十八史略 / 『十八史略』宋・太祖・曹彬、城を落として殺さず
八年曹彬圍金陵急李煜遣徐鉉入貢求緩兵鉉言煜以小事大如子事父其說累數百上曰爾謂父子為兩家可乎鉉不能對還尋復至奏言江南無罪辭氣益厲上怒按劍曰不須多言江南亦有何罪但天下一家臥榻之側豈容他人鼾睡乎鉉惶恐而退金陵受圍自春徂冬勢愈窮蹙彬終欲降之累遣人告煜曰某日城必破宜早為之所一日彬忽稱疾諸將來問彬曰彬之疾非藥能愈諸公若共為信誓破城不妄殺一人則彬病愈矣諸將皆許諾焚香約誓翌日城陷煜出降南唐亡捷書至上泣曰宇縣分割民受其禍攻城之際必有橫罹鋒鏑者可哀也彬還舟中惟圖籍衣衾閉門通其榜子曰奉勅江南幹事回其不伐如此
新字:八年曹彬囲金陵急李煜遣徐鉉入貢求緩兵鉉言煜以小事大如子事父其説累数百上曰爾謂父子為両家可乎鉉不能対還尋復至奏言江南無罪辞気益厲上怒按剣曰不須多言江南亦有何罪但天下一家臥榻之側豈容他人鼾睡乎鉉惶恐而退金陵受囲自春徂冬勢愈窮蹙彬終欲降之累遣人告煜曰某日城必破宜早為之所一日彬忽称疾諸将来問彬曰彬之疾非薬能愈諸公若共為信誓破城不妄殺一人則彬病愈矣諸将皆許諾焚香約誓翌日城陥煜出降南唐亡捷書至上泣曰宇県分割民受其禍攻城之際必有横罹鋒鏑者可哀也彬還舟中惟図籍衣衾閉門通其榜子曰奉勅江南幹事回其不伐如此
書き下し
八年、曹彬、金陵を囲むこと急なり。李煜、徐鉉を遣わして入貢せしめ、兵を緩めんことを求む。鉉言う、煜の小を以て大に事うること、子の父に事うるが如し、と。其の説、累ぬること数百。上曰く、爾、父子を謂いて両家と為すは可ならんや、と。鉉、対うる能わず。還りて尋いで復た至り、奏言す、江南に罪無し、と。辞気益ます厲し。上怒り、剣を按じて曰く、多言を須いず。江南、亦た何の罪か有らん。但だ天下は一家なり。臥榻の側、豈に他人の鼾睡するを容れんや、と。鉉、惶恐して退く。金陵、囲みを受くること春より冬に徂り、勢い愈いよ窮蹙す。彬、終に之を降さんと欲し、累ねて人を遣わして煜に告げて曰く、某日、城必ず破れん。宜しく早く之が所を為すべし、と。一日、彬、忽ち疾と称す。諸将来り問う。彬曰く、彬の疾は薬の能く愈やす所に非ず。諸公若し共に信誓を為し、城を破るとも妄りに一人をも殺さずんば、則ち彬の病愈えん、と。諸将皆許諾し、香を焚きて約誓す。翌日、城陥り、煜出降し、南唐亡ぶ。捷書至り、上、泣きて曰く、宇県分割し、民、其の禍を受く。城を攻むるの際、必ず横ざまに鋒鏑に罹る者有らん。哀れむべきなり、と。彬、舟中に還り、惟だ図籍・衣衾のみ。門を閉ざし、其の榜子を通じて曰く、勅を奉じて江南の事を幹して回る、と。其の伐らざること此の如し。
現代語訳
開宝八年、曹彬は金陵を厳しく包囲しました。南唐の李煜は徐鉉を使者として送り、貢ぎ物を納めて、攻撃を緩めるよう求めました。徐鉉は言いました。「李煜は、小国として大国に仕えること、子が父に仕えるようにしております」。その説明は数百言に及びました。上は言いました。「お前は父子を別々の家と言うが、それでよいのか」。徐鉉は答えられません。いったん帰り、まもなくまた来て、「江南に罪はありません」と申し上げ、言葉つきはますます激しくなりました。上は怒って剣に手をかけ、言いました。「多くを言うな。江南にどんな罪があるというのか。ただ、天下は一つの家だ。寝台のそばで、ほかの者がいびきをかいて眠るのを許せるだろうか」。徐鉉は恐れ入って退きました。金陵は春から冬まで包囲を受け、情勢はますます行き詰まりました。曹彬は最後まで降伏させたいと願い、たびたび人を送って李煜に告げさせました。「某日、城は必ず落ちます。早く身の処し方を考えてください」。ある日、曹彬は急に病と称しました。