十八史略 / 『十八史略』宋・仁宗・辺境を守った范仲淹と韓琦
諫官韓琦上疏曰政事府豈養病坊邪於是士遜致仕呂夷簡復相用韓琦范仲淹為邊帥仲淹嘗兼知延州夏人相戒曰毋以延州為意小范老子胸中自有數萬甲兵不比大范老子可欺也邊人為之語曰軍中有一韓西賊聞之心膽寒軍中有一范西賊聞之驚破膽昊之不得大逞蓋藉琦仲淹之宣力居多
新字:諫官韓琦上疏曰政事府豈養病坊邪於是士遜致仕呂夷簡復相用韓琦范仲淹為辺帥仲淹嘗兼知延州夏人相戒曰毋以延州為意小范老子胸中自有数万甲兵不比大范老子可欺也辺人為之語曰軍中有一韓西賊聞之心胆寒軍中有一范西賊聞之驚破胆昊之不得大逞蓋藉琦仲淹之宣力居多
書き下し
諫官韓琦、上疏して曰く、政事府は豈に病を養う坊ならんや、と。是に於いて士遜、致仕す。呂夷簡、復た相たり。韓琦・范仲淹を用いて辺帥と為す。仲淹、嘗て延州を兼ね知す。夏人、相戒めて曰く、延州を以て意と為す毋かれ。小范老子は胸中に自ら数万の甲兵有り。大范老子の欺くべきに比せざるなり、と。辺人、之が語を為りて曰く、軍中に一韓有り、西賊、之を聞きて心胆寒し。軍中に一范有り、西賊、之を聞きて驚破胆す、と。昊の大いに逞しくするを得ざりしは、蓋し琦・仲淹の力を宣べしに藉るもの居多し。
現代語訳
諫官の韓琦は上疏して言いました。「政事府は、病人を養う施設ではありません」。こうして張士遜は退官し、呂夷簡が再び宰相となりました。韓琦と范仲淹が登用されて、辺境の将帥となりました。范仲淹は、かつて延州の長官を兼ねたことがあります。西夏の人々は、互いに戒めて言いました。「延州を相手にしようと考えてはならない。小范老子の胸中には、自然と数万の兵がある。大范老子のように侮れる相手ではない」。国境の人々は、これを歌にして言いました。「軍の中に一人の韓がいる、西の賊はそれを聞いて心胆が寒くなる。軍の中に一人の范がいる、西の賊はそれを聞いて肝をつぶす」。元昊が思うままに暴れられなかったのは、思うに、韓琦と范仲淹の力によるところが大きいのです。
解説

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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦元昊初めて叛き、兵鋒銳きこと甚だし。中國久しく戰を知らず、人心頗る恐る。公に陜西安撫使を授く。趣かに道に上る。公勇にして自ら效さんと欲し、馳せて延安に至れば、則ち羗已に圍を解きて去る。然れども士氣沮傷し、將吏往往にして病と移して罷職を求む。公即ち材武を選練し、戰守の器を治め、居人を慰安し、豪傑を收召して之と計議す。范雍、延州を守る。朝廷以爲えらく能わずとし、趙振を以て代えんと欲す。公奏して曰く、願わくは雍を留めて以て後效を觀ん。已む無くんば則ち范仲淹を可と爲す。以て國家の爲に計るなり、仲淹に私するに非ず。若し朋比に涉りて陛下の事を誤らば、當に族せらるべしと。慶人の陳叔慶等、邉防の策を陳べて官に補せられ、東南に置かる。公奏して曰く、忠義憤懣して國の爲に計を獻ず。稍く收用すと雖も、乃ち僻左に置くは、實に之を覊縻するなり。誠意を開示して人才を招徠する所以に非ずと。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公と韓琦と協謀し、必ず靈夏・横山の地を收復せんと欲す。邉上の謡に曰く、軍中に一韓有り。西賊之を聞きて心骨寒し。軍中に一范有り。西賊之を聞きて驚きて膽を破ると。元昊大いに懼れ、遂に臣と稱す。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め夏人方に和を議す。公以謂えらく邉備弛む可からずと。范公と俱に出でて按行せんことを請う。遂に公に陜西を宣撫し、范公に河東を宣撫するを命ず。范、兵を益して河陽・蒲中に屯し、及び兵を以て從わんことを請う。公以爲えらく必ずしも兵を請わずと。上前に議して未だ合わず。退きて殿廬の中に於いて猶お爭う。公曰く、若し爾らば則ち臣自ら行かんことを乞う。朝廷の一人一騎をも用いじと。范色忿り、再び對を請いて公の語を道わんと欲す。公笑いて之を止む。會ミ富公、公の説を賛す。卒に兵を發せず。范も亦た以て忤と爲さず。
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『宋名臣言行録』前集巻八・王堯臣元昊反す。時に邉兵、新たに好水に敗る。任福等戰死す。韓公、主帥の律を失うに坐す。范文正も亦た書を元昊に移すに坐す。皆な招討副使を奪わる。公因りて言う、此の兩人は天下の選なり。其の忠義・智勇の名、夷狄を動かす。宜しく小故を以て之を置くべからず。且つ任福は節度に違うに由りて以て敗を致す。尢も主將を深く責む可からずと。是に由りて宰相の意に迕う。明年、賊、涇原に入り、定川に戰い、大將葛懷敏を殺す。乃ち公の指し言いて備えを爲す處なり。是に由りて始めて公の言を以て信ず可しと爲す。因りて復た公を遣わして涇原路を安撫せしむ。公曰く、陛下、復た韓・范を用う。幸甚なり。然れども將、中御せざるは兵法なり。願わくは便宜を以て事に從わしめよと。上、以て然りと爲す。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦初め京師の遣わす所の戍兵は脆懦にして勞苦に習わず。賊嘗て之を輕んじ、目して東軍と曰う。而して土兵は勁悍にして善く戰う。公奏して土兵を增して以て賊に抗し、而して稍く屯戍を减じて内は京師を實たさんとす。又た籠竿城の衝要に據るを以て、建てて德順軍と爲し、以て蕭關・鳴沙の道を蔽わんことを乞う。既に事に任ずること久しく、嵗ミ補い月ミ完くし、甲械精堅にして、諸城皆備え有り。賞罰、軍中に信ぜらる。將も亦た戰闘に習い、形勢を識り、出づる毎に輙ち功有り。公方に建請す、鄜・延・渭の三州に、各ミ土兵三萬を以て一軍と爲す。軍は別に屯すと雖も、耳目相い通じて一と爲す。虜の備えざる所を視て、互いに出でて之を擣き、其の和市を破り、其の種落を屠り、其の國を困撓せしめ、因りて以て横山の人を招かん。横山隳るれば、則ち平夏の兵素より弱く、必ず支うる能わじ。我、下して興・靈を視ること、穴中の兎のみと。章既に上り、又た范公と謀を定めて益ミ堅し。而して元昊は黠賊なり、敵す可からざるを知り、亦た兵を歛めて敢えて塞に近づかず。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、延安を領し、兵を閲し將を選び、日夕訓練す。又た諸路を戒めて兵を養い鋭を蓄え、輕く動くを得る毋からしめんことを請う。夏人之を聞き、相い戒めて曰く、延州を以て意と為す無かれ。今、小范老子の腹中には自ら數萬の甲兵有り。大范老子の欺く可きに比せずと。戎人、知州を呼びて老子と為す。大范は雍を謂うなり。