十八史略 / 『十八史略』南宋・孝宗・孝宗が終身憤った和議
湯思退密有召虜議和之迹言者論罷竄之道死康伯復相和議成先是國書大宋去大字皇帝去皇字書用君臣之禮有再拜等語金使至則起立問金主起居降階坐受書奉使者自同陪臣館伴之屬皆拜其來使至是始稱上為宋皇帝止為叔姪之國易歲貢為歲幣歲幣減十萬之數地界如紹興之時而餘禮往往竟不能盡改上終身憤之其後屢請還河南陵寢地改受書禮金人卒不從蓋上雖有志復讐而無能輔其志者
新字:湯思退密有召虜議和之迹言者論罷竄之道死康伯復相和議成先是国書大宋去大字皇帝去皇字書用君臣之礼有再拝等語金使至則起立問金主起居降階坐受書奉使者自同陪臣館伴之属皆拝其来使至是始称上為宋皇帝止為叔姪之国易歳貢為歳幣歳幣減十万之数地界如紹興之時而余礼往往竟不能尽改上終身憤之其後屡請還河南陵寝地改受書礼金人卒不従蓋上雖有志復讐而無能輔其志者
書き下し
湯思退、密かに虜を召きて和を議するの迹有り。言者、論じて之を罷め竄す。道に死す。康伯復た相となり、和議成る。是より先、国書は「大宋」は「大」の字を去り、「皇帝」は「皇」の字を去り、書は君臣の礼を用い、再拝等の語有り。金使至れば則ち起立して金主の起居を問い、階を降り坐して書を受く。使を奉ずる者は自ら陪臣に同じくし、館伴の属は皆其の来使に拝す。是に至りて始めて上を称して宋皇帝と為し、止だ叔姪の国と為す。歳貢を易えて歳幣と為し、歳幣は十万の数を減ず。地界は紹興の時の如し。而して余礼は往往にして竟に尽くは改むる能わず。上、終身之を憤る。其の後屡々河南の陵寝の地を還すことと、受書の礼を改むることを請うも、金人卒に従わず。蓋し上は復讐に志有りと雖も、其の志を輔くる能う者無きなり。
現代語訳
湯思退は、ひそかに敵を呼び寄せて和議を図った形跡があり、言官たちが論じて罷免し、遠方へ流しました。思退は道中で亡くなりました。陳康伯が再び宰相となり、和議が成立しました。これより前、国書は「大宋」から「大」の字を除き、「皇帝」から「皇」の字を除いて、君臣の礼を用い、再拝などの言葉がありました。金の使者が来ると、宋の皇帝は立ち上がって金主の安否を尋ね、階段を降りて座って国書を受けました。宋の使者は自ら陪臣と同じ扱いになり、接待役の官たちも皆、金の使者に拝礼しました。このときに至って、はじめて宋の皇帝と称し、叔父と甥の国という関係にとどめました。歳貢を歳幣と改め、歳幣は十万の数を減らしました。国境は紹興のときと同じです。それでも他の礼は、往々にして結局すべては改めることができませんでした。孝宗は終身これを憤りました。その後たびたび河南の陵墓の地を返すこと、国書を受ける礼を改めることを求めましたが、金人はついに従いませんでした。思うに、孝宗には復讐の志があっても、その志を補佐できる者がいなかったのです。
解説

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