価原 / 『価原』日本の金銀銭と東山殿の無心
我國ハ漢土ニ比スレバヲソク闕ケタル故風俗モ最淳撲ニシテ立ケリサレバ銀ハ人皇四十代天武天皇白鳳三年對馬ヨリ出シ銅ハ四十三代元明天皇和銅元年武藏ノ國ヨリ出シ金ハ四十五代聖武天皇天平二十一年陸奥ノ國ヨリ貢ズトイヘドモ然マデ多キニモアラズ錢ノ通用モ白鳳以來有リシカドモ今ノ様ナル事ニハアラズ博多ニモロコシ船來リシ頃ハ宋錢ヲ以テ物ヲ辨ジ近ク室町殿ノ頃アデモ明朝永樂錢ニテ事スミヌ東山殿ハ國用乏シトテ三度マデ明ヘ錢乞レシ中ニモ文明ノ頃乞レシニハ十萬貫ヲ賜ラバ國用足ント歎キ申サレキ十萬貫幾バクゾヤ今ノ富人一ノ産トスルニダモ足ラズ然レバ今錢幣ノ多キコト辨ゼズシテ知ベシカク迄財貨ニ富ル世ヲ金銀少キ様ニ心得タルハ僻事ナリ
新字:我国ハ漢土ニ比スレバヲソク闕ケタル故風俗モ最淳撲ニシテ立ケリサレバ銀ハ人皇四十代天武天皇白鳳三年対馬ヨリ出シ銅ハ四十三代元明天皇和銅元年武蔵ノ国ヨリ出シ金ハ四十五代聖武天皇天平二十一年陸奥ノ国ヨリ貢ズトイヘドモ然マデ多キニモアラズ銭ノ通用モ白鳳以来有リシカドモ今ノ様ナル事ニハアラズ博多ニモロコシ船来リシ頃ハ宋銭ヲ以テ物ヲ弁ジ近ク室町殿ノ頃アデモ明朝永楽銭ニテ事スミヌ東山殿ハ国用乏シトテ三度マデ明ヘ銭乞レシ中ニモ文明ノ頃乞レシニハ十万貫ヲ賜ラバ国用足ント嘆キ申サレキ十万貫幾バクゾヤ今ノ富人一ノ産トスルニダモ足ラズ然レバ今銭幣ノ多キコト弁ゼズシテ知ベシカク迄財貨ニ富ル世ヲ金銀少キ様ニ心得タルハ僻事ナリ
書き下し
我が国は漢土に比すれば遅く闕けたる故、風俗も最も淳朴にして立てけり。されば銀は人皇四十代天武天皇、白鳳三年、対馬より出だし、銅は四十三代元明天皇、和銅元年、武蔵の国より出だし、金は四十五代聖武天皇、天平二十一年、陸奥の国より貢ずといえども、さまで多きにもあらず。銭の通用も白鳳以来有りしかども、今の様なる事にはあらず。博多にもろこし船来りし頃は、宋銭を以て物を弁じ、近く室町殿の頃あでも、明朝永楽銭にて事済みぬ。東山殿は国用乏しとて三度まで明へ銭乞われし中にも、文明の頃乞われしには、十万貫を賜らば国用足らんと歎き申されき。十万貫いくばくぞや。今の富人一の産とするにだも足らず。然れば今、銭幣の多きこと、弁ぜずして知るべし。かくまで財貨に富める世を、金銀少き様に心得たるは僻事なり。
現代語訳
わが国は中国に比べると開けるのが遅かったので、風俗もたいへん素朴なまま成り立っていた。そのため、銀は第四十代天武天皇の白鳳三年に対馬から産出し、銅は第四十三代元明天皇の和銅元年に武蔵の国から産出し、金は第四十五代聖武天皇の天平二十一年に陸奥の国から献上されたけれども、それほど多くはなかった。銭の通用も白鳳以来あったが、今のような状況ではなかった。博多に中国の船が来ていた頃は宋の銭で物のやりとりをし、近くは室町殿の頃にも、明の永楽銭で用が足りていた。東山殿は国の費用が乏しいといって三度まで明に銭を求められたが、そのうち文明の頃に求められた際には、十万貫をいただければ国の費用は足りるでしょう、と嘆いて申された。十万貫とはどれほどのものか。今の富豪が一つの財産とするにも足りない。だから、今、銭が多いことは、論じなくても分かる。これほど財貨に富んだ世を、金銀が少ないように思っているのは、誤りである。
解説

