十八史略 / 『十八史略』元・世祖 史天澤・曹彬のように殺すな
元命中書平章史天澤中書左丞相伯顏師諸軍南侵陛辭世祖諭之曰古之善取江南者唯曹彬一人汝能不殺是吾曹彬也天澤有疾而還尋卒先是世祖遣醫馳視天澤附奏曰臣大限有終死不足惜第願天兵渡江以殺掠為戒言訖而卒
新字:元命中書平章史天沢中書左丞相伯顔師諸軍南侵陛辞世祖諭之曰古之善取江南者唯曹彬一人汝能不殺是吾曹彬也天沢有疾而還尋卒先是世祖遣医馳視天沢附奏曰臣大限有終死不足惜第願天兵渡江以殺掠為戒言訖而卒
書き下し
元、中書平章史天沢・中書左丞相伯顔に命じ、諸軍を師いて南侵せしむ。陛辞するに、世祖之に諭して曰く、古の善く江南を取りし者は、唯だ曹彬一人のみ。汝能く殺さざれば、是れ吾が曹彬なり、と。天沢、疾有りて還り、尋いで卒す。先に是れ、世祖、医を遣わして馳せて天沢を視しむ。天沢、附して奏して曰く、臣の大限は終わり有り、死は惜しむに足らず。第だ願わくは、天兵江を渡るに、殺掠を以て戒めと為さんことを、と。言い訖わりて卒す。
現代語訳
元は、中書平章の史天沢と中書左丞相の伯顔に命じて、諸軍を率いて南へ攻め入らせました。出発のあいさつに来たとき、世祖は彼らに言い聞かせました。「昔、江南をうまく手に入れた者は、ただ曹彬ひとりだけだ。お前が人を殺さずにやり遂げられるなら、お前は私の曹彬だ」。史天沢は病気になって戻り、まもなく亡くなりました。これより先、世祖は医者を急ぎ遣わして天沢を診させました。天沢は医者に託して奏上しました。「私の命にはもともと限りがあり、死ぬことは惜しくありません。ただ願わくは、天子の軍が長江を渡るとき、殺戮と略奪を戒めとしていただきたいのです」。言い終えて亡くなりました。
解説
元が南宋攻略を命じる際、世祖が将軍に与えた言葉です。昔、江南を上手に取ったのは曹彬ただ一人であり、お前が殺さずにやり遂げれば、お前は私の曹彬だと諭しました。曹彬は北宋の将軍で、南唐を平らげても民を殺さなかったと伝えられます。老将の史天沢は病で戻ってまもなく世を去りましたが、その前に、軍が長江を渡っても殺しや略奪を戒めとしてほしいと言い残しました。勝つことと、勝った後の土地と人を治めることは別の力です。任務を渡すとき、成果の数字だけでなく、どう成し遂げてほしいかという基準を先に言葉にできているかが問われます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
世祖史天沢曹彬江南伯顔不殺
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十八史略・『十八史略』宋・太祖・曹彬、城を落として殺さず八年、曹彬、金陵を囲むこと急なり。李煜、徐鉉を遣わして入貢せしめ、兵を緩めんことを求む。鉉言う、煜の小を以て大に事うること、子の父に事うるが如し、と。其の説、累ぬること数百。上曰く、爾、父子を謂いて両家と為すは可ならんや、と。鉉、対うる能わず。還りて尋いで復た至り、奏言す、江南に罪無し、と。辞気益ます厲し。上怒り、剣を按じて曰く、多言を須いず。江南、亦た何の罪か有らん。但だ天下は一家なり。臥榻の側、豈に他人の鼾睡するを容れんや、と。鉉、惶恐して退く。金陵、囲みを受くること春より冬に徂り、勢い愈いよ窮蹙す。彬、終に之を降さんと欲し、累ねて人を遣わして煜に告げて曰く、某日、城必ず破れん。宜しく早く之が所を為すべし、と。一日、彬、忽ち疾と称す。諸将来り問う。彬曰く、彬の疾は薬の能く愈やす所に非ず。諸公若し共に信誓を為し、城を破るとも妄りに一人をも殺さずんば、則ち彬の病愈えん、と。諸将皆許諾し、香を焚きて約誓す。翌日、城陥り、煜出降し、南唐亡ぶ。捷書至り、上、泣きて曰く、宇県分割し、民、其の禍を受く。城を攻むるの際、必ず横ざまに鋒鏑に罹る者有らん。哀れむべきなり、と。彬、舟中に還り、惟だ図籍・衣衾のみ。門を閉ざし、其の榜子を通じて曰く、勅を奉じて江南の事を幹して回る、と。其の伐らざること此の如し。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬太祖、曹彬・潘美を遣わして江南を征せしむ。彬辭して才力迨ばずとし、别に能臣を選ばんことを乞う。潘美盛んに江南取る可きを言う。帝大言して彬に諭して曰く、所謂る大將とは、能く位を出で分を犯すの副將を斬らば、則ち難からずと。美汗下りて敢えて仰ぎ視ず。將に行かんとし、夜彬を召して禁中に入らしむ。帝親ら酒を酌む。彬醉う。宮人水を以て其の面に沃ぐ。既に醒む。帝其の背を撫して以て遣りて曰く、㑹取㑹取、他本と罪無し。只だ是れ自家、他を著くること得ざるのみと。