価原 / 『価原』島に銭を入れても豊かにならない
金銀貴クシテ六府賤シ六府賤シクシテ國本薄シ姑其故ヲ說クベシ譬バココニ一島アリ土地人民足リ米粟布帛魚鹽他島ヲ假ラズ一切事足リ唯金銀ノミ無ランニ民粟ヲ以テ器械庸作ニ易ヘテ金銀ノ貴キヲモ知ラデ立ザル事ヤハアルベキ追追ニ錢一萬ヲ入レテ他ノ用ヲ通ゼンニ一萬ノ錢其一島ノ用ヲ足ラシムベシ是ヨリ增シテ十萬ニ至ラバ十萬ノ錢其一島ノ用トッリ合ヲナシテ一萬ノ錢決シテ一島ノ用ヲ辨ゼジ其初ハ島ノ諸用一萬ノ錢トッリ合ヲナシ米一石五百錢ニ當ラバ其五百錢以テ一奴ヲ買ベシ又入レテ十萬ニ至ル日ハ一石ノ米五千錢ニッリ合ベシ此時五百ノ錢纔ニ數十日ノ人ヲ雇フニ過ジ然レバ前ノ五百錢モテルト後ノ五千錢モテルト數ハ一倍スレドモ用ハ異ナルコトナシ乃至增シテ千萬億ナリトモ一島ニ出ス所ノ米粟布帛多キヲ增サジ米粟布帛多キヲマサズシテ獨金銀ノミマサンニ多キト少キトカハル事ハナク多ケレバ多キ程頻シキヲ增シソノ多キ金銀ニ就テ游手ヲ增シ天地ヨリ生ズル財ヲ費ス者次第ニ出來ルベシ我國ノ昔モ幣ハナクテ立シナリ和銅ノ比大宰府及播磨ヨリ始テ銅錢ヲ獻ゼシニコレヲ民間ニシキ民ニ交關セシメシ時ハ穀六升ニ付一文ナリシトカヤ
新字:金銀貴クシテ六府賤シ六府賤シクシテ国本薄シ姑其故ヲ説クベシ譬バココニ一島アリ土地人民足リ米粟布帛魚塩他島ヲ仮ラズ一切事足リ唯金銀ノミ無ランニ民粟ヲ以テ器械庸作ニ易ヘテ金銀ノ貴キヲモ知ラデ立ザル事ヤハアルベキ追追ニ銭一万ヲ入レテ他ノ用ヲ通ゼンニ一万ノ銭其一島ノ用ヲ足ラシムベシ是ヨリ增シテ十万ニ至ラバ十万ノ銭其一島ノ用トッリ合ヲナシテ一万ノ銭決シテ一島ノ用ヲ弁ゼジ其初ハ島ノ諸用一万ノ銭トッリ合ヲナシ米一石五百銭ニ当ラバ其五百銭以テ一奴ヲ買ベシ又入レテ十万ニ至ル日ハ一石ノ米五千銭ニッリ合ベシ此時五百ノ銭纔ニ数十日ノ人ヲ雇フニ過ジ然レバ前ノ五百銭モテルト後ノ五千銭モテルト数ハ一倍スレドモ用ハ異ナルコトナシ乃至增シテ千万億ナリトモ一島ニ出ス所ノ米粟布帛多キヲ增サジ米粟布帛多キヲマサズシテ独金銀ノミマサンニ多キト少キトカハル事ハナク多ケレバ多キ程頻シキヲ增シソノ多キ金銀ニ就テ游手ヲ增シ天地ヨリ生ズル財ヲ費ス者次第ニ出来ルベシ我国ノ昔モ幣ハナクテ立シナリ和銅ノ比大宰府及播磨ヨリ始テ銅銭ヲ献ゼシニコレヲ民間ニシキ民ニ交関セシメシ時ハ穀六升ニ付一文ナリシトカヤ
書き下し
金銀貴くして六府賤し。六府賤しくして国本薄し。姑くその故を説くべし。譬えばここに一島あり、土地人民足り、米粟布帛魚塩、他島を仮らず一切事足り、唯だ金銀のみ無からんに、民、粟を以て器械庸作に易えて、金銀の貴きをも知らで立たざる事やはあるべき。追々に銭一万を入れて他の用を通ぜんに、一万の銭、その一島の用を足らしむべし。これより増して十万に至らば、十万の銭、その一島の用と釣り合いをなして、一万の銭、決して一島の用を弁ぜじ。その初めは島の諸用、一万の銭と釣り合いをなし、米一石五百銭に当たらば、その五百銭以て一奴を買うべし。又入れて十万に至る日は、一石の米五千銭に釣り合うべし。この時、五百の銭わずかに数十日の人を雇うに過ぎじ。然れば前の五百銭持てると後の五千銭持てると、数は一倍すれども用は異なることなし。乃至増して千万億なりとも、一島に出す所の米粟布帛多きを増さじ。米粟布帛多きを増さずして、独り金銀のみ増さんに、多きと少きと変わる事はなく、多ければ多き程、頻しきを増し、その多き金銀に就きて游手を増し、天地より生ずる財を費やす者、次第に出来るべし。我が国の昔も幣はなくて立ちしなり。和銅の比、大宰府及び播磨より始めて銅銭を献ぜしに、これを民間に敷き、民に交関せしめし時は、穀六升に付き一文なりしとかや。
現代語訳
金銀が貴くなると、六府は賤しくなる。六府が賤しくなると、国の根本が薄くなる。しばらくその理由を説明しよう。たとえばここに一つの島があるとする。土地も人も足りており、米、粟、布、魚、塩など、他の島に頼らずすべての用が足りていて、ただ金銀だけがないとする。それでも民は粟を道具や手間賃と取り替えるのであり、金銀の貴さを知らなくても成り立たないことがあろうか。そこへ次第に銭を一万入れて他の用も通じさせたなら、その一万の銭でこの島の用は足りるだろう。これより増やして十万に至れば、十万の銭がその島の用と釣り合いを取り、一万の銭ではもはや島の用は到底まかなえなくなる。初めは島のさまざまな用が一万の銭と釣り合っており、米一石が五百銭にあたるなら、その五百銭で奉公人を一人買えた。さらに入れて十万に至った日には、米一石は五千銭と釣り合うであろう。このとき、五百の銭は、わずか数十日分の人を雇えるに過ぎない。そうであれば、前の五百銭を持つのと後の五千銭を持つのとでは、数は何倍にもなるけれども、使い道としては変わりがない。さらに千万億にまで増やしても、島で産出する米や粟や布が増えるわけではない。米や粟や布が増えずに、金銀だけが増えたところで、多くても少なくても変わりはなく、多ければ多いほど窮屈さが増し、その多くの金銀につられて遊んで暮らす者が増え、天地が生み出す財を費やす者が次第に現れるであろう。わが国の昔も、貨幣がなくても世は成り立っていた。和銅の頃、大宰府と播磨から初めて銅銭が献上され、これを民間に流通させて民に取り引きさせたときは、穀六升につき一文であったという。
解説

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