重職心得箇条 / 第三条
家々に祖先の法あり、取り失ふべからず。又仕来(しきた)り仕癖(しくせ)の習いあり、是れは時に従って変易あるべし。兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除(の)け置き、仕来り仕癖を家法家格などと心得て守株(しゅしゅ)せり。時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。
書き下し
家々に祖先の法あり、取り失ふべからず。又仕来(しきた)り仕癖(しくせ)の習いあり、是れは時に従って変易あるべし。兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除(の)け置き、仕来り仕癖を家法家格などと心得て守株(しゅしゅ)せり。時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。
現代語訳
家々には祖先の定めた法がある。これを失ってはならない。一方、仕来りや癖のようになった習慣もある。こちらは時代に従って変えるべきものだ。ところが往々にして目のつけどころを間違え、家法のほうを「古い形式」と見なして脇へ置き、仕来りや癖のほうを「家法だ、家格だ」と思い込んで、切り株を見張るように守っている。時代とともに動かすべきものを動かさなければ、大勢は保てない。
解説
家には祖先の定めた法があり、時とともに積もった仕来りや癖がある。この二つを取り違えるな、というのが本条の要点です。取り違えると、法を古い形式として脇へ置き、癖を家法と思い込んで守る事態になります。「守株」は『韓非子』の故事で、切り株にぶつかった兎を待ち続ける愚かさを指します。企業でいえば、創業の理念と、いつのまにか定着した慣行を見分けられているかという問いです。守るべきものと動かすべきものを分けない組織は、大勢を保てないと一斎は警告します。
この章句が説くこと
家法仕来り守株時宜変革重職心得箇条
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