十八史略 / 『十八史略』宋・徽宗 蔡京・蔡京と花石綱の奢侈
京倡邪說以為當豐亨豫大之運專以奢侈勸上窮極土木之功廣京城修大內盛築內苑鑄九鼎鼎成以九州水土納鼎中及奉安北方寶鼎忽水漏于外作大晟樂作玉清神霄宮崇信道士林靈素策上為教主道君皇帝作延福宮作保和殿作萬歲山以朱勔領花石綱奇花異木怪石珍禽奇獸無遠不致民間一花一木之妙輒令上供有一花費數千緡一石費數萬緡者二十年間山林高深麋鹿成群改名艮嶽又為村居野店酒肆青帘於其間每歲冬至後即放燈縱令飲博謂之先賞元宵
新字:京倡邪説以為当豊亨予大之運専以奢侈勧上窮極土木之功広京城修大内盛築内苑鋳九鼎鼎成以九州水土納鼎中及奉安北方宝鼎忽水漏于外作大晟楽作玉清神霄宮崇信道士林霊素策上為教主道君皇帝作延福宮作保和殿作万歳山以朱勔領花石綱奇花異木怪石珍禽奇獣無遠不致民間一花一木之妙輒令上供有一花費数千緡一石費数万緡者二十年間山林高深麋鹿成群改名艮嶽又為村居野店酒肆青帘於其間毎歳冬至後即放灯縦令飲博謂之先賞元宵
書き下し
京、邪説を倡え、以て為す、当に豊亨豫大の運に当たる、と。専ら奢侈を以て上に勧め、土木の功を窮極し、京城を広げ、大内を修め、内苑を盛んに築き、九鼎を鋳る。鼎成りて、九州の水土を以て鼎中に納め、北方の宝鼎を奉安するに及び、忽ち水外に漏る。大晟楽を作り、玉清神霄宮を作り、道士林霊素を崇信す。霊素、上に策して教主道君皇帝と為す。延福宮を作り、保和殿を作り、万歳山を作り、朱勔を以て花石綱を領せしむ。奇花異木・怪石・珍禽・奇獣、遠きとして致さざるなく、民間の一花一木の妙なるも、輒ち上供せしむ。一花の費数千緡、一石の費数万緡なる者有り。二十年の間、山林高深にして、麋鹿群を成し、名を改めて艮嶽と曰う。又村居・野店・酒肆・青帘を其の間に為り、毎歳冬至の後、即ち燈を放ち、縦に飲博せしめ、之を先賞元宵と謂う。
現代語訳
蔡京は邪説を唱え、「いまは豊かで安んじ、大いに楽しむべき時運にあたる」と言い、ひたすら奢侈を皇帝に勧めて、土木工事の限りを尽くさせました。都を広げ、宮城を整え、内苑を盛大に築き、九つの鼎を鋳造しました。鼎ができると、九州の水と土を鼎の中に納めさせましたが、北方の宝鼎を安置するときになって、にわかに水が外へ漏れ出しました。大晟楽を作り、玉清神霄宮を建て、道士の林霊素を深く信じました。霊素は帝に進言して、教主道君皇帝と称させました。延福宮、保和殿、万歳山を造り、朱勔に花石綱を取り仕切らせました。珍しい花や木、奇岩、珍しい鳥や獣は、どれほど遠くても取り寄せ、民家の一株の花や一本の木でも見事なものは、すぐに献上を命じました。一輪の花に数千緡、一つの石に数万緡の費用がかかるものもありました。二十年のうちに山や林は深くなり、鹿が群れをなし、艮嶽と名を改めました。そこにまた村里の家、田舎の店、酒屋、青い旗を設け、毎年冬至の後には灯をともして、思うままに飲み賭け事をさせ、これを「先賞元宵」と呼びました。
解説

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