諸将が見舞いに来ると、曹彬は言いました。「私の病は薬で治るものではない。もし皆さんが共に誓いを立て、城を破っても、みだりに一人も殺さないと約束してくださるなら、私の病は治るだろう」。諸将はみな承諾し、香をたいて誓いました。翌日、城は落ち、李煜は出て降伏し、南唐は滅びました。勝利の報告が届くと、上は涙を流して言いました。「国土が分かれて、民はその禍を受けた。城を攻めるとき、必ず思いがけず刃や矢に遭う者がいただろう。哀れなことだ」。曹彬は舟に戻りましたが、持ち帰ったのは書物と衣類・夜具だけでした。門を閉ざして、名刺を通じて言いました。「勅命を受けて江南の事に当たり、帰還しました」。彼が功を誇らないことは、このようでした。
解説

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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬彬累々告げしむ、城中に大軍決して取らん、十一月二十七日城を破らん、宜しく早く之が圖を為すべしと。後主將に其の愛子清源郡公仲寓を遣わして入覲せしめんとす。仲冬下旬に至り、日日期を克す。仲寓未だ出でず。彬累々遣わして之を督せしめて言う、郎君寨に到らば、四面即ち攻むるを罷めんと。後主終に左右の言に惑い、以為えらく、堅壘此くの如く、天象變無し。豈に日を計りて取る可けんや。葢し敵人の言、豈に信を為すに足らんやと。但だ報じて言う、行李の物未だ備わらず、宮中の宴餞未だ畢らず。將に二十七日を以て出でしめんとすと。彬又た懇言せしむ。二十六日に至るも亦た及ぶ無し。果たして是の日を以て城陷る。軍を整え列を成して其の宮城の門に至る。後主方に門を開きて表を奉じて降を納る。彬答拜して之が為に禮を盡くす。是より先、宮中預め薪を積む。後主誓いて言う、若し社稷守を失わば、當に血屬を携えて以て火に赴くべしと。既に彬に見ゆ。彬諭すに、朝に歸せば俸賜限り有りて費用至って廣し、當に厚く自ら齎裝すべし、既に歸りて有司の籍あらば則ち及ぶ無からんと。後主を遣わして入りて裝を治めしむ。禆將梁逈・田欽祚皆な力爭して以為えらく、茍くも不虞有らば、咎將に誰にか執らんと。彬曰く、爾の知る所に非ず。煜の神器を觀るに、懦夫女子にも之れ若かず。豈に能く自ら引決せんやと。煜果たして它無し。彬五百人を遣わして為に輜重を搬致して舟に登らしむ。後主既に國を失い、殊に心を家計に問う無し。賫する所特に鮮なし。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬彬金陵を攻め、克つに垂とす。忽ち疾と稱して事を視ず。諸將皆な來りて疾を問う。彬曰く、余の病は藥石の愈やす所に非ず。唯だ諸公共に誠心を發し、自ら誓いて城を克つの日を以て妄りに一人をも殺さざるを須つ。則ち自ら愈えんと。諸將許諾し、共に香を焚きて誓いを為す。明日稍く愈ゆ。金陵に克つに及び、城中皆な安堵すること故の如し。曹翰江州に克つや、其の乆しく下らざるを忿り、屠戮して遺す無し。彬の子孫貴盛にして今に至るまで絶えず。翰卒して未だ三十年ならざるに、子孫の海上に乞匄する者有り。
