十八史略 / 『十八史略』宋・仁宗・朋党論、君子の朋と小人の朋
國子直講石介喜曰此盛德事也乃作慶曆聖德詩有曰眾賢之進如茹斯拔大姦之去如距斯脫大姦指竦也仲淹琦適自陝西來道中得詩仲淹拊股謂琦曰為此怪鬼輩壞事竦因與其黨造論目衍等為黨人歐陽脩乃作朋黨論上之略曰小人無朋惟君子有之小人同利之時暫為朋者偽也及其見利而爭先或利盡而情疎反相賊害君子修身則同道而相益事國則同心而共濟終始如一此君子之朋也為君者但當退小人之偽朋進君子之真朋則天下治矣
新字:国子直講石介喜曰此盛徳事也乃作慶暦聖徳詩有曰衆賢之進如茹斯抜大姦之去如距斯脱大姦指竦也仲淹琦適自陝西来道中得詩仲淹拊股謂琦曰為此怪鬼輩壊事竦因与其党造論目衍等為党人欧陽脩乃作朋党論上之略曰小人無朋惟君子有之小人同利之時暫為朋者偽也及其見利而争先或利尽而情疎反相賊害君子修身則同道而相益事国則同心而共済終始如一此君子之朋也為君者但当退小人之偽朋進君子之真朋則天下治矣
書き下し
国子直講石介、喜びて曰く、此れ盛徳の事なり、と。乃ち慶暦聖徳詩を作る。曰く有り、衆賢の進むこと茹の如く、斯れ抜く。大姦の去ること距の如く、斯れ脱す、と。大姦とは竦を指すなり。仲淹・琦、適ま陝西より来たり、道中に詩を得。仲淹、股を拊ちて琦に謂いて曰く、此の怪鬼の輩の為に事を壊らる、と。竦、因りて其の党と論を造り、衍等を目して党人と為す。欧陽脩、乃ち朋党論を作りて之を上る。略に曰く、小人には朋無し。惟だ君子のみ之有り。小人は利を同じくするの時、暫く朋を為す者は偽りなり。其の利を見て争い先んじ、或いは利尽きて情疎くなるに及べば、反って相賊害す。君子は身を修むれば則ち道を同じくして相益し、国に事うれば則ち心を同じくして共に済す。終始一の如し。此れ君子の朋なり。君為る者は、但だ当に小人の偽朋を退け、君子の真朋を進むべし。則ち天下治まらん、と。
現代語訳
国子直講の石介は喜んで言いました。「これは盛んな徳の事業だ」。そこで『慶暦聖徳詩』を作り、こう詠みました。「多くの賢者が進み出るさまは、草の根をまとめて抜くようであり、大悪人が去るさまは、障害を取り除いて身を解き放つようだ」。大悪人とは、夏竦のことです。仲淹と琦は、ちょうど陝西から戻る途中で、この詩を手に入れました。仲淹は腿を打って琦に言いました。「このような怪しい者たちのせいで、事が壊されてしまう」。夏竦はこれに乗じて、一味とともに論を作り上げ、杜衍らを名指しして「徒党の者」としました。欧陽脩は、そこで朋党論を作って上奏しました。その要旨は次のとおりです。「小人には本当の朋はありません。ただ君子にだけあります。小人は利益を同じくするあいだだけ、仮に朋となるので、それは偽りです。利益を見れば争って先を競い、利益が尽きれば情も薄れ、かえって傷つけ合います。君子は身を修めれば道を同じくして助け合い、国に仕えれば心を同じくして共に事を成します。始めから終わりまで変わりません。これが君子の朋です。君主たる者は、ただ小人の偽りの朋を退け、君子の真の朋を進めるべきです。そうすれば天下は治まります」。
解説

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『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修初め范公の貶せらるるや、公と尹師魯・余安道と皆范公を直しとするを以て逐わる。之を黨人と目す。是れより朋黨の論起こる。公乃ち朋黨論を爲して以て進む。言う、君子は道を同じくするを以て朋と爲し、小人は利を同じくするを以て朋と爲す。人君は但だ當に小人の僞朋を退け、君子の眞朋を進むべしと。其の言懇惻詳盡なり。公性惡を疾み、事を論じて囘避する所無し。小人之を視ること仇讎の如し。而して公は愈ミ奮厲して顧みず。上獨り其の忠を深く知り、右正言・知制誥に改め、三品の服を賜う。故事、知制誥は必ず試む。上、公の文を知り、旨有りて試みず。近世の楊文公・陳文惠公に比して、連ねて公と三人のみ。嘗て奏事に因りて論人物に及ぶ。上公に目して曰く、歐陽脩の如きは何處より得來たるかと。蓋し大いに用いんと欲して果たさざるなり。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦石守道、慶暦詩を作る。忠邪太だ明白なり。公、范公と適ま陝西より來朝す。道中に之を得たり。范公股を拊ちて公に謂いて曰く、此の怪鬼の輩の爲に壞了せられんと。公曰く、天下の事は此くの如くなる可からず。此くの如くんば必ず壞れんと。
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