価原 / 『価原』金銀の多少と物価・漢の米価
蝦夷ナドハ今ニソノ土地ノ産物ヲ出シテ我米穀烟酒ヲカエテ錢ヲ用ヒズトナリ此故ニ金銀多ケレバ物價貴シ金錢少ケレバ物價賤シ物價賤キハ金銀ノ貴キ也物價貴キハ金銀ノ賤キ也諸工ノ造リ出ス所ノ者ヲ見ルニ古代ノ物ハ精巧ニシテ今ノ者ハ粗惡也是其用ノ廣キヨリ起ルトイヘドモ半ハ金銀ノ賤シウシテ物價ノ貴キニ係レリサレバ漢ノ初天下ニ縱シテ恣ニ錢ヲ鑄サシメシカバ米一石五千錢ニ至リシナリ漢ノ一石ト云ハ今ノ京升ニテハ大概一斗程ノ事ナリ其後弊ノ勢ヲ抑ヘ段々人ヲ農ニカヘシ趙過ナド云人出デ農ノ道ヲ敎ヘ耕ヲス、メ代田ヲ復シ後ニハ一石ノ價五錢ニ至リシナリ
新字:蝦夷ナドハ今ニソノ土地ノ産物ヲ出シテ我米穀烟酒ヲカエテ銭ヲ用ヒズトナリ此故ニ金銀多ケレバ物価貴シ金銭少ケレバ物価賤シ物価賤キハ金銀ノ貴キ也物価貴キハ金銀ノ賤キ也諸工ノ造リ出ス所ノ者ヲ見ルニ古代ノ物ハ精巧ニシテ今ノ者ハ粗悪也是其用ノ広キヨリ起ルトイヘドモ半ハ金銀ノ賤シウシテ物価ノ貴キニ係レリサレバ漢ノ初天下ニ縦シテ恣ニ銭ヲ鋳サシメシカバ米一石五千銭ニ至リシナリ漢ノ一石ト云ハ今ノ京升ニテハ大概一斗程ノ事ナリ其後弊ノ勢ヲ抑ヘ段々人ヲ農ニカヘシ趙過ナド云人出デ農ノ道ヲ教ヘ耕ヲス、メ代田ヲ復シ後ニハ一石ノ価五銭ニ至リシナリ
書き下し
蝦夷などは今にその土地の産物を出して、我が米穀・煙酒に替えて、銭を用いずとなり。この故に、金銀多ければ物価貴し、金銭少なければ物価賤し。物価賤きは金銀の貴きなり、物価貴きは金銀の賤きなり。諸工の造り出す所の者を見るに、古代の物は精巧にして今の者は粗悪なり。これ、その用の広きより起こるといえども、半ばは金銀の賤しうして物価の貴きに係れり。されば漢の初め、天下に縦にして恣に銭を鋳さしめしかば、米一石五千銭に至りしなり。漢の一石と云うは、今の京升にては大概一斗程の事なり。その後、弊の勢いを抑え、段々人を農にかえし、趙過など云う人出で、農の道を教え、耕を勧め、代田を復し、後には一石の価五銭に至りしなり。
現代語訳
蝦夷などでは、今もその土地の産物を出して、わが国の米穀や煙草・酒と取り替え、銭を用いないということである。このようなわけで、金銀が多ければ物価は高く、金銭が少なければ物価は低い。物価が低いのは金銀が貴いということであり、物価が高いのは金銀が賤しいということである。さまざまな職人が造り出す品を見ると、古代の物は精巧で、今の物は粗悪である。これは用途が広がったことから起こったとはいえ、半ばは金銀が賤しくなって物価が高くなったことに関わっている。そこで漢の初めには、天下に自由に好き勝手に銭を鋳造させたので、米一石が五千銭にまでなった。漢の一石というのは、今の京升では大体一斗ほどのことである。その後、弊害の勢いを抑え、次第に人を農業に帰らせ、趙過といった人が出て、農の道を教え、耕作を勧め、代田の法を復活させたので、後には一石の値が五銭にまでなったのである。
解説

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