十八史略 / 『十八史略』宋・真宗・澶淵の和議と歳幣の上限
先是王繼忠者陷虜嘗言和好之利故雖大舉亦遣使以繼忠書來上命曹利用報之至是利用與契丹使者韓杞偕來請世宗所取關南故地上曰地必不可得寧與金帛以和準意亦不欲與且畫策以進曰如此則可保百年無事不然數十歲後戎復生心準蓋欲擊之使隻輪不返上曰數十歲後當有能禦之者吾不忍生靈重困姑聽其和遂再遣利用往利用請歲賂金帛之數上曰必不得已雖百萬亦可準召語之曰雖有敕旨不得過三十萬如過此數勿來見準準斬汝矣利用卒以絹二十萬銀十萬定和議南朝為兄北朝為弟交誓約各解兵歸
新字:先是王継忠者陥虜嘗言和好之利故雖大舉亦遣使以継忠書来上命曹利用報之至是利用与契丹使者韓杞偕来請世宗所取関南故地上曰地必不可得寧与金帛以和準意亦不欲与且画策以進曰如此則可保百年無事不然数十歳後戎復生心準蓋欲撃之使隻輪不返上曰数十歳後当有能禦之者吾不忍生霊重困姑聴其和遂再遣利用往利用請歳賂金帛之数上曰必不得已雖百万亦可準召語之曰雖有勅旨不得過三十万如過此数勿来見準準斬汝矣利用卒以絹二十万銀十万定和議南朝為兄北朝為弟交誓約各解兵帰
書き下し
先是、王継忠なる者、虜に陥る。嘗て和好の利を言う。故に大挙すと雖も、亦た使いを遣わし、継忠の書を以て来たる。上、曹利用に命じて之に報ぜしむ。是に至り、利用、契丹の使者韓杞と偕に来たりて、世宗の取る所の関南の故地を請う。上曰く、地は必ず得べからず。寧ろ金帛を与えて以て和せん、と。準の意も亦た与えんと欲せず。且つ策を画して以て進めて曰く、此の如くんば則ち百年事無きを保つべし。然らずんば、数十歳の後、戎復た心を生ぜん、と。準、蓋し之を撃ち、隻輪も返らざらしめんと欲す。上曰く、数十歳の後、当に能く之を禦ぐ者有るべし。吾、生霊の重ねて困しむを忍びず。姑く其の和を聴かん、と。遂に再び利用を遣わして往かしむ。利用、歳賂の金帛の数を請う。上曰く、必ず已むを得ざれば、百万と雖も亦た可なり、と。準、之を召して語りて曰く、敕旨有りと雖も、三十万を過ぐるを得ず。如し此の数を過ぐれば、来たりて見ゆる勿かれ。準、汝を斬らん、と。利用、卒に絹二十万、銀十万を以て和議を定む。南朝を兄と為し、北朝を弟と為し、誓約を交わして、各おの兵を解きて帰る。
現代語訳
これより前、王継忠という者が敵に捕らえられていました。彼はかつて、和睦の利益を説いたことがありました。そのため、契丹は大軍で攻めてきたものの、使者も送り、継忠の書簡を携えてやって来ました。上は曹利用に命じて返答させました。このとき、利用は契丹の使者の韓杞とともに来て、周の世宗が奪った関南の旧領の返還を求めました。上は言いました。「土地は決して渡せない。むしろ金や絹を与えて和睦しよう」。寇準の考えも、土地を与えるつもりはありませんでした。そのうえで策を立てて、言いました。「このようにすれば、百年は無事を保てます。そうしなければ、数十年後に、敵はまた野心を抱くでしょう」。寇準は、おそらく敵を討って、一台の車も返さないほどに叩こうとしたのでしょう。上は言いました。「数十年後には、これを防げる者が現れるだろう。私は、民がまた苦しむのを見るに忍びない。しばらく彼らの和睦を受け入れよう」。そこで再び利用を派遣しました。利用は、毎年贈る金品の額を尋ねました。上は言いました。「どうしても避けられなければ、百万でもよい」。寇準は利用を呼んで言いました。「勅命があっても、三十万を超えてはならない。もしこの数を超えたなら、私に会いに来るな。私がお前を斬るぞ」。利用は、ついに絹二十万、銀十万で和議を定めました。南朝を兄とし、北朝を弟として、誓約を交わし、双方とも兵を引いて帰りました。
解説

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十八史略・『十八史略』宋・真宗・澶州の親征、寇準の決断景徳元年、契丹の主、其の母蕭氏と大挙して入寇す。中外震駭す。参政陳尭叟は蜀の人、蜀に幸せんことを請う。王欽若は江南の人、江南に幸せんことを請う。上、以て宰相寇準に問う。準問う、誰か此の策を画せし、と。上曰く、卿、姑く其の可否を断ぜよ。問うこと勿かれ、と。準曰く、臣、策を献ぜし臣を得て、斬りて以て鼓に釁らんと欲す。然る後に北伐せんのみ、と。遂に親征の議を定む。上、韋城に駐蹕し、尋いで衛南に至る。契丹、兵を擁して澶州に抵り、囲み三面に合す。李継隆等出でて之を禦ぐ。契丹の撻覧、弩に中たりて死し、大いに挫け退却して敢えて動かず。寇準、力めて上に渡河を勧む。殿前の帥高瓊も亦た力めて賛し、猶豫する間に、瓊、衛士を麾きて輦を進め、曰く、陛下若し河を過らずんば、百姓、考妣を喪うが如し、と。梁適、之を呵す。瓊、怒りて曰く、君が輩、此の時尚お人の失礼を責む。何ぞ一詩を賦して虜を退けざる、と。遂に上を擁して以て渡る。既に澶州に至り、北城に登り、黄旗幟を張る。諸軍皆万歳を呼び、声聞こゆること数十里。契丹の気、奪わる。