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価原・『価原』三幣の変遷と金銀の本来の面目蓋し金銀銅の三幣、金は大用有りて瑣碎に用い難く、銭は小砕に便にして大用に便ならず、銀は中間にあるものにして、三幣の代る代る用をなす所なり。昔は人質朴にして、金は砂金、銀は炭吹き様のもの多く通じたり。天正の頃より大判小判丁銀など始まり、慶長四年始めて一分判出来、慶長六年の後、大判小判一分判丁銀豆板等改らる。これ国家の造幣にして、以来、元禄・享保・元文、近来に到りて、三幣色々の製ども出来りし也。夫れ金銀は幣の用を主とす。民用に於いては鉄を主とす。然して銅は幣・器兼ね用うる者なり。金銀若し幣の用を除けば、刀の縁頭、仏殿の荘厳、漆匠の描金など、玩物に過ぎず。薬用も有れども要薬にはあらず。されば近来は費多くなりて、さまでに多き金銀猶お給する事能わず、楮鈔大いに世に行わる。金銀の用は唯だ諸貨運輸の用ばかりなれば、楮鈔にても飛銭にても済む者也。余貨の如きは、寒を凌ぐことは布帛にあらざれば能わず、飢を愈すことは米粟に非ざれば能わざるにて、金銀本来の面目を知るべし。この故に、天下の権を執りて経済に心を用ゆる人は、有用の貨を日々に生殖し、無用の貨を貴ばぬ様に致すべき事なり。金銀を以て天下の豊倹を病む人は、回天の功は有り難かるべし。
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価原・『価原』島に銭を入れても豊かにならない金銀貴くして六府賤し。六府賤しくして国本薄し。姑くその故を説くべし。譬えばここに一島あり、土地人民足り、米粟布帛魚塩、他島を仮らず一切事足り、唯だ金銀のみ無からんに、民、粟を以て器械庸作に易えて、金銀の貴きをも知らで立たざる事やはあるべき。追々に銭一万を入れて他の用を通ぜんに、一万の銭、その一島の用を足らしむべし。これより増して十万に至らば、十万の銭、その一島の用と釣り合いをなして、一万の銭、決して一島の用を弁ぜじ。その初めは島の諸用、一万の銭と釣り合いをなし、米一石五百銭に当たらば、その五百銭以て一奴を買うべし。又入れて十万に至る日は、一石の米五千銭に釣り合うべし。この時、五百の銭わずかに数十日の人を雇うに過ぎじ。然れば前の五百銭持てると後の五千銭持てると、数は一倍すれども用は異なることなし。乃至増して千万億なりとも、一島に出す所の米粟布帛多きを増さじ。米粟布帛多きを増さずして、独り金銀のみ増さんに、多きと少きと変わる事はなく、多ければ多き程、頻しきを増し、その多き金銀に就きて游手を増し、天地より生ずる財を費やす者、次第に出来るべし。我が国の昔も幣はなくて立ちしなり。和銅の比、大宰府及び播磨より始めて銅銭を献ぜしに、これを民間に敷き、民に交関せしめし時は、穀六升に付き一文なりしとかや。
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価原・『価原』佐渡の金と京銭・寛永通宝の由来蓋し金銀は処々に出ずる所ありといえども、佐渡の山、天下に甲たり。上杉謙信、佐渡を攻め取り金を取られしかば、国用饒かに有りし由、豊臣太閤知り給いて公料となし、金を採られしかども出ず。慶長五年、関が原の事畢りて後、銀を出すこと夥し。銀止んで金を出す、今に至りて絶えず有り。然るに銭は、白鳳以来、元明の和銅開珎、孝謙の万年通宝より絶えず鋳給いしかども、甚だ少なき事にやと思わる。異国世々の銭は京銭と云いき。これは小田原氏康、東国を領せられしに、時の勢い、永楽銭貴くして他銭四五文を以てその一文に充てしかば、他銭を禁ぜられし程に、関東は専ら永楽銭行われて、他銭をばびたとて賤しみ、京畿には他銭盛んにして、これを京銭と称しき。慶長の比、銭鋳けると見えて、稀に慶長通宝を見ることあり。輪郭字様、頗る明銭に似たり。開元・乾元の銭は異国千年の故物なれども得難からずして、慶長通宝は得難ければ、幾程も鋳ざりしと覚ゆ。慶長十三年、永楽を禁じ京銭を用いしより、永楽多くは潰しに成りて世に隠れぬ。寛永十三年、献廟、江戸と近江坂本の二処にて寛永通宝を鋳さしめ給いしより、財用世に饒かになり、諸貨の通利自在なりしかば、諸貨を賤しみ金銭を貴ぶ風とはなれり。
