十八史略 / 『十八史略』宋・徽宗・章惇の誤算と端王即位
徽宗皇帝名佶神宗第十一子也初封端王哲宗崩欽聖憲肅皇太后向氏召宰執議立嗣后欲立端王章惇曰端王浪子耳曾布身長望見端王已在簾下叱曰章惇聽太后處分王出簾惇惶恐失措王即位
新字:徽宗皇帝名佶神宗第十一子也初封端王哲宗崩欽聖憲粛皇太后向氏召宰執議立嗣后欲立端王章惇曰端王浪子耳曽布身長望見端王已在簾下叱曰章惇聴太后処分王出簾惇惶恐失措王即位
書き下し
徽宗皇帝、名は佶。神宗の第十一子なり。初め端王に封ぜらる。哲宗崩じ、欽聖憲肅皇太后向氏、宰執を召して嗣を立つるを議す。后、端王を立てんと欲す。章惇曰く、端王は浪子のみ、と。曾布、身長く、端王の已に簾下に在るを望み見て、叱して曰く、章惇、太后の処分を聴け、と。王、簾を出ず。惇、惶恐して措を失う。王即位す。
現代語訳
徽宗皇帝は、名を佶といい、神宗の第十一子です。はじめ端王に封ぜられていました。哲宗が崩じると、欽聖憲肅皇太后の向氏は、宰相・執政を召して後継ぎを立てる相談をしました。太后は端王を立てたいと考えていました。章惇は「端王は遊び人にすぎません」と言って反対しました。背の高い曾布は、端王がすでに簾の下に来ているのを見つけ、「章惇、太后のご処分に従え」と叱りつけました。端王が簾の外に出ると、章惇はうろたえて手の施しようを失い、端王は即位しました。
解説
北宋の最後から二番目の皇帝、徽宗が即位する場面です。哲宗の死後、向太后が端王を推すと、宰相の章惇は端王を浪子にすぎないと反対しました。しかし曾布が、端王がすでに簾の下に来ているのを見て章惇を叱り、章惇はうろたえて端王が即位しました。徽宗は文化に秀でた一方で蔡京らを用いて政治を乱し、北宋は金に滅ぼされます。章惇の人物評は結果から見れば的を射ていました。人事の場で、反対意見を意向や場の勢いで押し切ると、その責任は後で必ず問われます。後継者選びほど、反対論を最後まで聞く価値があります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
徽宗端王章惇曽布向太后後継者選び
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