十八史略 / 『十八史略』宋・哲宗 司馬光・先帝の法を善悪で分ける
議者或謂三年無改父道新法姑稍損其甚者是矣光慨然争之曰先帝之法善者雖百世不可變若安石惠卿等所建為天下害非先帝本意者當如救焚拯溺猶恐不及况太皇太后以母改子非子改父衆議乃定
新字:議者或謂三年無改父道新法姑稍損其甚者是矣光慨然争之曰先帝之法善者雖百世不可変若安石恵卿等所建為天下害非先帝本意者当如救焚拯溺猶恐不及況太皇太后以母改子非子改父衆議乃定
書き下し
議者あるいは謂う、三年父の道を改むること無し、新法は姑く稍その甚だしき者を損せば是なり、と。光慨然として之を争いて曰く、先帝の法の善き者は、百世といえども変うべからず。安石・恵卿らの建つる所の、天下の害を為し、先帝の本意に非ざる者の若きは、当に焚を救い溺を拯うが如くすべく、なお及ばざるを恐る。況んや太皇太后は母を以て子を改むるなり、子の父を改むるに非ず、と。衆議乃ち定まる。
現代語訳
議論する者の中には、「父の道は三年改めないものだ。新法はひとまず、弊害のひどいところだけを少し削ればよい」と言う者がいました。司馬光は憤然として争い、こう言いました。「先帝の定められた法のうち、よいものは百世を経ても変えてはなりません。しかし王安石や呂惠卿らが建てた、天下に害をなし、先帝の本意ではないものは、燃える家から人を救い、溺れる者を引き上げるように、急いで改めてもなお間に合わないほどです。ましてや今回は、太皇太后という母が政治を改めるのであって、子が父の政治を改めるのではありません」。これで衆議が定まりました。
解説
神宗の死後、新法を丸ごと廃するか、害の大きい部分だけを削るかで朝廷が割れた場面です。司馬光は、先帝の法でも善いものは百代変えず、天下に害を与えるものは火事場の救出のように急いで改めると言い切り、衆議を定めました。守るものと捨てるものを、先代への遠慮ではなく、人々への害の有無で分けた点が要です。のちに旧法の復活は新法派の巻き返しを招き、朝廷の争いは深まりました。引き継いだ制度を見直すときも、前任者の顔や三年は触らないという慣例より、いま現場で起きている害を基準に、残すものと急いで直すものを仕分ける姿勢が問われます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
司馬光新法先帝之法救焚拯溺父道改革
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