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価原・『価原』金銀の多少を憂えず用を察する然れば金銀の多少は、強いて国を有つ者の患いとすべきにあらず。唯だ金銀の用は何物ぞ、米粟布帛百の器財庸作の用は何物ぞと察すれば、金銀の盛んに行わるる有益無益、知るべきなり。今、金銀の通用を好むこと、独り日本のみならず、万国同じく然り。万国同じく金銀を好むといえども、金銀の多き事、我が国の如きは稀なり。その徴には、海舶の長崎にて交易する者、価はなはだ廉なり。商買の手に入り売買する日和物の価と相比すれば、海外直廉なる事知るべし。金銀少なければ少なきにて釣り合い、多ければ多き程の釣り合いになる者なり。
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価原・『価原』春台と東厓に見る銭と銀の相場これは春台『経済録』による江府の米価なり。又、東厓『尽旧録』を読むに、先ず元明天皇、民に幣財交通の道を教え給いし始め、和銅三年の詔を引きて曰く、「諸国の地、江山遐かに阻たり、負担の輩、久しく行役に苦しむ。宜しく時に一嚢の銭を作すべし」と。この時、銭貴うして銀賤し、二十文以て銀一銭に当たる。新銀出でて、八十文以て銀一銭を買う。然れば正徳中、脱粟米二百銭と云うも四貫文なり、油九銭と云うも百八十文なり。今よりして観れば、世豈にかくの如き廉価の物あらんや。今、文字銀、元文元年発行の時、十五貫目を以て享保銀十貫目を収れば、銭五十文上下以て銀一銭に替えたり。然るに今、三幣いよいよ粗悪、金黄ならず、銀白からず、新鋳の銭は鉄を用う、もし痛く擲てば砕く。物価歳々に増す。賤人、その勢いの止まる所を知らず。安永壬寅十月追加して曰く、予この書を著す時、猶お銀一銭、銭六七十文に当たる。今は已に百を過ぐ。而して米価、京師浪華百銭に充つと伝う。春来、猶お価を増すべし。
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価原・『価原』金銀の海外流出と権柄を握る要五事略に載せたるところを考うるに、長崎一所、官より海外へ出ずるところ、正保五年より宝永五年まで六十一年の間、金二百三十九万七千六百両余にして、銀三十七万二千二百九貫目余、銅は寛文三年より宝永五年まで三十六年の間、一億一万一千百四十九万八千七百斤余。この計の外なる者、その幾ばくということを知らず。大概これに三倍して、我が国現在に遺る者三分の一と言えり。今、狡黠の商賈、一身の利をはかるがためにしばしば金銀を海外へ洩らすこと、疾むべきの甚だしきなり。ああ、金銀、世の害をなす者ならんや。人の金銀をして害をなさしむるなり。そもそも良医は烏喙・砒石を用いてもよく病を癒す。増して諸貨運輸の能は、船よりもとく、車よりも速やかなるをや。然れば則ち金銀は多くば多き程なおよかるべし。これをもって、衡を持する人、権柄を得ざる時は、多ければ多きに傾き、少なければ少なきに傾きて、同じく人を苦しましむ。もし権柄を得る時は、多少ともに平を得るなり。その故は六府の用に達し、兼并偏重の煩いなければなり。