価原 / 『価原』東坡の言と鉄を至宝とする理由
一通リニ考レバ金銀少ケレバ世ノ中貧シク金銀多ケレバ世ノ中ユタカナル者カト思ヘドモ然ニアラズココニテ得ト天下ノ至寶ハ六府ニ過ザル事ヲ察スベシ東坡イヘル如ク使天而雨珠、塞者不得以爲襦、使天雨玉、飢者不得以爲粟。ニテ金銀瑠璃硨磲碼碯琥珀ナド云テ世ニハ賞玩スレドモ民用ニ何ノ益モナケレバ王者コレヲ寶トセズ是故ニ古ノ王者ハ五官トテ水火木金土ニ各其長ヲ置テ治メラレシナリ金トハ五金ノ總名也分ッテイヘバ金銀銅鉛鐵合セテイヘバ皆金也五金ノ内ニテハ鐵ヲ至寶トス銅コレニツグ鉛コレニツグ如何トナレバ鐵ハ其價廉ニシテ其用廣シ民生一日モ無ンバ有ルベカラズ銅ハ器物ノ用アリ鉛ハ軍中ノ用アリ金銀ハ有バ有ル處ノ用アレドモ無テモ先スム者也サル程ニ餘ノ金ハ此方ニハヲソク見エ得レドモ鐵ハ神代ノ昔ヨリ有リシト見エタリ
新字:一通リニ考レバ金銀少ケレバ世ノ中貧シク金銀多ケレバ世ノ中ユタカナル者カト思ヘドモ然ニアラズココニテ得ト天下ノ至宝ハ六府ニ過ザル事ヲ察スベシ東坡イヘル如ク使天而雨珠、塞者不得以為襦、使天雨玉、飢者不得以為粟。ニテ金銀瑠璃硨磲碼碯琥珀ナド云テ世ニハ賞玩スレドモ民用ニ何ノ益モナケレバ王者コレヲ宝トセズ是故ニ古ノ王者ハ五官トテ水火木金土ニ各其長ヲ置テ治メラレシナリ金トハ五金ノ総名也分ッテイヘバ金銀銅鉛鉄合セテイヘバ皆金也五金ノ内ニテハ鉄ヲ至宝トス銅コレニツグ鉛コレニツグ如何トナレバ鉄ハ其価廉ニシテ其用広シ民生一日モ無ンバ有ルベカラズ銅ハ器物ノ用アリ鉛ハ軍中ノ用アリ金銀ハ有バ有ル処ノ用アレドモ無テモ先スム者也サル程ニ余ノ金ハ此方ニハヲソク見エ得レドモ鉄ハ神代ノ昔ヨリ有リシト見エタリ
書き下し
一通りに考うれば、金銀少なければ世の中貧しく、金銀多ければ世の中ゆたかなる者かと思えども、然らず。ここにて得と天下の至宝は六府に過ぎざる事を察すべし。東坡いえる如く、「天をして珠を雨らしむとも、寒き者は以て襦と為すことを得ず。天をして玉を雨らしむとも、飢えたる者は以て粟と為すことを得ず」にて、金銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・琥珀など云いて、世には賞玩すれども、民用に何の益もなければ、王者これを宝とせず。この故に、古の王者は五官とて、水・火・木・金・土に各々その長を置きて治められしなり。金とは五金の総名なり。分かちて云えば金・銀・銅・鉛・鉄、合わせて云えば皆金なり。五金の内にては鉄を至宝とす。銅これに次ぐ、鉛これに次ぐ。如何となれば、鉄はその価廉にしてその用広し。民生一日も無くんば有るべからず。銅は器物の用あり、鉛は軍中の用あり。金銀は有れば有る処の用あれども、無くても先ず済む者なり。さる程に、余の金はこの方には遅く見え得れども、鉄は神代の昔より有りしと見えたり。
現代語訳
ひととおり考えると、金銀が少なければ世の中は貧しく、金銀が多ければ世の中は豊かになるのかと思えるが、そうではない。ここでよくよく、天下の最上の宝は六府にほかならないことを察するべきである。蘇東坡が言うように、「天に真珠を降らせても、寒がる者はそれで上着を作ることはできない。天に玉を降らせても、飢えた者はそれを粟とすることはできない」のであって、金銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、琥珀などといって、世間ではもてはやすけれども、民の暮らしに何の益もないので、王者はこれを宝としない。だから、昔の王者は五官といって、水・火・木・金・土それぞれに長官を置いて治められたのである。金とは五金の総称である。分けていえば金・銀・銅・鉛・鉄であり、合わせていえばみな金である。五金の中では、鉄を最上の宝とする。銅がこれに次ぎ、鉛がその次である。なぜかといえば、鉄は値が安く用途が広い。民の暮らしには一日もなくてはならない。銅には器物の用があり、鉛には軍中の用がある。金銀は、あればあるなりの用はあるが、なくてもまず済むものである。そのため、ほかの金属はわが国では遅れて見つかったが、鉄は神代の昔からあったと見える。
解説

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価原・『価原』得やすく足りやすい物こそ宝王者の材とする所は、水・火・木・金・土・穀なり。城郭・橋梁・屋壁・舟車・耒耜・釜甑・刀剣・陶瓦、百の器械、烹熟・煨炙・衣服・飲食、何れか五行の外に出ずる。これ天下の至宝にして、得やすく、塞やすく、足り易き者にして、必ずしも得難き者にあらず。得難き宝は宝にあらず。たとい連城の璧、十二乗を照らすとも、灯火の千家万家に満ちて照らすの功に比すれば、対用すべきにあらず。この故に、得難きの宝は、得ずしても済む者なり。得やすきの宝は、民生須臾も離るべからざる者なり。昔、人質朴にして奢靡文飾に走らざりし世は、これにて用足りたり。世移り俗変じて、次第に移り飾る世になりて、得易く塞易き者の財たるを忘れ、漫りに得難く給し難き者を求めて至宝と思えり。その至宝は無用の者にして、王者の宝は有用の者なり。
