価原 / 『価原』金銀の多少を憂えず用を察する
然レバ金銀ノ多少ハ强テ有國者ノ患トスベキニアラズ唯金銀ノ用ハ何物ゾ米粟布帛百ノ器財庸作ノ用ハ何物ゾト察スレバ金銀ノ盛ニ行ル、ノ有益無益知ルベキナリ今金銀ノ通用ヲ好ムコト獨日本ノミナラズ萬國同ジク然リ萬國同ジク金銀ヲ好ムトイヘドモ金銀ノ多キ事我國ノ如キハ稀ナリ其徴ニハ海舶ノ長崎ニテ交易スル者價太ダ廉ナリ商買ノ手ニ入リ賣買スル日和物ノ價ト相比スレバ海外直廉ナル事知ルベシ金銀少ケレバ少キニテッリ合ヒ多ケレバ多キ程ノッリ合ヒニナル者ナリ
新字:然レバ金銀ノ多少ハ強テ有国者ノ患トスベキニアラズ唯金銀ノ用ハ何物ゾ米粟布帛百ノ器財庸作ノ用ハ何物ゾト察スレバ金銀ノ盛ニ行ル、ノ有益無益知ルベキナリ今金銀ノ通用ヲ好ムコト独日本ノミナラズ万国同ジク然リ万国同ジク金銀ヲ好ムトイヘドモ金銀ノ多キ事我国ノ如キハ稀ナリ其徴ニハ海舶ノ長崎ニテ交易スル者価太ダ廉ナリ商買ノ手ニ入リ売買スル日和物ノ価ト相比スレバ海外直廉ナル事知ルベシ金銀少ケレバ少キニテッリ合ヒ多ケレバ多キ程ノッリ合ヒニナル者ナリ
書き下し
然れば金銀の多少は、強いて国を有つ者の患いとすべきにあらず。唯だ金銀の用は何物ぞ、米粟布帛百の器財庸作の用は何物ぞと察すれば、金銀の盛んに行わるる有益無益、知るべきなり。今、金銀の通用を好むこと、独り日本のみならず、万国同じく然り。万国同じく金銀を好むといえども、金銀の多き事、我が国の如きは稀なり。その徴には、海舶の長崎にて交易する者、価はなはだ廉なり。商買の手に入り売買する日和物の価と相比すれば、海外直廉なる事知るべし。金銀少なければ少なきにて釣り合い、多ければ多き程の釣り合いになる者なり。
現代語訳
そうであるなら、金銀の多い少ないは、無理に国を治める者の心配事にするべきではない。ただ、金銀の用とは何か、米や粟や布帛、あらゆる道具や手間賃の用とは何かを考えてみれば、金銀が盛んに流通することが有益か無益か、知ることができる。いま金銀の通用を好むのは、日本だけではなく、万国どこも同じである。万国が同じく金銀を好むといっても、金銀の多いことは、わが国のようなところは稀である。その証拠に、外国船が長崎で取り引きする品の値は、非常に安い。商人の手に入って売り買いされる国内の品の値と比べれば、海外の値が安いことが分かるだろう。金銀が少なければ少ないなりに釣り合い、多ければ多いなりに釣り合うものなのである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
価原・『価原』金銀の多少と物価・漢の米価蝦夷などは今にその土地の産物を出して、我が米穀・煙酒に替えて、銭を用いずとなり。この故に、金銀多ければ物価貴し、金銭少なければ物価賤し。物価賤きは金銀の貴きなり、物価貴きは金銀の賤きなり。諸工の造り出す所の者を見るに、古代の物は精巧にして今の者は粗悪なり。これ、その用の広きより起こるといえども、半ばは金銀の賤しうして物価の貴きに係れり。されば漢の初め、天下に縦にして恣に銭を鋳さしめしかば、米一石五千銭に至りしなり。漢の一石と云うは、今の京升にては大概一斗程の事なり。その後、弊の勢いを抑え、段々人を農にかえし、趙過など云う人出で、農の道を教え、耕を勧め、代田を復し、後には一石の価五銭に至りしなり。
-
『政談』諸色直段の事諸色の直段のことは近年上の御世話にて少々は下直なるやうになれとも、其の取捌き根本諸色の直段年を逐て段々に高直に成る謂れあり、是に立入らさる時は皆当分の策略にて何の用に立たさることなり、只今金の員数元禄金乾金の時分の半分に减し、銀は四つ宝のときの三分一なり、されは諸色の直段元禄金乾金の時分の半分より内に下されば未た本の位にあらす、此四五十年以前に比すれは多くは十倍二十倍なり、されは世界の困窮尤のことにて之を下くる道を吟味せすして叶はさることなり、
-
『玉勝間』一の巻 むかしは銭すくなかりし事おなじ書に、上品八丈絹六匹、代百廿文(各廿文)紺布二反、(無文)代四文とあり。むかしは銭のいといとすくなかりし程、これにて知るべし。また同書に、工藤庄司景光、佐与美の水干を着す、と云うこと見ゆ。今の世に、布に細目と云うがあるは、このさよみの訛れる名なるべし。
-
孫子・作戦篇師に近き者は貴く売る。貴く売れば則ち百姓財竭き、財竭くれば則ち丘役に急なり。
-
『政談』諸色直段の事又御城下の宿賃甚た高直なる故諸商人皆之を利倍の算用に入るゝによりて直段下らぬなり、某か祖父伊勢の国に先祖の手作りしたる田地ありて、夫を売て僅に五十両にて整へたる町屋敷其後父か代に人に売りたるか、此二十年程以前には二千両の売替になりたりと承はる、右祖父の整へたるときは天草より余程前のことなれは八十年計以前の事なり、斯の如くにて宿賃四千倍の上になりたれは物の直段高直なる事尤のことなり、此下かる仕方心得あるへし、
-
『政談』制度の事是れ町人百姓憎むにあらす、頭か身上右の如くの奢りによりて物入り多く、暮しに物入ること今は常に成りたれは、此の制法出しぬること頭か為めにもよき事なり、第一右の諸物を町人百姓心の儘に用ゆる故、諸色の直段日を逐ふて高直なり、然れとも此の吟味竿の先きに鈴を付けたるやうなることにては仲々参り届くましきなり、当時吉利支丹の如く厳密にさかすへきことなり、されとも畢竟武家を知行所に置くにあらされは此の法田舎迄行渡りかたかるへし、先つ武家には制度を立てす、唯々斯の如く百姓町人に計り制度を立つるときは、諸色特の外に下直になるへし、左様に四五年もして武家に息をつかせ、其の上にて武家にも制度を委細に立ては御政道滞ほりなく行きわたるへし、是れ緩急先後の仕掛なり、