十八史略 / 『十八史略』元・定宗 耶律楚材・御璽の空紙と楚材の拒否
元中書令耶律楚材卒后嘗以儲嗣事問楚材對曰此非外臣所敢知自有太宗遺詔在守而行之社稷之幸也后嘗以御寶空紙付幸臣奧都剌合蠻令自書填行之楚材奏曰天下者先帝之天下朝廷自有憲章今欲紊之臣不敢奉詔事遂止復有旨凡奧都剌合蠻所奏准令史不為之書者斷其手楚材曰軍國之事先帝悉委老臣令史何與焉事若合理自當奉行如不可行死且不避況斷手乎
新字:元中書令耶律楚材卒后嘗以儲嗣事問楚材対曰此非外臣所敢知自有太宗遺詔在守而行之社稷之幸也后嘗以御宝空紙付幸臣奥都剌合蠻令自書填行之楚材奏曰天下者先帝之天下朝廷自有憲章今欲紊之臣不敢奉詔事遂止復有旨凡奥都剌合蠻所奏准令史不為之書者断其手楚材曰軍国之事先帝悉委老臣令史何与焉事若合理自当奉行如不可行死且不避況断手乎
書き下し
元の中書令耶律楚材、卒す。后、嘗て儲嗣の事を以て楚材に問う。対えて曰く、此れ外臣の敢えて知る所に非ず。自ら太宗の遺詔の在る有り。守りて之を行わば、社稷の幸いなり、と。后、嘗て御宝の空紙を以て幸臣奥都剌合蛮に付し、自ら書き填めて之を行わしむ。楚材奏して曰く、天下は先帝の天下なり。朝廷自ら憲章有り。今之を紊さんと欲す。臣敢えて詔を奉ぜず、と。事遂に止む。復た旨有り、凡そ奥都剌合蛮の奏する所は准じ、令史の之が書を為さざる者は其の手を断たん、と。楚材曰く、軍国の事は先帝悉く老臣に委ぬ。令史何ぞ与らんや。事若し理に合わば、自ら当に奉行すべし。如し行うべからざれば、死すら且つ避けず、況んや手を断つをや、と。
現代語訳
元の中書令の耶律楚材が亡くなりました。皇后はかつて、後継ぎの問題を楚材に尋ねたことがありました。楚材は答えました。「これは外臣が軽々しく知るべきことではありません。もともと太宗の遺詔があります。それを守って行うことが、国家の幸いです」。后はまた、御璽を押した白紙を側近の奥都剌合蛮に渡し、自分で文章を書き込んで実行させようとしました。楚材は奏上しました。「天下は先帝の天下です。朝廷にはもともと定められた法があります。いまそれを乱そうとされるのなら、私は詔をお受けいたしません」。こうして事は止みました。のちにまた命令が出ました。「およそ奥都剌合蛮が奏上したことは裁可する。書記官がその文書を作らなければ、その手を切り落とす」。楚材は言いました。「軍と国の事は、先帝がすべてこの老臣に任されました。書記官が何を関与できましょう。事が道理に合うなら、自ら進んで実行します。もし行うべきでないなら、死ですら避けませんし、まして手を切られることなど問題ではありません」。
解説

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