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十八史略 / 『十八史略』南宋・高宗 采石・采石で金軍を防ぐ虞允文

遂渝盟舉兵其母諫殺之以威衆兵號百萬陷淮西諸郡江淮浙西制置使劉錡遣王權迎敵權逗留己而退還奔采石報至中外大震有浮海避狄之議陳康伯不可命葉義問視師中書舍人虞允文參謀軍事金人陷揚州趨瓜州劉錡遣將敗之於阜角林有詔令錡還軍專防江上金主欲由采石渡朝廷以李顯忠代權而未至金人舟來虞允文亟督水軍海鰍船迎擊死鬭金人不能濟

新字:遂渝盟舉兵其母諫殺之以威衆兵号百万陥淮西諸郡江淮浙西制置使劉錡遣王権迎敵権逗留己而退還奔采石報至中外大震有浮海避狄之議陳康伯不可命葉義問視師中書舎人虞允文参謀軍事金人陥揚州趨瓜州劉錡遣将敗之於阜角林有詔令錡還軍専防江上金主欲由采石渡朝廷以李顕忠代権而未至金人舟来虞允文亟督水軍海鰍船迎撃死闘金人不能済

書き下し

遂に盟を渝え兵を挙ぐ。其の母諫むるに、之を殺して以て衆を威す。兵は百万と号し、淮西の諸郡を陥る。江淮浙西制置使劉錡、王権を遣わして敵を迎えしむるに、権逗留し、已にして退き、還りて采石に奔る。報至りて、中外大いに震う。浮海して狄を避くるの議有り。陳康伯、不可とす。葉義問に命じて師を視しむ。中書舎人虞允文、軍事に参謀す。金人、揚州を陥れ、瓜州に趨く。劉錡、将を遣わして之を阜角林に敗る。詔有りて錡をして軍を還し、専ら江上を防がしむ。金主、采石より渡らんと欲す。朝廷、李顕忠を以て権に代えしむるも未だ至らず。金人の舟来たる。虞允文、亟かに水軍を督し、海鰍船もて迎え撃ち、死闘す。金人、済ること能わず。

現代語訳

金の主君の亮は、こうして盟約を破り兵を挙げました。母が諫めると、これを殺して人々を威圧しました。兵は百万と称し、淮西の諸郡を陥落させました。江淮浙西制置使の劉錡は王権を遣わして敵を迎え撃たせましたが、王権はぐずぐずして、やがて退き、采石に戻りました。この知らせが届くと、朝廷の内外は大いに震え、海へ逃れて敵を避ける案まで出ました。陳康伯はこれに反対しました。葉義問に命じて軍を視察させ、中書舎人の虞允文が軍事に参謀として加わりました。金軍は揚州を落として瓜州に向かい、劉錡は将を遣わして阜角林でこれを破りました。詔が出て、劉錡を軍とともに引き返させ、もっぱら長江の防衛にあたらせました。金主は采石から長江を渡ろうとしました。朝廷は李顕忠を王権の後任としましたが、まだ到着していませんでした。そこへ金軍の舟が来襲しました。虞允文はただちに水軍を督励し、海鰍船で迎え撃って死闘を繰り広げ、金軍は渡ることができませんでした。

解説

紹興三十一年、金の主亮は盟約を破って南下し、淮西の諸郡を陥れ、宋では海へ逃れる案まで出ました。王権が迎撃の途中で退いて采石に戻り、後任の李顕忠もまだ着かない空白の中、参謀として来ていた文官の虞允文が水軍を督励し、金軍を長江で食い止めました。同じ頁の続きでは、金主が国内の変事を聞いて退いたと伝えます。肩書きは参謀にすぎなくても、指揮の空白が生じたとき、自分の責任として前に出た人が流れを変えました。組織でも、役割の線引きに縛られず、必要なときに判断を引き受ける人がいるかどうかが、危機での明暗を分けます。
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この章句が説くこと

虞允文采石金主亮長江劉錡水軍

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