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『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖敵既に退き、來りて和親を求む。曹利用に命じて之と約せしむ。時に契丹已に疲る。又た鎮定の大兵の其の歸路を扼するを懼る。利用の至るを見て甚だ喜ぶ。寢ぬるに珠縁の貂褥を以てす。敵主、河北を割かんことを求む。利用曰く、此くの如くんば臣、族罪を得ん。敢えて以て聞せずと。歳ごとに金繒二十萬を給するを許す。敵、其の少なきを嫌う。利用復た還りて之を奏す。上曰く、百萬以下は皆な許す可きなりと。凖、利用を召して之に語りて曰く、勑㫖有りと雖も、汝往きて許す所、三十萬を過ぐるを得る毋かれ。三十萬を過ぐれば、来りて凖に見ゆる勿かれ。凖、將に汝を斬らんとすと。利用股栗す。再び敵の帳に至り、果たして三十萬を以て約を成して還る。
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『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖相い持すること十餘日。契丹計索きて始めて和を請う。既に約有り。又た其の衆を率いて詐りて壕を填めんと欲す。㑹々飛矢の其の統軍を射て之を殺す有り。契丹大いに擾る。其の和を請うこと遂に益々堅し。凖肯んぜず。敵の使い來ること益々恭し。上將に之を許さんとす。凖、使いを邀えて臣と稱し、且つ幽州の地を獻ぜしめんと欲す。時に上、兵事を厭う。是に於て凖を譛る者有り、敵と平らぐを願わず、兵事有りて以て自ら重きを取るを幸うと。上も亦た悦ばず。凖已むを得ずして之を許す。時に敵、國を舉げて來冦し、中國に入ること千餘里。其の歸ること十日ならずんば漢地を出づる能わず。郡邑、壁を堅くし野を清くして以て冦を待たば、敵の人馬飢乏し、百萬の衆、戰う毋くして死す可し。敵の窘まること此くの如し。誠に少しく之を抑え緩くせば、契丹敢えて臣と稱せずんばあらず。幽州必ず得可きなり。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼本朝皇帝の使臣に命ずるや、則ち詞有り。曰く、朕は祖宗の爲に國を守る。必ず敢えて其の地を以て人に與えず。北朝の欲する所は、其の租稅を利するに過ぎざるのみ。朕は地の故を以て多く兩朝の赤子を殺すを欲せず。故に己を屈して幣を增し、以て賦入に代う。若し北朝必ず地を得んと欲せば、是れ志の盟を敗るに在りて、此を假りて詞と爲すのみ。朕も亦た安んぞ獨り用兵を避くるを得んや。澶淵の盟は天地鬼神實に之に臨む。今北朝首めて兵禍を發せば、過ちは朕に在らず。天地鬼神豈に欺く可けんやと。敵大いに感悟す。
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『智囊』識斷・周瑜・寇準・陳康伯契丹、澶州を寇し、辺書の告急は一夕に五たび至り、中外震駭す。寇準は発せず、飲み笑うこと自如たり。真宗は之を聞き、準を召して計を問う。準曰く、「陛下、此れを了わらんと欲せば、五日に過ぎず。願わくは駕して澶州に幸せよ」と。帝は之を難しとし、内に還らんと欲す。準は還る毋くして行かんことを請い、乃ち群臣を召して之を議す。王欽若は金陵に幸せんことを請い、陳堯叟は閬州の人にして、成都に幸せんことを請う。準曰く、「陛下は神武にして、将臣協和す。若し大駕親征せば、敵は当に自ら遁るべし。奈何ぞ廟社稷を棄てて遠く楚、蜀に幸せんや。所在の人心は崩潰し、敵は勢いに乗じて深入せば、天下は復た保つべけんや」と。帝は乃ち策を決して澶州に幸す。準曰く、「陛下若し宮に入らば、臣は到るを得ず、又た見るを得ずんば、則ち大事去らん。請う、内に還る毋かれ」と。駕は遂に発し、六軍、有司は追いて及ぶ。河に臨みて未だ渡らず。是の夕、内人は相い泣く。上は人を遣わして准を目間せしむるに、方に酒を飲みて鼾睡す。明日又た金陵の謀を言う者有り、上の意動く。准は固く河を渡らんことを請い、議すること数日にして決せず。准は出でて高烈武王の瓊に見え、之に謂いて曰く、「子は上将たり。国の危うきを視て一言せざるか」と。瓊は之に謝す。乃ち復た入り、従官を召問せんことを請う。至るも皆な黙然たり。上は南下せんと欲す。准曰く、「是れ中原を棄つるなり」と。又た橋を断ちて河に因りて守らんと欲す。准曰く、「是れ河北を棄つるなり」と。上は首を搖りて曰く、「儒者は兵を知らず」と。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼是に於いて許す所の增幣の誓書を留め、復た耶律仁先及び六符をして其の國の誓書を以て來たらしめ、且つ獻納と爲さんことを求む。公奏して曰く、臣既に死を以て之を拒む。敵の氣折れたり。復た許す勿かる可し。彼れ能く爲す無きなりと。上之に從う。幣二十萬を增して契丹と平らぐ。契丹の君臣、今に至るまで其の語を誦し、其の約を守りて敗るに忍びざる者は、其の心、好を通ずると兵を用うるとの利害の在る所を知るを以てなり。