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十八史略・『十八史略』元・世祖 史天澤・曹彬のように殺すな元、中書平章史天沢・中書左丞相伯顔に命じ、諸軍を師いて南侵せしむ。陛辞するに、世祖之に諭して曰く、古の善く江南を取りし者は、唯だ曹彬一人のみ。汝能く殺さざれば、是れ吾が曹彬なり、と。天沢、疾有りて還り、尋いで卒す。先に是れ、世祖、医を遣わして馳せて天沢を視しむ。天沢、附して奏して曰く、臣の大限は終わり有り、死は惜しむに足らず。第だ願わくは、天兵江を渡るに、殺掠を以て戒めと為さんことを、と。言い訖わりて卒す。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬太祖、曹彬・潘美を遣わして江南を征せしむ。彬辭して才力迨ばずとし、别に能臣を選ばんことを乞う。潘美盛んに江南取る可きを言う。帝大言して彬に諭して曰く、所謂る大將とは、能く位を出で分を犯すの副將を斬らば、則ち難からずと。美汗下りて敢えて仰ぎ視ず。將に行かんとし、夜彬を召して禁中に入らしむ。帝親ら酒を酌む。彬醉う。宮人水を以て其の面に沃ぐ。既に醒む。帝其の背を撫して以て遣りて曰く、㑹取㑹取、他本と罪無し。只だ是れ自家、他を著くること得ざるのみと。葢し恩徳を以て之を來さんと欲すればなり。是の故に彬の厚重、美の明鋭を以て、更々相い助を為す。令行われ禁止まりて、未だ嘗て妄りに一人をも戮せずして江南平らぐ。
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『宋名臣言行録』前集巻一・曹彬太祖、王全斌等を遣わして蜀を平らげしむ。全斌、降兵三千人を殺す。時に曹彬從わず、但だ其の文案を收めて字を署せず。師還るに及び、太祖傳宣して中書に送りて勘を取らしむ。左右曰く、方に西蜀を克復して回るなり。降兵を殺すと雖も、亦た便ち案劾す可からず。今後、陛下如何ぞ人を用いんと。太祖曰く、然らず。河東・江南皆な未だ歸服せず。若し勘劾せずんば、恐らくは今後委任する者、轉た亂りに人を殺さんと。但だ且く勘劾せしむ。勘案の成るに洎び、宣して後殿に見えしめて責問して曰く、如何ぞ敢えて亂りに人を殺すと。又た曰く、曹彬は但だ退け、你が事に干らずと。曹退かず。但だ叩頭して罪に伏して曰く、臣同じく商議す。罪は誅戮に合すと。太祖遂に皆な之を原す。後、忽ち一日、曹并びに潘美を宣して曰く、汝に命じて江南を收めしむと。又た曹を顧みて曰く、更に往時の西川の亂りに人を殺すに似る得ずと。曹徐ろに奏して曰く、臣若し奏せずんば、恐らくは陛下未だ知らざらん。曩日西川の殺降の事、臣曽て商量して固く執りて下さず。臣見に收め得たる當日の文案、元と字を著けずと。太祖之を取覧して謂いて曰く、此くの如くんば則ち當時何の故に堅く執りて罪に服せしと。曰く、臣初め全斌等と同じく委任を被る。若し全斌等罪を獲て臣獨り清雪せば、穏便為らず。所以に一向に罪に服せりと。太祖曰く、卿既に自ら罪に當たらんと欲す。又た安んぞ此の文字を留むるを用いんと。曰く、臣初め謂えらく、陛下必ず誅戮を行わんと。故に此の文書を留め、老母をして進呈せしめ、老母の命を全うせんことを乞わんとせりと。太祖尤も之を器遇す。
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『智囊』億中・曹彬曹武恵王、既に金陵を下し、後主を降す。復た遣わして内に還して行を治めしむ。潘美、其の死して生きながら致す能わざらんことを憂い、之を止む。王言う、「吾、適たま降を受くるに、其の渠に臨みて猶お左右を顧みて扶けられて而る後に過ぐるを見たり。必ず然らざるなり。且つ彼に烈心有らば、自ら当に君臣同じく尽くすべく、必ず生きて降らず。既に降れば、又た肯えて死せんや」と。或るひと藝祖に降王を誅せんことを勧む、入れば則ち変生ぜん、と。藝祖笑いて曰く、「千里の国を守り、十万の師を戦わせて、我が為に擒となり、孤身遠客、能く変を為さんや」と。君臣、智を同じくすと謂うべし。