葢し恩徳を以て之を來さんと欲すればなり。是の故に彬の厚重、美の明鋭を以て、更々相い助を為す。令行われ禁止まりて、未だ嘗て妄りに一人をも戮せずして江南平らぐ。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬彬金陵を攻め、克つに垂とす。忽ち疾と稱して事を視ず。諸將皆な來りて疾を問う。彬曰く、余の病は藥石の愈やす所に非ず。唯だ諸公共に誠心を發し、自ら誓いて城を克つの日を以て妄りに一人をも殺さざるを須つ。則ち自ら愈えんと。諸將許諾し、共に香を焚きて誓いを為す。明日稍く愈ゆ。金陵に克つに及び、城中皆な安堵すること故の如し。曹翰江州に克つや、其の乆しく下らざるを忿り、屠戮して遺す無し。彬の子孫貴盛にして今に至るまで絶えず。翰卒して未だ三十年ならざるに、子孫の海上に乞匄する者有り。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬大いに舉げて蜀を伐つ。王を以て都監と為す。時に諸將皆な城を屠り降を殺して以て威暴を逞しくせんと欲す。唯だ王のみ禁戢の令を申べ、勸賞の法を明らかにす。是に繇りて破竹の勢いに乘じ、刃に血ぬらずして峽中の郡縣悉く下る。兩川平らぐ。王、諸將と成都に㑹す。大將王全斌等、日夕酒を縱にして軍事を恤まず。部下の列校皆な求取して厭くこと無し。蜀人之に苦しむ。王屢々全斌に勸めて、宜しく速やかに旅を振いて凱旋すべしと。全斌等逗留して發せず。卒に全師雄等をして亂を作さしめ、郡縣相い應じ、盜賊蠭起す。王、崔彦進と力を悉くして之を剪平す。全斌等の闕に歸るに洎び、太祖盡く全斌等の為す所の事狀を得たり。又た面のあたり王仁贍を詰る。仁贍厯く諸將の奢縱不法の事を詆り、冀くは以て自ら解かんとす。止だ言う、清慎亷恪なるは惟だ曹彬一人のみと。太祖怒り、全斌等を並びに吏に下して議せしむ。即日、王に宣徽南院使を授け、義成節度使に充つ。王獨り懇請して曰く、蜀を收むるの將校皆な罪を得たり。臣、功無きを以て獨り厚賞を䝉る。恐らくは以て天下に勸むる無からんと。太祖笑いて曰く、卿は茂功有り、加うるに伐らず。設い㣲累有らんに、仁贍肯えて言を惜しまんや。夫れ惡を懲らし善を勸むるは、臣子を勵ます所以なりと。王敢えて辭せず。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬彬前後の征討、凡そ四國の主を降す。江南・西川・廣南・湖南なり。未だ嘗て一無辜をも殺さず。諸子皆な賢なり。今、瑋・琮・璨、繼いで旄鉞を領す。陶弼、王の畫像を觀て詩有り。曰く、兵を蒐めて四たび降王を□し、子を教えて三たび上將の壇に登ると。其の後、少子の玘、王爵を追封せらる。實に慈聖光獻太后を生み、仁宗を輔佐して累朝に母儀たり。元功隂徳、享報の深厚なるに非ずんば、何を以て此に至らん。漢の馬・唐の郭と雖も、以て此に過ぐる無し。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬太祖、王全斌等を遣わして蜀を平らげしむ。全斌、降兵三千人を殺す。時に曹彬從わず、但だ其の文案を收めて字を署せず。師還るに及び、太祖傳宣して中書に送りて勘を取らしむ。左右曰く、方に西蜀を克復して回るなり。降兵を殺すと雖も、亦た便ち案劾す可からず。今後、陛下如何ぞ人を用いんと。太祖曰く、然らず。河東・江南皆な未だ歸服せず。若し勘劾せずんば、恐らくは今後委任する者、轉た亂りに人を殺さんと。但だ且く勘劾せしむ。勘案の成るに洎び、宣して後殿に見えしめて責問して曰く、如何ぞ敢えて亂りに人を殺すと。又た曰く、曹彬は但だ退け、你が事に干らずと。曹退かず。但だ叩頭して罪に伏して曰く、臣同じく商議す。罪は誅戮に合すと。太祖遂に皆な之を原す。後、忽ち一日、曹并びに潘美を宣して曰く、汝に命じて江南を收めしむと。又た曹を顧みて曰く、更に往時の西川の亂りに人を殺すに似る得ずと。曹徐ろに奏して曰く、臣若し奏せずんば、恐らくは陛下未だ知らざらん。曩日西川の殺降の事、臣曽て商量して固く執りて下さず。臣見に收め得たる當日の文案、元と字を著けずと。太祖之を取覧して謂いて曰く、此くの如くんば則ち當時何の故に堅く執りて罪に服せしと。曰く、臣初め全斌等と同じく委任を被る。若し全斌等罪を獲て臣獨り清雪せば、穏便為らず。所以に一向に罪に服せりと。太祖曰く、卿既に自ら罪に當たらんと欲す。又た安んぞ此の文字を留むるを用いんと。曰く、臣初め謂えらく、陛下必ず誅戮を行わんと。故に此の文書を留め、老母をして進呈せしめ、老母の命を全うせんことを乞わんとせりと。太祖尤も之を器遇す。