴し、金銭少なければ物価賤し。物価賤きは金銀の貴きなり、物価貴きは金銀の賤きなり。諸工の造り出す所の者を見るに、古代の物は精巧にして今の者は粗悪なり。これ、その用の広きより起こるといえども、半ばは金銀の賤しうして物価の貴きに係れり。されば漢の初め、天下に縦にして恣に銭を鋳さしめしかば、米一石五千銭に至りしなり。漢の一石と云うは、今の京升にては大概一斗程の事なり。その後、弊の勢いを抑え、段々人を農にかえし、趙過など云う人出で、農の道を教え、耕を勧め、代田を復し、後には一石の価五銭に至りしなり。