十八史略 / 『十八史略』五代・後周世宗・敗走した将を斬り軍を精鋭に
周主收樊愛能何徽及所部軍使以上七十餘人責之曰汝輩非不能戰正欲以朕為奇貨賣與劉崇耳悉斬之自是驕將惰卒始知所懼不行姑息之政矣張永德盛稱趙匡胤智勇權殿前都虞候周主謂侍臣曰兵務精不務多農夫百未能養戰士一奈何浚民之膏血養此無用之物乎乃命大簡諸軍又詔諸道募天下壯士咸遣詣闕命匡胤選其尤者為殿前諸班其騎步諸軍各命將帥選之由是士卒精強所向克捷
新字:周主収樊愛能何徽及所部軍使以上七十余人責之曰汝輩非不能戦正欲以朕為奇貨売与劉崇耳悉斬之自是驕将惰卒始知所懼不行姑息之政矣張永徳盛称趙匡胤智勇権殿前都虞候周主謂侍臣曰兵務精不務多農夫百未能養戦士一奈何浚民之膏血養此無用之物乎乃命大簡諸軍又詔諸道募天下壮士咸遣詣闕命匡胤選其尤者為殿前諸班其騎歩諸軍各命将帥選之由是士卒精強所向克捷
書き下し
周主、樊愛能・何徽及び所部の軍使以上七十余人を収め、之を責めて曰く、汝が輩、戦う能わざるに非ず。正に朕を以て奇貨と為し、劉崇に売与せんと欲するのみ、と。悉く之を斬る。是より驕将惰卒、始めて懼るる所を知り、姑息の政を行わず。張永徳、盛んに趙匡胤の智勇を称し、殿前都虞候を権す。周主、侍臣に謂いて曰く、兵は精を務めて多きを務めず。農夫百も未だ戦士一を養う能わず。奈何ぞ民の膏血を浚い、此の無用の物を養わんや、と。乃ち命じて大いに諸軍を簡び、又、諸道に詔して天下の壮士を募り、咸な遣わして闕に詣らしむ。匡胤に命じて其の尤なる者を選び、殿前の諸班と為し、其の騎歩の諸軍には各おの将帥に命じて之を選ばしむ。是に由りて士卒精強にして、向う所克捷す。
現代語訳
周の皇帝は、樊愛能・何徽と、その部下の軍使以上七十人あまりを捕らえ、責めて言いました。「お前たちは戦えなかったのではない。まさに朕を高く売れる品物として、劉崇に売り渡そうとしたのだ」。そして全員を斬りました。これ以来、驕った将も怠けた兵も、はじめて恐れることを知り、甘やかしの政治は行われなくなりました。張永徳は趙匡胤の智と勇をさかんに称え、匡胤は殿前都虞候の職を代行することになりました。皇帝は側近に言いました。「軍は精鋭であることに努め、数が多いことには努めない。農民百人でも、まだ戦士一人を養えない。どうして民の血と脂を搾り取って、この役に立たない者たちを養うのか」。そこで命じて、諸軍を大いに選び分け、また各地に詔を出して天下の壮士を募り、みな都に送らせました。匡胤に命じて、そのなかの特に優れた者を選ばせて殿前の諸班とし、騎兵・歩兵の諸軍には、それぞれ将帥に命じて選ばせました。こうして兵士は精強になり、向かうところ勝利を収めました。
解説

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史記 張釈之馮唐列伝臣愚かにして、以為へらく陛下の法太だ明らかにして、賞太だ軽く、罰太だ重しと。且つ雲中の守魏尚は、上功の首虜六級を差(たが)へしに坐して、陛下之を吏に下し、其の爵を削り、之を罰作す。此れに由りて之を言へば、陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり。臣誠に愚かにして、忌諱に触る。死罪死罪」と。文帝説(よろこ)ぶ。是の日馮唐をして節を持して魏尚を赦さしめ、復た以て雲中の守と為し、而して唐を拝して車騎都尉と為し、中尉及び郡国の車士を主らしむ。七年、景帝立ち、唐を以て楚の相と為し、免ぜらる。武帝立ち、賢良を求め、馮唐を挙ぐ。唐時に年九十余、復た官を為すこと能はず。乃ち唐の子馮遂を以て郎と為す。遂は字は王孫、亦奇士にして、余と善し。太史公曰く、張季の長者を言ふ、法を守りて意に阿(おもね)らず。馮公の将率を論ずる、味有るかな、味有るかな。語に曰く「其の人を知らずんば、其の友を視よ」と。二君の称誦する所は、廊廟に著すべし。書に曰く「偏せず党せず、王道蕩蕩たり。党せず偏せず、王道便便たり」と。張季・馮公之に近し。
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『韓非子』心度第五十四刑勝てば民静かに、賞繁ければ姦生ず。故に民を治むる者は、刑勝つは、治の首なり、賞の繁きは、亂の本なり。
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