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価原・『価原』金銀の美と国外への流出金銀もと美物、国家を有つ人は布粟金銀府庫に満ち、下をして兼併偏重の勢いなからしめば、用を通ずる能、まことに諸貨の及ぶところにあらず。軍中の捷利、民間の必用、国を有つ者の欠ぐべき者にあらず。それ金の山にある、土石の精英にして至って得難し。至美至重にして万国みな望みをこれに属す。しかればこれを得んもの、土石のごとく思わんこと、下、人巧の労疲を察せず、上、造化の精英を貪り、国を有つ者は国を傾け、家を有つ者は家を破る。かつ各国その境界あり、界を出る者は再び帰らず。最も憚らざるべけんや。
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価原・『価原』三幣の変遷と金銀の本来の面目蓋し金銀銅の三幣、金は大用有りて瑣碎に用い難く、銭は小砕に便にして大用に便ならず、銀は中間にあるものにして、三幣の代る代る用をなす所なり。昔は人質朴にして、金は砂金、銀は炭吹き様のもの多く通じたり。天正の頃より大判小判丁銀など始まり、慶長四年始めて一分判出来、慶長六年の後、大判小判一分判丁銀豆板等改らる。これ国家の造幣にして、以来、元禄・享保・元文、近来に到りて、三幣色々の製ども出来りし也。夫れ金銀は幣の用を主とす。民用に於いては鉄を主とす。然して銅は幣・器兼ね用うる者なり。金銀若し幣の用を除けば、刀の縁頭、仏殿の荘厳、漆匠の描金など、玩物に過ぎず。薬用も有れども要薬にはあらず。されば近来は費多くなりて、さまでに多き金銀猶お給する事能わず、楮鈔大いに世に行わる。金銀の用は唯だ諸貨運輸の用ばかりなれば、楮鈔にても飛銭にても済む者也。余貨の如きは、寒を凌ぐことは布帛にあらざれば能わず、飢を愈すことは米粟に非ざれば能わざるにて、金銀本来の面目を知るべし。この故に、天下の権を執りて経済に心を用ゆる人は、有用の貨を日々に生殖し、無用の貨を貴ばぬ様に致すべき事なり。金銀を以て天下の豊倹を病む人は、回天の功は有り難かるべし。
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価原・『価原』六府三事と天下の至宝は何か禹謨に「徳は惟れ善政、政は民を養うに在り。水・火・木・金・土・穀惟れ修め、徳を正し用を利し生を厚くすること惟れ和す」と云えり。水・火・木・金・土・穀、これを六府と云う。正徳・利用・厚生、これを三事と云う。後世の治、千術万法有りといえども、この六府三事に出でず。禹謨に水火木金土穀といえるを、その後は穀を土に合して五行とも五材ともいえり。天下の至宝という者は、この六府なり。禹謨の後、洪範にこれを五行と謂いて、箕子の述ぶる所、始めて禹謨に違いて、後世五行家の禍胎とはなれり。已に尚書に出でたれば、後世の人これを左右に動かすことならで、その後の歴々方も色々の曲説を設けて調停せり。されど天地の条理を取りて禹謨と相照らしてこれを観れば、箕子の誤伝掩うべからず。古の聖人と云う者は、天下を有する人なり。これを王者と云う。
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価原・『価原』欲に限りがあり財には限りがある事、両ながら全うし難ければ、廉恥の風荒めば、人、賄賂を好む。礼譲の教え至らざれば、人、争奪を好む。制度立つことなければ、華奢、等を踰ゆ。今、その好むを好むに任せ、踰ゆるを踰ゆるに任せ、限りなき人の欲を、極まり有る財宝にて償わんことを求めば、天下の大山高岳をして尽く金を出ださしむるとも、米粟布帛の至宝を生ずる者をしてその業を棄てしめ、衣食器械にもならざる物に人巧を費やさしむるに過ぎず。これをもって今たとい金銀をして天下の米粟布帛のごとく多からしむとも、世ただ債数の多くなるまでにて、至宝の生路は日々に薄く、人の賑わうことは有るまじきなり。
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価原・『価原』幣は荷を運ぶ舟車にすぎない金銀は諸貨に易えて用ゆるを以てその用とす。金銀並びに銭、これを幣と云う。珍にして小なり。諸貨の重大にして移し難きには、運びを助くる者なれば、その用、舟車に近き者なり。金銀は貴重なり、能く大物を運ぶ。銭は賤しうして衆し、能く小物を運ぶ。貴賤軽重あるを以て、銀以て金を分かつべく、銭以て銀を分かつべし。この故に、これを金銀といえば銭もまたその内にあり。先ず天下の勢いを慮る人は、能く財の有用無用を弁知すべし。譬えば海内にかく沢山に充てる所の金銀、今ことごとく尽き果てたりとも、他の五材あらましかば、民生立たぬという事の有るべきや。